シーファイアXV(ベンチュラ+ハセガワ1:72)製作記

2006.5.4初出




FAA第1弾。



■ はじめに

 いきなり登場したのは、スピット一族の中で、ちょっとマイナーな短首グリフォン。しかもFAA(注)使用のシーファイア15(注)だ。実は48のスピット14を作っている頃から、並行して72のこいつをいじっていたのだ。途中随分放置していたが、ある程度形になったのでお披露目となった次第。さあ、’06静岡ホビーショーに間に合うか!! 
(注)シーファイア15:正しくはシーファイアF.Mk.XVだけど、以下便宜上、型番をアラビア数字で表すことにする。

■ ベンチュラのスピット

 まともな72スピットのキットがまだロクに無かった時代、ニュージーランドの簡易インジェックションメーカーであるベンチュラ社から、出来の良い簡イの1/72スピット各型が発売されていた。シーファイア15もその通例にもれず好キット。ランナーのゲートが太く、一見駄目キットのようだが、基本パーツの精度が高く、外形もしっかりしている。キャノピはファルコン製バキューム。小物は少々ツライが、今ならインジェクションキットからの流用が可能だ。

 同社のグリフォンの機首形状、特にバルジは、古今東西あらゆるキットの中で一番正確。実機の持つ繊細なラインを実によく再現している。初めて見た人は目から鱗が何枚も落ちると思うよ。48でエアフィクスを作る人にも、修正のための資料として購入をお奨めしたいくらい。私の14でも、しっかり参考にさせてもらった。今でも模型店で在庫を見かけるから、気になる人はチェックしてみよう。

■ シーファイア15への道

 当初は、ベンチュラをそのまま組むつもりであったが、バQキャノピが嫌い⇒モールドのシャープなハセガワに換装⇒キャノピとの合わせで胴体もハセガワ⇒必然的に主翼もハセガワ、ということでベンチュラは機首を残すのみとなった。でも私の意識はベンチュラが主でハセガワが従。だってベンチュラあってこその15だからね。

 ハセのスピット8/9のキャノピは、やや小振り。一方ベンチュラ15の胴体はやや太め。後部胴体でハセと比較すると2mmくらい違う。機首も、これとバランスする太さだから実機よりたぶん太いカナ。そんなワケで両キットを継ぎ合わせると若干バランスが悪いのだが、かえって短首グリフォンの「ずんぐり感」が強調される気もする。

■ フジミのグリフォン

 15や12を作るなら、フジミの14ファストバックの機首を詰めるという手もあるね。フジミのキットは、カットダウンとファストバックのコンバチで部品分割が多かったり、スジ彫りモールドがぬるかったりで、印象いまいちだが、基本的形状は悪くないから、丁寧に手を入れるといい作品になると思うよ。
 機首のバルジも、ベンチュラと比べりゃ負けるが結構いい形をしてる。ただし、ファストバックの風防パーツは、バックミラーの取り付け穴が前面ガラス部にあるのが困りもの。

■ ハセガワのマーリン

 ついでにハセ8/9もレビュー。基本的アウトラインは、同社48の8/9とよく似ている。他社に比べ後部胴体が細く、その分頭でっかちに見えるが、実機もこんなもんだ。垂直尾翼、水平尾翼は、これまた他社に比べて薄いが、これも実機どおり。これまでベストキットとして君臨してきたエアフィクスのせいで、形が悪いと思っている人もいるだろうが、好き嫌いは別としてハセの方が実機の形に近いよ。

 とはいえ完璧ではなく、前述のとおりキャノピがやや小振り。型抜きの限界でスライド部のバブル形状が不十分だから、なおさら小さく見える。また、後部胴体下部の断面形がやや角張っている。また、主翼や胴体のパネルラインなど、細部で若干の考証ミスがあるので、気になる人はチェックしよう。エルロンは8(短スパン)9(長スパン)両方のスジ彫りが入っているので、どちらか不要な方を埋めること。



ハセの主翼パーツ。車輪部のバルジは、ほとんどの8、9で「なし」が正解。

■ 組み立て開始

 ベンチュラの機首は、上側が別パーツとなっており、慎重な摺り合わせが必要。特に先端の断面が正円となるように注意。しかる後、ダウンスラストに細心の注意を払いハセガワの胴体と接合。両社とも断面形状を正確に再現しているから、継ぎ目もスムーズ。あとはあっという間に士の字だ。




色の異なる部分がベンチュラの機首。バルジの形状に注意。

 以下、細部について、製作中に気づいたことなどのメモ。重箱の隅ではある。

■ 主翼

 シーファイアの主翼の詳細については、鮮明な写真がなく不明点が多い。パネルラインなども、図面によって違ったりする。たとえばウォーペイントの図面では、翼上面側の折り畳みラインが思いっきり無視されてるなど、信頼性には疑問。

 ウォーペイントの本文には、「シーファイア15の主翼は基本的にシーファイア3と同じ(注)だが、前縁に燃料タンクが追加された。」と書かれている。ウォーバードテックには翼構造のイラストがあって、それによれば基本的に8や14と同じ位置で、20mmカノンの内側。ただしシーファイアは折り畳み部があるので、その分タンクが小さくなっている。武装も結構謎。外側の7.7mm銃は銃口の確認できる写真もあるが、後期の17になると銃口がなく見える写真もある。このあたり9や16のeウイングと同様、後期には生産時から撤去されたのかも?

 では作業。基本的にハセガワの主翼がそのまま使える。折り畳みの分割ラインと追加燃料タンクをスジ彫りする。エルロンは9と同じスパンの長いタイプ。不要なスジ彫りを埋める。その他にも、ハセガワには、実機にはないと思われるパネルラインがあるので、適宜埋める。

 20mmカノンの銃身は、一旦根元を含めて切り取り、翼の前縁断面形を整形してから取り付ける。無駄な手間のようだが、正しい翼形を再現しようと思えば、こっちの方が楽。15の銃身スリーブは、9のような細身のタイプでなく、後期の14などと同じく先が太いタイプだが、気づいたのは接着後。翼上面のバルジは一般的なcウイングと同じ位置・形状なので、ハセガワがそのまま使える。

 後日追記。主翼の詳細については、拙頁シーファイアFR.47の図面を参照のこと。見比べると、あちこち違ってるなあ(汗)。
(注)
シーファイア3(マーリン装備型である)のラジエーターは、スピット5と同じ片側タイプで、15になって両側タイプに変更された。



シーファイアの主翼にするため、折り畳みラインをスジ彫る。追加燃料タンクのスジ彫りはこんなもんか。

翼下面前方にはカタパルト・フックがある。エアインテイックはフジミ14から。

■ 胴体

 実機では、胴体燃料タンクの下方に、前広がりの四角形をしたアクセスパネルがある。48エアのシーファイア47にもモールドされてて、今までこれが何だか気づかなかったが、シーファイア47の発艦時の写真などで、RATO(離陸用補助ロケット)の取り付け部であることが分かる。パネル前方の防火壁でロケットの反力を受けるのだろう。15や17では、このパネルに「SLING(吊り上げ)」と書かれている。

 その後方のフィレット部分には、小さな長方形のアクセスパネルがある。これはおそらくRATOの後方取り付け部。両パネルとも艦載機ならではの装備で、シーファイアだけの特徴でもあるので、テンプレートこさえてスジ彫りする。

 ウォーペイントの図面などでは、後部胴体下部に補強板が描かれているるが、実機写真を見ると、フックが尾端に移動した後期の機体では、補強板が無い。また、図面によりコクピット側面のロンジロン(縦通材)部に細長い補強板が描かれているが、これは実機写真により「なし」が確認できる。

 その後部胴体下部補強板の少し前方には小さな丸い突起があり、フックのタイプに関わらず、どのシーファイア15、17にも共通。これが何だか不明だったけど、ネットで情報いただく。感謝。それによると、これはカタパルト・スプール(spool:糸巻き)と呼ばれるもの。機体を吊り上げる時は、前述SLINGパネルと、ここの4カ所で吊るようである。

 ウォーペイントの図面ではコクピット後方の胴体右側にアクセスパネルが描かれているが、写真では確認できず、前述の理由もあってたぶん「なし」が正解。



追加したスジ彫り。エンジンカウル上の小エアインテイクも忘れずに。

■ プロペラ

 スピナはフジミのスピット14。5枚ブレードの穴をプラ棒で埋め、新たに4つ開ける。ブレードも同じくフジミから。先端が細いので、瞬間+アルテコのプラ粉で増積してから削る。48スピット14を作った時に、アカデミーのペラを苦労して削ったが、おかげでジャブロロートルプロペラの形は頭の中に入っている。



スピナとペラはフジミ。ペラの白い部分が増積した部分。大体似たところでよしとする。

■ 尾部

 15の垂直安定板は9以前と同じ形なので、無改造。ラダーはベンチュラから切り取る。写真を見ながら形状を微修正し、ハセガワの垂直安定板に合わせて薄く削る。消えたリブは細切りデカールで再現。よく見るとヨレてるが、まあいいや。



ラダーとフック部は15/17の特徴的部分。このあとさらにディティールを追加。

 ラダー下部のフック部分はベンチュラから切り出すが、引越しで行方不明。仕方なくハセガワの翼端パーツをベースに削る。エッジは薄いがフックのバーが入る部分は厚みがある。まだ形が正確でないが、これでよし。先端のフックはランナーをちまちま削る。水平尾翼はハセガワ。リブの表現をラダーに合わせるため、平らに削ってデカールを貼る。



尾脚とフックも加工。尾脚まわりはハセガワのパーツを使う。

 尾脚は破損防止のため真鍮線に取り替える。0.5mmにしたところ細すぎで、0.7mmパイプを被せる。その前方のワイヤーよけは0.5mm真鍮線。その支持棒は瞬着イモ付けなので 強度が不安。



出来上がりはこんな感じ。

■ コクピット

 ここはハセガワのパーツほとんどそのまま。ハセの表現はチョットさびしいけど、どうせ窓を閉めれば見えない。後期の陸上型スピットでは、パイロットの頭当てが撤去されてるけど。シーファイアは、カタパルト発進/フック着艦のため、残されている。そりゃあ、鉄板に頭ぶつければ痛いだろうからね。ハセガワのパーツは、頭当て付きだから手間が省ける。(8や9を作る人はちゃんと削ろうね。)



キャノピ越しに見えそうなとこだけ、ちょこちょこっとディティールアップ。

■ キャノピ取り付け 5/16追加

 スピットファイアは、後方固定部キャノピと後部胴体とがスムーズにつながることがポイント。マスキングはいつものセロテープ。可動部キャノピは曲面で、どうやってテープを貼るの?と疑問かもしれないが、切断する部分(つまりは窓枠部分ね)さえシワにならなければよいのである。



キャノピ接着直前の状態。

接着後削って段差を消し、スジ彫りしてから磨く。この一手間が重要。

■ FAAの塗装の変遷

 さていよいよ塗装作業だが、まずはFAAの塗装の変遷について、スコドロ本より簡単に引用/紹介したい。

 FAA(Fleet Air Arm)は、1912年、Royal Flying Corps(RFC:RAFの前身)の海軍航空隊(Naval Wing)として発足した。1914年にRoyal Naval Air Service(RNAS)に改称。1917年には、ソッピース・パップにて空母への着艦(初?)が行われたが、艦と機の速度差がわずか3ノット(6km/h)であったため、機に取り付けたロープをデッキクルーが捕まえて停止させたという。(アンビリーバボー!!)
 1924年になり、RAF(RFCが改称)のブランチとしてFAAが編成されたが、まだRN(英海軍)の指揮下になかった。1937年、英国初の近代的空母であるHMS ARK ROYALが進水。同年、ようやくFAAは完全にRAFから独立した。

 当時の塗装は、羽布部が全面アルミニウムドープ(FS17178)、金属部は無塗装で後に防錆のためセラックスグレイ(FS16440)塗装であった。後部胴体には母艦を色で識別する帯が巻かれ、一部の機体では胴体上面のみ黒(防眩目的か?)であった。

 1939年、大戦勃発により迷彩が導入され、上面エキストラ・ダークシーグレイ(FS36118)とダークスレートグレイ(FS34096)、複葉機の下翼上面がダークシーグレイ(FS36173)とライトスレートグレイ(FS34159)であったが、これは1941年初めころに上面色と同一となった。下面はスカイグレイ(FS36463)で、1940年8月にスカイ(FS34504)に変更された。1941年初めまでは、しばしば下面色が側面上部まで広がって塗られた。アンチサブマリン作戦機は、1942年遅く以降、上面エキストラ・ダークシーグレイとダークスレートグレイ、側下面が白となった。

■ マーキングの選定

 どうせなら目先の変わった塗装にしようと、極東配備の赤抜き白棒付きラウンデルとするところまでは決めていたが、固有機の特定に少々悩む。ウォーペイントの塗装図にある2機は手元に実機写真がないのでパス。実機写真があるところで、スコドロFAA本などにあるHMS IMPLACABLE搭載の第801スコードロン所属機から、機番11◎7/Nとする。不鮮明な写真しかなく、シリアルNoの特定までできないのが少々残念だけど、仕方ない。スピナは暗色で、これはウォーペイントの塗装図を参考にダルブルーとするが、確証なし。ホントは黒かも。

 この白棒付きラウンデル(FAA本ではBPFラウンデルと呼称。BPF:British Pacific Fleet)は、右翼上面と左翼下面には記入されない。というのは、こいつは英軍機に不慣れな米軍のパイロット&対空砲手からの誤射を避ける目的で導入されたものだから。ところが、シーファイア3などでは、右翼上面に従前の青白ラウンデルがそのまま残ってる機体もあったりして面白い。15になると、どうも従前のマークが消された痕跡がなく、おそらくこれは工場完成時点で、既に旧ラウンデルは記入されてないものと考えられる。

 BPFラウンデルのサイズは、特に中心の白丸の比率で機体によりバリエーションがある。これは現地塗装なる所以。規定は不明で、作品では実機写真から割り出す。801sqnでは胴体と主翼のサイズは同じで、各円(白青白)の直径が45、40、18インチ。この中心2色の比率は、Bタイプの比率でもCタイプの赤を塗りつぶした比率でもなく、その中間。白棒は全幅80インチ、その周囲の青縁は2インチ。機番は胴体、尾翼とも18×14インチ。

■ 調色

 FAAの迷彩色については、手元にオリジナルカラー写真が少なく、それらも撮影、印刷の条件が違うから色調が全然違う。悩んでもしょうがないから、スコドロFAA本の裏表紙にあるスピットと、Motorbooks社刊「Korean Air War」にあるファイアフライ(スピット47と並んでいる)からイメージ。

 エクストラ・ダークシーグレイは、Mrカラー333番同色に白少量+青微量を加え、退色と空の青の映り込みを表現。下面のスカイは#26ダックエッググリーンをベースに青みを加え、さらに黒微量で明度を落とす。

 難しいのはダークスレートグレイの色調。灰色味を強くすると、雰囲気が出るカナ。レシピは#340のフィールドグリーン45%、エクストラ・ダークシーグレイ50%、スカイ5%。加えるス カイは、別に白でもいいんだけど、手近だし少し黄色味を加えたかったので。これはエクストラ・ダークシーグレイとの明度差(白黒写真ではほとんど差が無い)に注意して配合する。

■ 塗装作業

 手順はいつものとおり。あとは写真で。



サフを吹き、表面を修正し、カウリングのファスナをたまぐり#2で打つ。

基本塗装の下塗り。このあとMrペタリで境界を塗り分ける。実は右翼のパターンをミスってその後に修正。

ラウンデルの塗装。まず青から。使用色はいつもの自作ダルブルー。

青い部分をマスキング。

なぜ11◎7/Nかって? 答えはマスキングが楽だから。ちなみにNは空母IMPLACABLE搭載機を表す。

基本塗装終了。フラットクリアの乾燥を1日待って、キャノピのマスキングをはがす。

■ 細部あれこれ

 シーファイアでは、右翼下面から棒が2本出ている機体がある。一部の陸上型スピットでは内側の1本だけというのもあるが、モデルアートのスピット本によれば、これはIFFアンテナのロッド。シーファイアでは戦後の装備という情報もいただいたが、記録写真を見ていると、必ずしもそうでないような。ともかく801sqnでは「あり」が写真で確認できるので、0.5mm真鍮線を削って板状にして取り付け。ついでにピトー管を真鍮線はんだ細工。

 主脚について触れてなかったが、15の脚はトルクリンク付きで、脚カバーも断面形が湾曲しているタイプ。車輪ホイルは4本スポークである。さて、スピットの脚の塗装について、脚カバー表裏、脚柱が下面色(ということは脚庫内も下面色かな)、ホイルが銀と思って塗装するが、間違い。ガッカリ。詳しくはMk.Vb製作記で。ともかく、トルクリンクをプラ板で適当にでっち上げて接着。脚カバーは断面形や平面形も違うがキットのままで、縁だけ薄く削る。

 排気管は、1.0mm真鍮パイプで自作。6本揃えて並べるのに頭を悩ます。結局、P-51のフェアリング付き排気管をベースに竹槍状に削った真鍮パイプをはめる。本当はマーリンとグリフォンでは排気管のピッチが異なるが、知らんぷり。



インジェクションパーツをベースにすることで、比較的容易に揃えることが可能。

■ その他

 あとはウェザリングを残すのみだが、ここで反省点。コクピット内部のゴミ侵入対策が不十分だったため、塗装後マスキングをはがしたらクリアパーツ内側にゴミ。外からたたいて落とすが細かいゴミまで完全には取れず。

 参考文献の追加。シーファイアに関する日本語の文献としては、モデルアート別冊のスピットファイアが、ネタ本が良かったのか結構使える。翼下のIFFアンテナ取り付け位置の図も載っているぞ。ただしこの本、一部の陸上型では図面の間違いなどあって要注意ではある。

■ 完成 9/30追加

 5月以来久しぶりの更新である。実は静岡HS時点で99%完成していたのだが、シリアルのインレタをヘルダイバーと同時に製作するため、今まで完成が伸びた次第。以下、仕上げ作業の些末な事項。

 本機のシリアル(SW789)はフィクション。ウォーペイントの塗装図の同部隊機の番号を少し変えただけ。胴体横SLINGのインレタは、ほとんど目立たず。インレタ作成の詳細はヘルダイバーその4を参照願う。ウェザリングは、いつものチッピング少々。パネルライン沿いの暗色パステルは、薄汚い仕上がりで後悔。上面と排気汚れに薄めたエナメルのバフと黒をエアブラシ。エナメルが上手く吹けず、これも汚い仕上がりで残念。ホイップアンテナは、当初0.1mm洋白線にしたところすぐ折れ、去病氏より拝領品の渓流釣り緑色テグスに交換。こいつぁ折れなくていいぞ。

 さて、ハセガワベースのシーファイア15は、少々線が細い感無きにしもあらずだが、カッチリした仕上がりとなってくれて、満足である。目先の変わった塗装&マーキングも相まって、それなりの存在感かな。静岡で他のFAA機と較べると、上面塗装が少し暗く(スケールエフェクト不足)、スカイが青すぎるのが反省点。製作開始より1年半以上かかって、やっと完成お披露目。




主翼下面のアンテナ。

シリアルは自作インレタ。

 最後に、ウォーペイントからシーファイア15の戦歴を抄訳にて紹介する。誤訳等あれば是非ご指摘頂きたい。

■ シーファイア15の戦歴

 FAAでは802Sqnを皮切りに5つのスコードロンにおいてF.XVが使用された。ここで紹介するのはこの5部隊である。その他にはカナダ海軍、オーストラリア海軍、フランス海軍でF.XVが使用され、これらにはFAAの中古機が回された。

802スコードロン

 FAA部隊におけるグリフォン・スピットファイアの就役は、RAFより26ヶ月遅かった。1945年5月1日、802スコードロンは、11機のシーファイアF.XV、12機のシーファイアL.IIIを装備し、スコットランドのアーブロース海軍航空基地(RNAS Arbroath,RNAS:Royal Navy Air Station))で編成さた。すぐに、慣熟、編隊、曲技、航法、空戦、レーダー攻撃、バラクーダとの共同攻撃といった転換訓練が始められた。

 シーファイアF.XVは、L.IIIと比較して、ラダーのトリムとコントロールが極端に敏感で、軽いタッチの操作が必要だった。また、グリフォン・シーファイアは地上で前のめりになる傾向があり、飛行隊長のハーグリーブス少佐(Lt Cdr R.E.Hargreaves)は始動時にクルーが尾部に座るよう命じた。ウェストランド製のF.XVは、スロットルとプロペラの操作が連動していたが、後にそれは外された。

 新しいF.XVが飛行を始めると、トラブルが頻発した。5月12日には180度旋回中の隊長と僚機が空中衝突し、両者とも翼を損傷して着陸した。同月半ばには3機がエレベータの欠陥で飛行停止になり、さらに急旋回や背面飛行でエンジンが停止した。こうしたトラブルにもかかわらず、パイロット達はF.XVとパワフルなグリフォンを概ね歓迎した。

 最初の作戦は6月7日の艦隊の護衛であった。12機が出動したが、悪天候のため1機が行方不明になり、捜索中に1機が燃料切れで不時着した。6月には12機のF.XVと6機のL.IIIに減った。北部のトワット基地(RNAS Twatt)に移動し、ADDL(飛行場ダミー甲板着陸)訓練が行われた。7月9日、翼のリベット周囲にクラックが発見され、飛行停止となったが、数日後再開された。

 7月22日にスコットランドのグラスゴー(RNAS Abbotsinch)に移動し、BPF(British Pacific Fleet)の一員として日本を攻撃するため、空母乗船の準備を始めた。8月11日、12機のシーファイアF.XVは空母クィーン(HMS Queen)に吊り上げられた。しかし出航前に日本が降伏したため航海はキャンセルになり、シーファイアは船から降ろされ、スコットランドのエア基地(RNAS Ayr)に移動した。

 9月1日、新しいスティングタイプの着艦フックを装備した4機のシーファイアF.XVが配備され、10月までにさらに12機が配備された。古いVフレームの機体はNutts Cornerにフェリーされた。9月24日には、エンジンのバルブスプリングとカムシャフトの腐蝕が発見され、新しい部品が届くまで全機が飛行停止となった。部隊はさらにいくつかの基地を移動した後、空母ベリック(HMS Berwick)に乗船し、1946年5月13日セイロン(現スリランカ)のコロンボ(Colombo)に移動した。

 7月22日、グリフォンVIエンジンのMレシオ・スパーチャージャー・クラッチが高回転でスリップするというトラブルが発生した。海軍省はシーファイアF.XVが空母運用上の信頼性に欠けると宣言した。ロールスロイス社はクラッチの改良に取り組んだが、新しいクラッチがFAAに供給されたのは1947年初めであった。

 これらの制限にもかかわらず、802sqnはシンガポールに移動した。10月14日にはプロペラがばらばらになり飛行停止となったが、ロートル社から特別な熱帯用プロペラが供給された。11月27日には香港啓徳(Kai Tak)飛行場に移動した。翌1947年3月28日隊員達は英本国へ戻り、残されたシーファイアは、新たに香港に移動した806sqnに移管された。戻った802sqnは新たにシーファイアF.XVの供給を受け、1947年11月24日から翌年3月半ばまで地中海のマルタ島に駐留した。その後、再び本国に戻り、シーフュリーに転換した。

805スコードロン

 1945年9月、805sqnが2番目の飛行隊としてシーファイアF.XVを受領した。12月までに部隊の戦力は12機のF.XVとなり、翌1946年4月まで転換訓練が続いた。7月19日、第20CAG(Carrier Air Group)の一翼として、816sqnのファイアフライとともに空母オーシャン(HMS Ocean)にて地中海に向かった。しかしスーパーチャージャー・クラッチの欠陥により8月4日にシーファイアF.XVの空母発進が中止されたため、陸上運用に制限された。9月に追加のファイアフライが配備され、805sqnは空母に再乗船したが、同時にシーファイアF.XVの運用は終了した。

801スコードロン

 801sqnは、シーファイアL.IIIを装備し空母インプラカブル(HMS Implacable:執念深いの意)にて対日戦に加わったが、日本本土侵攻に備えF.XVに再転換するため、1945年8月12日オーストラリアのシドニーに移動し、そこで終戦となった。F.XVへの転換はスコフィールド(Schofield)において11月から始まった。11月29日の公開展示でノートン少尉(Sub-Lt. J.L.Norton)のF.XVが空中分解し、彼は殉職した。次の問題はエルロンリバーサルで、英本国から技術者が来て翼付け根の外板を交換するまで飛行停止となった。

 翌1946年1月16日からインプラカブルはオーストラリア、ニュージーランドのクルーズを行ったが、参加したのはシーファイアL.IIIのみで、F.XVは空母運用が許可されなかった。801sqnは同年3月に本国に戻ったが、シーファイアF.XVはオーストラリアに残された。(訳注:空母上で撮影された一連の写真がいつだったのか、この記述では不明である。)

806スコードロン

 806sqnは1945年9月からシーファイアL.IIIを退役させF.XVへの転換を始めた。転換作業はウィンチ少尉(Sub-Lt. Winch)が突然スパイラル落下し死亡した事故などにより遅れたが、1946年4月24日極東へ出航した。5月13日にセイロンのトリンコマリー(Trincomalee)に到着。12機のF.XVを受領し、第16CAGに所属、9月20日より空母グローリ(HMS Glory)に乗船し太平洋、インド洋クルーズに出航した。途中香港、シンガポールに滞在し、1年後に本国に戻り、1947年10月6日に解隊した。

804スコードロン

 804sqnは1946年10月1日に北アイルランドのメイダウン基地(RNAS Maydown)で13機のF.XVを装備して編成された。届けられた機体は中古で、Aフレームフックの機体も含まれていた。空母作戦の訓練の傍ら、機材のメンテナンスとオーバーホールを行い、翌1947年2月、第14CAGとして空母シーシュース(HMS Theseus:ギリシア神話の英雄テセウス)にて極東へ出航し、3月15日にセイロンのトリンコマリーに到着した。

 その後、マラヤ(現在のマレーシア)では、地元警察の要請により、海賊の捜索に出動した。さらに、シンガポール、香港、オーストラリア、ニュージーランド、ガダルカナルなどを経由し1947年11月にクルーズの飛行を終え、同年12月にフォード基地(RNAS Ford)に戻った。クリスマスの後、部隊は新しいシーファイアFR.47に転換した。

■ 参考資料

 参考文献は、スピット2の項を参照願う。グリフォン・シーファイアについては、ウォーペイント、ウォーバード・テック(グリフォン)が参考になる。FAAについては、スコードロンの「Fleet Air Arm」が手頃な一冊。Schiffer社刊の「Britain's Fleet Air Arm in World War II」の大著は、コアな蛇の目ファンにはお奨め。ただし両者はかなり写真が共通している。これ見るとシーハリケーンやファイアフライなんかも作りたくなってくるぞ。

801スコードロンの歴史



FAAシーファイアに続く。

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