グラマン F6F-5 ヘルキャット

Grumman F6F-5 Hellcat




F6F-5 Bu.No.70143 Minsi III of Commander David McCampbell the commanding officer of Carrier Air Group 15, USS Essex, October 24, 1944


















レイテ湾の戦いの始まった1944年10月24日の朝、彼は僚機とともに80機の敵編隊に立ち向かった。彼の専用機「ミンシIII世」(BuNo70143)は、格納甲板に駐機したまま何の準備もされていなかった。CAGが出撃することが伝えられると急いで飛行甲板に上げられて、時間の許す限り燃料が注入されたが、増槽は満タンになったものの胴体内部タンクを満たすまでにはいたらなかった。この状態のまま彼は記録的な短時間でエセックスから発艦、第15戦闘飛行隊の最後のヘルキャット7機を率いて、来襲する敵機の大編隊を迎撃に向かった。

90分後、燃料と弾薬が尽きて戦いを切り上げたマッキャンベルは、撃墜確実9機、不確実2機という戦果を報じた。エセックスに帰投するには燃料不足と判断した彼はラングレーに降りたが、着艦をなんなくやり遂げた直後、乗機のエンジンは燃料が尽きて停止した。

レイテ湾の戦いは、強力だった日本の艦隊を事実上無力化した。10月23日から26日までの4日間で、帝国海軍は4隻の空母、3隻の戦艦、9隻の巡洋艦を含む24隻の軍艦を失った。米海軍のパイロットと搭乗員は、様々な要因による140機の損失と引き換えに、657機の撃墜戦果を主張している。 (バレット・ティルマン著、佐田晶訳「第二次大戦のヘルキャットエース」より引用)






製作記

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