メッサーシュミット Bf109F−4
Messerschmitt Bf109F-4 trop

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Bf109F-4 trop (W.Nr.10137) "Gelben 14" flown by Oberleutnant Hans-Joachim Marseille the I./JG 27, 17th June 1942, North Africa.











作品は、1942年6月17日、ハンス ヨアヒム マルセイユ中尉が、101機目の撃墜を記録した日の乗機Bf109F−4tropである。

彼が北アフリカの砂漠に来て1年2ヶ月余。この間乗機がEからFに転換し、4月には中尉に昇進したばかり。この日、尾翼に95機のスコアを記した「黄の14」W.Nr.10137を駆った彼は、時刻1202から1212の僅か10分間に6機を撃墜。この戦功により、剣柏葉騎士鉄十字章と5週間の休暇が与えられた。

マルセイユは、1919年ベルリンに生まれ、1939年にルフトバッフェ入隊。4./JG53に所属し、バトル・オブ・ブリテンで7機撃墜。素行不良が原因でT./JG27に異動させられ、41年4月に同隊と共に北アフリカへ。同月23日のハリケーンが、アフリカでの最初の撃墜記録となる。翌42年2月17日に50機、6月5日75機、その僅か12日後に100機を記録。8月23日に前線に戻ってからも、9月1日には1日で17機を記録、9月15日に150機と、そのペースは驚異的である。

まぎれもなく彼は天才的な戦闘機乗りであった。

運命の9月30日、スツーカのエスコートで、受領したばかりのBf109G−2(W.Nr.14256)に搭乗。1047離陸、ミッションが終了し帰還中の1135、コクピット内に煙。1139最後の通信「脱出する。これ以上いられない」。僚機の見守る中、背面からダイブに入り脱出。尾翼に激突し、そのまま地上に落下。パラシュートは開かなかった。この時、22歳9ヶ月。エジプト西方Sidiの7km南には今も墓標が立つ。

総計388の戦闘ミッションで、通算記録158機の撃墜。その全てが西部戦線、うち154機が戦闘機(P−40が101機、ハリケーン30機、スピットファイア16機)、4機が爆撃機。
北アフリカで独軍が記録した1300機余の撃墜のうち、674機が僅か15人のパイロットによって成された。その頂点に立つのは、もちろん”ヨッヘン”マルセイユである。



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