サンダーボルトII(タミヤ1:72)製作記

2004.10.8初出






■ はじめに

 Nと並行して72のサンダーボルトIIを作る。血中ジャグ濃度が高いうちに、完成品を増やそうという魂胆。製作コンセプトは、ストレートで塗装を楽しむ。

 本当は大好きなレイザーバックを作りたかったのだが、前部キャノピーパーツの雌型の形が悪く、先端部の断面がレンズ状に見えて興醒め。こういう所が72ファンを軽んじてるように感じる。早急な改善を望みたい。バブルの方は、レンズ状に歪む後部キャノピが48ゆずりだが、我慢の範囲内。



ご覧のとおりトホホホホ。絞る位なら48作った方がマシ。アカ、ハセは外形が悪く、換装もおすすめしない。

■ 解説

 サンダーボルトIIという名が意味するところは、ご承知のことと思う。ここでおさらい。

 英空軍にP−47が送られたのは、1944年春からで、全てがインド・ビルマ方面作戦に充てられた。このうちレイザーバックはD−21−RE〜−22−RE相当の240機で、その全てをサンダーボルトIと称した。当時の記録写真を見ると、これらは皆ハミルトン・ペラを装着しており、"Royal Air Force THUNDERBOLTS"(参考文献参照)によれば、本来カーチスペラのD−21もハミルトンに換装されたとある。
 バブルトップはD−25−RE〜−40−RAまで590機で、こちらがサンダーボルトIIとなる。初期の機体はハミルトン・ペラを装着したD−25−RE〜−27−REで、したがって記録写真で見るRAFサンダーボルトはハミルトンが多い。

 これらIとIIの一部は、エジプトの訓練部隊にも送られ、ここでジャグの操縦法を体得したパイロット達は、さらに東方の戦場に向かった。これについては、去病氏のページも併せてご覧いただきたい。

■ キット評

 キットの出来は、48の精密度がさらに凝縮された素晴らしいキット。随所に見られる部品の一体化も適切。昔72を主にやってた頃に発売されてたら驚喜したろうなあ。
 素晴らしいキットだが、今後のより良いキット開発を願い、あえて重箱の隅をつつかせてもらう。

 胴体平面形の間違いは、48ゆずり。胴体と一体化したオイルクーラー・フラップの断面形が平行四辺形。ここだけは別パーツにして欲しい。コストの制約があるなら、胴体背面のバリエーションを止めてもよい。その方が組み立ても楽。タイヤのモールドが大味で、トレッドのブロックが48と同じ大きさ。モスキートのときもそうだった。
 動翼のリベットは48でも不要だが、72ではなおのこと。キャノピの厚さ、歪みは前述のとおり。P−38タイプの増槽が欲しい。これもロケットランチャーなどより必要度高し。

 とまあしかし、傑作キットに間違いなし。この調子で、穴になってるソードフィッシュ、ミーティア、月光・・・を期待する、のは勝手でしょ。

■ 組み立て

 組み立てはノー・ストレス。胴体平面形の間違いには目をつぶる。キャノピーは閉じるので、コクピットはダークグリーン一色で塗りつぶすのみ。なまじ手を入れて歪んだ像を見せるよりは、模型としての完成度は高い、と思うが如何だろうか。
 胴体に取り付ける際には、頭部防弾板が機体中央に位置するように注意。タミヤだからと仮組みをサボると痛い目に会う。これは48でも同様。動翼のリベットは埋めてディティール・ダウン。

 合わせは完璧で、あっという間に「士」の字になる。平行四辺形のオイルクーラー・フラップのみ、切り取って付け替える。




■ 続、組み立て 10/14追加

 キャノピ閉状態とする場合、段差が生じる。キャノピ・パーツは先に前後を接着するが、そうすると胴体にセットした際に前側が1mm弱浮く。逆に前後パーツをそれぞれ胴体に接着した場合には、キャノピ接合部にそれだけの段差ができる。従って、ここは胴体、キャノピともに慎重な削り合わせが必要となる。
 ところが接着部の隙間埋めが不十分なまま削ったため、キャノピ内側に削りカス!! 幸い、完全なる固着前なので、ナイフではがして掃除して再接着。

 照準器はクリアーな前面ガラスを通してよく見える。RAFサンダーボルトで使用された照準器は、不明瞭な写真からの判断だが、全型式を通じてガラスが楕円のタイプ。丸く切るのが面倒臭いので、作品では間違い承知で四角ガラスを取り付ける。マスタングなど英軍使用の米軍機では四角ガラスタイプを付けている場合が多いから、知らない人は「ふーんそうか」と思ってくれるかな。



後部キャノピの前半部にあたる胴体部(ややこしい)を削っておき、接着後に前部キャノピの裾も胴体との段差を削る。

キットの照準器パーツは、48でも通用する程オーバーサイズ。ガラスもオーバーサイズだが、しらんぷり。

 脚回りだけは、きちんと手を入れたい。表側はヒケをペーパーで均し、脚カバーの縁は薄く削る。最後に隅角部をエッチングノコでスジ彫るとシャープに仕上がる。72をおもちゃっぽく見せないための定番工作。
 タイヤのトレッドは、パターンが粗く、気に入らない。しかし正しいピッチに彫り直してもしょうがないので、キットどおりとし、消えたモールドだけエッチングノコで再生する。
 その他、オイルクーラー・フラップは作り替え、プロペラブレードは、ハミルトンらしくないので、薄く削るついでに形を微修正する。


トライツールのノミが便利。刃を立てて「かんな」をかけるように削る。

3.5mm幅に切った1.2mmプラ板で作り替える。

・ ・ ・

 ところで、スケビに72サンダーボルトの素晴らしい作品が掲載された。箸尾氏の作品は、いつ見ても抜群の「キレ」の良さがある。すごいのは、あえてキットのデカールを使っていること。キャノピの縁を削るのは、なるほどのワザ。早速48のNで使わせて頂く。普通、縁だけ削ると像が歪むが、タミヤのパーツは元から歪んでいるから気にならない訳。

■ 塗装考証

 前述のRAFサンダーボルト本に、興味深い記述があるので、引用する。

 1943年秋までの米陸軍機は、テクニカル・オーダーNo 07-1-1により、上面ダーク・オリーブドラブ41、下面ニュートラルグレー43で塗装された。同年9月の陸海軍航空(ANA)公報No 157により、上面ANA613オリーブドラブ、下面ANA602シーグレーとなった(訳注:603の間違いと思われる?)。しかし、同年末までに迷彩は廃止され、リパブリック社ファーミングデール工場を出たD−21−RE(訳注:レイザーバック)は無塗装銀にオリーブドラブの防眩塗装、機体内部はジンクロメート・プライマー、コクピットはANA611インテリアグリーンで塗装されていた(訳注:コクピットの記述が興味深いが、この引用元は明らかでない)

 レンド・リース法により英国に供与されたサンダーボルトは、44年3月のANA広報No 157(訳注:日付は違うが同じ番号で、どちらかが転記ミスと思われる)によりRAF規格でなくANA規格による近似色にて工場塗装された。すなわちダークグリーンはANA613オリーブドラブ、オーシャングレーとミディアム・シーグレーはANA603シーグレーである。しかし上下面のグレーが同色という問題があり、下面は、ANA602ライトグレーが使われた。

 RAF規格と比べると、緑は茶が強く、下面色はライトグレーの場合明度が高い。同時に胴体後部のスカイの帯、ラウンデル(主翼上面:56インチBタイプ、下面:32インチCタイプ、胴体:36インチC1タイプ)、フィンフラッシュ(24インチスクエア)、主翼前縁のオレンジイエローも記入された(訳注:このあたりはBodie本の工場製作中の写真で確認できる)

 インド方面に送られたこれらの機体は、44年4月の空軍命令(AFO)No 70にてSEA迷彩に現地再塗装された。上面はダークグリーンとダークアース、下面はミディアム・シーグレーだが、下面のみ工場塗装のグレーが残された場合もあった。コードレターは、AFOではスカイとされた。エジプトの訓練部隊に送られた機体は、工場塗装のままであった。

 この塗料は現地で複数のメーカーから調達され、色調にバラツキがあり、退色・タッチアップも著しく、特に退色しやすいダーク・アースは、パイロット達の言葉を借りれば「紫がかった汚れた灰色」となった(訳注:日本陸軍の暗褐色と不思議に符合している)
 再塗装で記入されたBタイプ16インチのラウンデルは、日本軍機との誤認を避けるため、ダルレッドの部分が、ダルブルーと白を1:4で混ぜたライトブルーに置き換えられた。フィンフラッシュは16×24インチ。

 サンダーボルトIIも、当初はサンダーボルトIと同様の塗装であった。しかし、実戦に投入されると、機影がキ−44と酷似しているため、白帯(機首:17インチ、主翼:28インチ、垂直・水平尾翼:18インチ)が追加された(訳注:確かに白帯なしのレイザーバックの写真は存在する)
 45年初め、工場から無塗装のD−30−REおよび−30−RAが届くようになると、同年3月現地司令部も無塗装の許可を出し、白帯をダルブルーに置き換えた塗装がなされた。

■ 続、塗装考証 10/24追加

 まず、RAF本の記述の追加から。

 サンダーボルトIIになって導入された白塗装は、当初、機首が上側6インチ、下側16インチ、主翼は機銃と胴体との中間に位置する前縁に幅24インチの長方形、垂直・水平尾翼の帯(動翼には記入されない)は幅9インチ、スピナも白であった。
 これは間もなく前回記述のとおりに改められたのだが、これが誰からの識別を目的としたのかが分かって興味深い。機首の斜めの白塗装は、明らかに味方対空砲からの誤射を避けるもので、逆に隼のパイロットからは、なるべく目立ちたくないという意識が感じられる。

 さらに考証を加えよう。現地塗装とされる迷彩は、世傑に第30スコードロンの素晴らしいカラー写真がある。確かにRAF規定の色調と微妙に異なり、ダークグリーンは青味が強くダークアースは赤味が少なく黄が強い。下面は暗めで、ちょうどニュートラル・グレーのようだ。コードレターはライトブルー。青味が強く、多分白に混ぜたダルブルーの量がちょっと多かったのかな。細部は米陸軍に準じる。脚柱が暗緑色であることが、明瞭にわかる。

 コードレターの色は、以前は漠然と白と思い込んでいたが、上記記述などあり、悩み出すときりがない。モノクロ写真では白に見えても、ラウンデルの水色部分も白く写ってたりするのだ。部隊により違いがあるようにも見え、事実30sqでは水色。まあ、決め手はなく、逆に「自分はこう考える!」という色を塗っとけば、誰も間違いだと指摘できないだろう。

 コードレターのサイズ、記入位置や色、白帯が動翼に及ぶか否か、スピナ塗色は、部隊ごとに差異が見られ、厳密さを求めるなら実機写真での確認が必要。既出塗装本等の考証は、やや甘いものも見られる。

 バブルトップの場合、外から見えるキャノピ内部の塗色が問題。前述の工場写真にRAF迷彩のバブルトップがあり、当該部分はキャノピ未装着状態のままオリーブドラブで塗装されている。
 で、現地迷彩が再塗装されるのだが、キャノピを外してダークグリーンを塗ったかも知れないし、外さず塗り残したかも知れない。どっちか分らないが、ここは塗装工程の薀蓄をたれた上でオリーブドラブを残し、通ぶってみるのも一興。

■ 塗装

 まず、使用色。カラー写真をもとにインド・オリジナル・ペイントを再現しようと思っていたが、面倒臭くなって上面はスピットIIのものをそのまま。下面はニュートラルグレー。塗ってみると、ダークグリーンはもう少し青い方が良かったか。下面は暗すぎ。
 下地までの塗装手順はいつものとおりで、特筆することはない。


下地塗装終了。#1500ペーパーで磨く。

キャノピはセロテープ・マスキング法。曲面でも分けて貼ればこのとおり何ら問題ない。

 雲形迷彩のマスキングに「新材料」を試す。いわゆる「ひっつき虫」というやつで、ハンズで別メーカーの「Mrペタリ」というのを購入。ブルータック(BluTack)というのも同じ。2mm位の棒状に延ばし、迷彩パターンのとおりに付着させる。使用後の感想は、従来の型紙方式が完全に過去のものになる程の優位性はないが、手軽に作業でき、塗装図など見ながら境界の位置決めが簡単にできる、というメリットがある。お気楽モデリングには、いいかも。


下面とダークアースをざっと塗装しておき、ひっつき虫(Mrペタリ)で境界をマスク。

ノズルを絞ってダークグリーンを吹いていく。しかし、これだけでは吹きこぼれが生じてしまう。

 ひっつき虫は弾力があり、引っ張っても戻ろうとするので、その点が扱いづらいのと、細かい曲線の再現性が今一歩。作品では境界だけに使ったため、吹きこぼれが発生。結果的に、これを処理するのと、マスキングテープや残ったひっつき虫でマスクするのと手間的に変わらない。使用後に塗料がついたひっつき虫も、練りこんでしまえば再使用可能。


吹きこぼしを綿棒につけたテレピン油で拭き取ったところ。上面の迷彩パターンはRAF本塗装図のとおり。

ぼけ足など、出来具合はこのとおり。

■ レイザーバックのキャノピ再び

 トホホホな前部キャノピは前述のとおりだが、「内側から削ったら改善されるのでは?」と思いつき、早速実行。小一時間の作業で、結果はご覧のとおり。モーターツールが大活躍。側面部は2次曲面の直線を出すためノミを活用する。このパーツの「活用」は、そのうち。



磨きが不十分だが、十分いける感触。

■ マーキングの考証 10/11追加

 ハミルトン装備で実機写真の残されているものから選定し、第30スコードロン所属「RS◎U」シリアルHD298(P−47D−27−RE相当)とする。

   スピナは銀、白帯が動翼にも及び、パイロンの内側半分も白いのが同隊の特徴。垂直尾翼には部隊紋章が記入され、RAF本の塗装図によればライトブルー地の楕円の中に椰子の木。
 なお、雲形迷彩のパターンは、現地塗装というだけあって部隊ごとに差異があり、特に主翼は注意が必要。作品はRAF本の塗装図をそのまま写しただけだが、少なくとも胴体については写真と比べ概ね正確。



モノクロの記録写真ではコードレターは白のように見えるが、世傑カラー写真より、正しくはライトブルー。

モノクロ変換し、明度とコントラストを上げる。レターは白には見えないが、スカイかライトブルーかの判別はつかない。

■ RAF第30スコードロン

 RAF本には、英軍サンダーボルト部隊の活動が延々とつづられており、その中から30sqnの部分を引用する。CBI戦域におけるサンダーボルトの運用状況の一端が見えてくるであろう。なお、一部に30sqnウェブサイトの記述も含めている。また、地名の読み方は一部推定。


 1942年から44年まで、30sqnはセイロン(現在のスリランカ)においてハリケーンIIを運用した。その間の出来事として、日本軍のセイロン攻撃時の迎撃戦が特筆される。44年9月(サイトでは7月)、サンダーボルトに機種転換した(RAF本ではIとIIの混成との記述)。しかし、慣れないパイロットが急降下から引き起こせず墜落するなど、相次ぐ事故や技術的問題で作戦再開は10月まで延びた。

 10月5日チッタゴンへ移動。その後、さらに南方のコックスバザールへ移動。11月3日ラングーンへの初の長距離侵攻作戦をB−29、B−24とともに実施。翌4日、ラングーン近傍インセンの鉄道工場爆撃にB−24のエスコート。
 11月17日、135sqnと共同でラングーンへの戦闘掃討。20機の隼、鍾馗と交戦するが、マニューバビリティに優れる日本機を捕捉できず、撃墜戦果なし(この時のガンカメラに隼の映像が残されている)。帰還時、HD298とHD294が衝突しパイロット1名死亡(どちらの機の者かは不明)。
 11月19、23日、英米軍爆撃隊のエスコート。百式司偵を撃墜。12月以降、サンダーボルトIは実戦には使用されず、訓練に回される。

翌45年2月1日、中部ビルマのイラウェジ川沿いのマグウェ飛行場攻撃。2月の1ヶ月間に地上軍協力などで326回(!)の作戦行動を記録。その中では、日本軍に対してナパーム弾も使用された。
 3月9日ラングーンへB−24エスコート。4月9日プロメ攻撃。4月29日インド洋岸でさらに南のアキャブに基地を移動。5月3日、英地上軍がラングーンの港を占領。雨季が始まる。
 終戦後の9月、インドのバイガッチに移動、10月インド南東部ビザガパタムへ移動、テンペストIIに転換した。


 RAF本の冒頭で「天気と同じ程度」と評された日本軍の記述が興味深い。つまり、全般に記述が少なく、抵抗が弱い印象を受ける。しかし、他sqnでは対空砲火による損失も記述されており、日本軍も持てる戦力の中で必死に抵抗していたことは想像に難くない。

■ マーキング塗装

 その前に準備。迷彩塗装のはみ出しなどを面相筆で修正し、フラットクリアを吹いておく。白帯はキャラクターホワイト。幸い、緑の入った迷彩とは喧嘩しない。

 コードレターは使えるものがなく、仕方なく手描き。前述の塗装図が1/72なので下図とする。上に透明プラ板を重ねてテープで止め、粘着力を弱めたセロテープを貼りデザインナイフで切り出す。よりによってRもSもUも曲線が難しく、案の定マスクをはがすとヨレヨレで、面相筆で修正する。
 ラウンデルとフィンフラッシュは手持ちのAMDから流用して手抜き。シリアルとプロペラ先端は以前作っておいた自作インレタ。シリアルは、バラバラの文字を1つずつ貼ったため、少々不揃い。次回は、裏返したテープに並べてから転写するなど、うまい方法を考えないといけないなあ。

 ライトブルーは自家調合。規定どおりにダルブルーと白を混ぜるとデカールの色とは大違い。インディーブルーと白を混ぜる。デカールは赤味があり、クリアーレッドで補正。デカールとは微妙に色味が違い、近接する胴体ラウンデルは筆で上塗りして取り繕う。部隊マークは省略。自作インレタでも作る機会があれば、その時に追加しようか。

 なお、調色にクリアー系塗料を使うと、上に重ねた色や仕上げのクリアーに染料が染み出してきてひどい目にあうという情報を頂いた。ご注意を。今回は限定的使用であり、特に問題は発生していない。


下面を吹く。吹きこぼしの修正は面倒なので、テープでマスクしておく。

マーキング塗装、デカール貼り、フラットクリア研ぎ出しまで終了。

■ ウェザリング

 いつものパステルぼかしと面相筆チッピング。最近マンネリ気味か? さらにマンネリ感のあるエアブラシ系のぼかしは、今回は全くせず。


翼付け根だけでなく、機銃アクセスパネルの周囲を整備兵が歩き回ったところをイメージ。

チッピングは、迷彩色に合わせて選択する。今回の場合、ニュートラルグレーが具合がよい。

■ 細部

 RAFサンダーボルトの増槽は、各スコードロンともP−38タイプ。押入れの肥しドラゴンのP−38から流用し、0.2mmプラ板をサンドイッチ、後部のタンク押さえを伸ばしランナーで追加する。ハセのは形状がイマイチ。アカデミーのは手元になくコメントできないので、悪しからず。

 主脚には、ちまちまディティールを加える。尾脚は、断面を平たく削った0.8mm真鍮線に置き換え。胴体タンクの振れ止めは、キットから切り取り、脚取り付け後に接着。キットどおりの組み立て順では、先端が折れてしまうのは必至。その他のディティール・アップは写真のとおり


カラー写真のイメージでオリーブドラブで塗装し、細切りデカールの黄帯を巻く。ロッドは延ばしランナー。端部をピンセットでつぶすのがミソ。

前方から見えないところは適当に手抜き。カバーの縁もそのまま。

3色燈は、バイスでざぐって銀を塗り、エナメルのクリアカラー。72で下面なので、ガラスの再現はパス。

機銃は0.7mm真鍮パイプ。ピトー管は0.5mm真鍮線に半田細工。

■ 完成

 以上で完成。出来上がると、機首が若干先細りな感はあるが、大した手間もかからずにカッチリとしたモデルに仕上がるのは嬉しい。久しぶりの72レシプロは、作っていてとても楽しい。この勢いでレイザーバックのキャノピの「活用」も、早々に図りたいところだが、まずはNかな。

■ おまけ

 ひっつき虫の活用方法を思いついた。RLM76地の上に太さ1mmに延ばしたひっつき虫を蛇行させ、上から70/71迷彩を吹けばミラーウェーブ。あるいは76地に「の」の字状に貼り付けて75を吹けばウーフーの斑点迷彩だ。どなたか試してみない?

■ 参考資料

 参考文献は、タミヤのレイザーバックの項を参照願う。RAFで使用されたサンダーボルトは、Air Research Publications社の"Royal Air Force THUNDERBOLTS"に詳しい。

 供与米軍機の塗装については、去病氏の考察(2004年10月15日の項)も参照願う。
 また、RAF第30スコードロンの歴史などについてはこちらを参照されたい。







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