モスキートPR.XVI 製作記その3


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完成。



 塗装 4/22追加




■ 考証

 当初の予定どおり、全面PRUブルーに尾翼を赤白のキャンディーストライプに塗った、RAF 680スコードロン所属シリアルNS644機番"G"とする。680sqnは、1943年エジプトにてスピットファイア、ハリケーン、ボーファイターを装備して編成され、北アフリカから東地中海の偵察任務を行った。同隊にモスキートが配備されたのは44年2月であり、同年8月に分遣隊をイタリアのFoggia基地に送り、終戦までイタリアに駐留した。

 赤白ストライプは、双発で機影の似ているMe410との誤認を避ける目的とされる。同隊および同じ基地に展開したSAAF(南アフリカ空軍)60sqnにおけるPR.XVIの写真を見ると、ラダーのみのもの、それが白地の無い赤ストライプのみのもの、全くストライプの無いものなど様々(文献-8)。

 また、資料によりNS644レター"G"をSAAF 60sqn所属とするものもあり(文献-10、16)、どちらが正しいかは不明。同機のラウンデルは、白環の有無の異なる2状態での写真があり、白環ありの場合、中心はオレンジ色でそれがSAAFラウンデルであるとする資料もある(文献-16)。確かにRAFで一般的なタイプCラウンデルとは直径の比率が異なる。

 他に赤白ストライプ機で写真で機番の確認できるものは"H"があるが、これのシリアルナンバーが資料によって異なり(NS851とNS691、遠目には似てるな)、写真でも不鮮明でどちらの説とも判別しがたい。ちなみに、H、Gとも胴体に黒白帯を巻いているが、胴体ラウンデルとの位置関係が異なっているので注意。


■ 調色

 PRUブルーの色調については、不勉強にて規格ナンバーを知らない。まあ、知っててもカラーチャートを持ってないので役に立たない。いつものように当時のオリジナルカラー写真などから自分勝手にイメージする。レストアされたPR型スピットファイアの色もそれに一役買ってたりして(RAF規格の色で塗ってるんじゃないかと・・)。調色のポイントとしては、彩度と明度を抑えめにして、若干の赤味を加えること。モノクロ写真ではダルレッドより暗く写っているものもある(ただしフィルタやフィルムのいたずらの可能性あり)。



PRUブルーに使用した3色。


 そんなこんなで結局レシピは、#72ミディアムブルー、#74エアスペリオリティーブルー、#331ダークシーグレイを2:1:1。


■ 基本塗装

 下塗りはいつもの手順。上塗りは明度の異なる3色を用意し、上面、側面、下面で使い分ける。塗装工程では、表面のざらつきをできる限り抑えるのが美しく見せるコツ。垂れる寸前まで厚く吹くというのは好きじゃないので、できるだけ薄く希釈した塗料を少しずつ重ねていく。1層吹く毎に1500番程度のペーパーでざらつきを落とす。モスキートは、パネルラインは少ないが、微少な凸凹が多くて磨きづらい。エッジなどで下地が露出するが気にしない。次の吹きつけ工程でカバー可能だし、エッジは最後に面相筆でチッピングするのだ。



ブルーを1層吹いた状態。このように微小な凸凹が生じてしまう。

1,500番のペーパーをかけたところ。艶が出るまで磨く必要はなくて、これはやりすぎ。



■ 680sqnクルーの記録

 さて、ここらで当時の戦歴をふり返ってみたい。オスプレイの"Mosquito Photo-Reconnaissance Units of World War 2"から680スコードロンに関する部分を、いつものテキトー抄訳にて引用紹介する。

 これを読むと、偵察という任務は、地味であるが戦闘機や爆撃機と同様に危険な任務であることがよく解る。しかも武装は一切持たず、「武器」となるのはその高速だけなのだ。


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 PR.XVIの生産は1943年11月に始まり、435機が生産された。100ガロンのドロップタンクをつけたPR.XVIは2000マイルのレンジがあった。1944年1月末、最初に中東に届いたPR.XVIはMM292であった。そして2月17日に680スコードロンの最初の9機のPR.XVIがカイロのMatariyaに到着した。5月7日、680スコードロンはYelland大尉の操縦するMM333により、クレタ島とキクラデス諸島の港と飛行場への最初のモスキートによる偵察ソーティーを行った。

 680スコードロンのBフライトは、ギリシャおよびバルカン半島、さらに後には中央および南部ヨーロッパをほとんどカバーした。一方、SAAF(南アフリカ空軍)60スコードロンのBフライトは、南部ヨーロッパとポーランドへ深く侵入した。Ron Watson少尉(彼は既にスピットファイアでPRツアーを終えていた)と1943年12月からペアを組んだナビゲータのLawrence 'Kev' Kevan軍曹は、680スコードロンでの当時を回顧する。

 「1944年〈訳注:原文は1943年だが間違い〉9月26日、私はMM348でLaw少佐とベンガジ近くのTocraの前線基地からギリシャ、エーゲ、クレタへの5時間半の作戦を行った。私はCorinth運河からアテネのPireausへの写真撮影飛行中に、初めて約25発の対空砲を経験した。黒いきのこ雲の中を、機首に腹這いとなり、パイロットに『左、左、右、そのまま』などと指示するのは奇妙な感覚だった。

 「10月16日には、Ron Watson少尉とTocraからギリシャ〜エーゲ〜クレタへ再びMM348にて飛んだ。Salonikaの市街地、港、鉄道ヤードへの撮影飛行で、私が機首に腹這いとなりカメラを操作しているとき、およそ100発の対空砲火を受けた。Tocraに着陸し、我々は機体の腹の爆弾倉ドアの前部に刺さった砲弾の破片を発見した。−それは私の腹の近くでもあった!

 「4日後、ギリシャとエーゲへのMM330での別の作戦では、我々は雲量10/10の雲と雷の中をRonが作戦不可能と決断するまで1時間半、高度23,000フィートで飛んだ。そのうち彼は計器を疑い始めた。彼は急降下し、Corinth運河の上空1,000フィートでようやく雲を抜けた。我々はほとんど海面高度で引き起こし、地中海を越えてTocraへ戻った。本当に幸運だったと思う。

 「10月29日は、MM330でTocraからギリシャ〜Salonika〜クレタに飛んだ。アテネ南方でレヴ操作不能により右舷エンジンをフェザーにして、再び作戦を断念した。我々はアテネに緊急着陸した。そこで地上員はCSU〈コンスタント・スピード・ユニット:定速プロペラのピッチと回転数をコントロールする。スピナーの直後についている。〉のナットが外れているのを見つけた。10月30日、我々はTocraに戻り、11月1日にMM330で再び断念した作戦を実行した。

 「しかし、またも右舷エンジンをフェザーにせざるを得なくなり、クレタまでしか行けなかった! 11月22日はMM297でRhodes〜Dodeconese〜Melos〜クレタに飛んだ。今度はうまくいったが、Suda湾の上空では50発の正確な対空砲撃を受けた。1944年の9月、10月、11月はRonと私にとって全くエキサイティングだった。」


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 内容は適当に端折っているので悪しからず。誤訳等お気づきの点があればメールなどでお知らせいただけると幸い。


■ 主脚まわり 4/28追加

 モスキートの主脚には複雑に曲げられたパイプが取り付けられている。これは脚ドアガイドで、脚を出す際に、これで脚ドアを押し開く。生産時期により2タイプあり、キットは前期型でシンプルな形だが、後期になるとやたら複雑になるのだ。

 写真からパイプの太さを割り出すと、1/48実寸で0.45mm。手元には同径の金属線がなく、やむなく0.5mm真鍮線を使用。大きさ、形を揃えるため、治具を作って曲げる。直角に曲げるところは、ヤスリでくさび状に削ってから曲げるのだが、角度を微調整している間にすぐ折れる。折れたパーツを眺めていると「これ、前期型と同じ形じゃん」ということで、失敗作を前期型ガイドに再生する。これ1機分を1名様にプレゼント。ご希望の方はメールにてドウゾ。



脚ドアガイドをφ0.5mm真鍮線で自作。このような治具で形を揃える。右端は前期型の脚ドアガイド。

キットの脚ドアガイドのモールドを削って接着。脚柱の円盤形モールドを残すのが面倒。


 当初は全て半田付けでの組み立てを試みるが、それだと形にはなるのだが精度がいまいち。結局、全部は諦め、一筆書き部分だけ半田付けして、あとは延ばしランナーを瞬間で接着。強度的には問題ない部分である。その他、中央部のX型の部分を伸ばしランナーで置き換えたり、脚柱下端部にボルト追加などチマチマと。主脚ドアには小判型のモールドがあるが、キットのものはエッジが曖昧。0.14mmプラバンを切り抜いて接着。



泥よけ。三角形の部材を0.2mmプラバンで置き換えてみたが、目立たない場所なのでもう片方はキットパーツを薄く削ってお茶を濁す。

さらにディティールを追加した主脚。タイヤを後はめできるように小加工。左はキットオリジナル。

右上のクローズアップ。尾脚は型抜きの都合で再現されない前方側のディティールを彫り込むと雰囲気ヨロシ。

小物も概ね終了。



■ マーキング塗装

 胴体の味方識別帯は、実機写真を見ると結構ヨレヨレだが、あまり忠実に再現すると模型としての美しさが損なわれる、というか下手くそに見えるので、適当に「美化」する(←これは私のポリシー)。帯は機軸に直角でなく胴体下端に直角に塗られているので、そのように再現。黒い部分は、実際にはナイト(微かに青味がかった黒)で塗装されたんじゃないかとも思うが、いつものように半艶黒に白20%混入のチャコールグレイで塗装。生の黒は結構キツイ色なので、私は使わない。



まず白のためのマスキング。大きい面積を覆うにはキッチンラップが便利。

白を塗装し、次は黒帯。ひたすらマスキングと塗装を繰り返していく。メンドクセー!


 尾翼の赤ストライプはダルレッドと解釈。ダルブルーとも、これまたいつもの自作カラー。レシピは過去の製作記にも書いたが、ダルレッドは赤#327、黄#58、グレイ#331を2:1:1、ダルブルーは紺#326、グレイ#331を3:1ぐらいか(最近の#326は赤味があるので黄微量で補正する)。スピナの黄色は、オリジナルカラー写真のイメージで、若干退色した色調とし、P-40Lで作ったものをそのまま使用(黄橙色に青微量で赤味を抑え、さらに白を3割ほど)。



次にラウンデルの青と尾翼の赤のためのマスキング。ラウンデルの赤と青は塗り重ねず「突き合わせ」で塗る。

ラウンデルの青を吹き、赤のためのマスキング。機番"G"のマスキングシートはは河井氏に作成いただいた。大感謝。


 尾翼の赤白帯は写真により赤と白の比率が異なる。"H"だと赤:白が1:2ぐらいだけど、"G"は1:1に近い。写真から割り出して赤2.8mm、白3.0mm、角度は52°とする。ところで、文献-16「War Paint」のNS644"G"のイラストには大きな間違いがある。なんとストライプの数が2本も多い。このイラストには翼下に白黒帯があるけど、実機写真では不明。まあ「この程度」のイラストと考え、これは無視。



主翼ラウンデルも同様。主翼上面のみダルブルーとダルレッドに少量の白を加え、退色させる。

マーキング塗装ほぼ終了の図。なんかオモチャっぽいなー。このあとのウェザリングでどれだけリアリティにせまれるか。←不安。


 参考までにマーキング関係の寸法を記す。主翼ラウンデルは直径54inで1/48実寸で28.6mm、中心の赤は11.4mm、位置は胴体中心からラウンデル中心までが114mm。胴体ラウンデルは30inで15.9mm、赤6.4mm、位置は白黒帯に合わせる。その帯は胴体上側で測って、幅63mm一番後方の白帯の幅が他より広い。フィンフラッシュは12×12in(赤白青は5,2,5)だから6.4mm。機番Gは18×12inで9.5×6.4mm。プロペラ先端の黄色は幅5inで2.6mm。

 重箱の隅。NS644はラウンデルに白環があるときには、垂直尾翼付け根のフェアリング部にストライプが無く、白環がないときにはストライプがある。前者の写真を見ると、金属製のフェアリングを取り替えて無塗装のようにも見える。

 もう1つ、どうでもいい話。先日、AIRES製レジンパーツのモスキート用タイヤを発見。「やられた!」と思ってパーツをよく見たら、キットの階段状ブロックパターンはそのまま。「勝ったぜ!」


■ 細部マーキング 5/8追加

 マーキングを追加するとともに、吹きこぼしなどをタッチアップ。作品では、主脚ドアの内側を含め、脚収容部内部はすべて銀で塗ったが、レストア機など見ていると、脚庫の天井付近だけはインテリアグリーンで塗装されている。こちらが正しいかも。



ラジエータ部の歩行禁止ラインはダルレッド。以前はエアブラシしていたが、マスキングが面倒なので筆塗り。

シリアルナンバーは、これも河井氏に作成いただいたカッティングシート。いまいち文字がよれているのは腕(貼り方)の問題。



■ 細部 

 主脚にブレーキパイプを取り付ける。写真を見ると、初期に生産されたタイプではこれが見あたらないのだけど、どうして? PR.XVIには付いており、それは左右両方の脚柱にあり計4本となる。
 写真を見ていて、ナセル上部のアウトレットと小アクセスパネルを忘れているのに気付く。それとキットで機首側面窓の後下方にある円形のモールド(ピトー管静圧ヘッド)は後期には小判型となり位置も異なる。ちまちまと追加&修正。塗装後なので気を使う。

 アンテナ柱は真鍮棒を削る。アンテナ線がとりつく部分に小さな凸があるのだが、これはアンテナ線に通した0.5mm真鍮パイプをペンチでつぶして再現。垂直尾翼のアンテナ線の受けは0.2mm真鍮線を環状によじったもの。ピトー管は0.5mm真鍮パイプと0.3mm洋白線。



ブレーキパイプ。延ばしランナー、焼き鈍した0.4mm真鍮線、接続部はプラパイプ(綿棒の軸)を炙って伸ばしたもの。

忘れ物を追加。機首のは、右側のモールドを溶きパテで埋め、左側に楕円型をスジ彫りする。


 主脚ドアの取り付けに難儀する。開状態でのドアとナセルとの間隔は、実機では狭いのだが、キットではドアの中央部がナセル側面に干渉して、前側を正しい間隔に合わせると後ろ側が開いてしまう。実はタミヤだからと盲信してて、今までチェックを怠ったツケを払わされたワケ。

 原因はキットの脚ドアの形状(湾曲ぐあい)に問題があり、ひいてはナセル自体の形も違っているということになるのだが、今更そこまでの修正は無理というもの。お手軽には脚ドアパーツをねじるように曲げると、ドアとナセルの関係を多少は改善できる。ドアの隙間が実機どおりでないので、ドアヒンジも実機どおりとはいかず、適当に誤魔化して接着してしまう。

 さらに細かいことを言うと、側面から見たときのナセルとドアの関係においても、キットは少々違いがあり、前側は僅かに隙間ができるのが正。


■ ウェザリング

 大きなタイヤは目立つので、上手にウェザリングできれば格好のアピールポイントになるカナ。実機の写真をよく見て汚れ方を観察する。トレッド面は自作タイヤブラックにセールカラーを混ぜて埃を再現。セールカラー生でなくグレイと混ぜるのがミソ。側面はそれより汚れていないのでタイヤブラックそのままとする。吹き付けだけではぼやけた仕上がりだが、適宜ドライブラシを併用するといい感じで、自分ではかなり気に入っている。このセールカラー+タイヤブラックを排気の当たるナセル側面に吹くと、これまたいい感じ。

 私の定番、面相筆チッピングはミディアムシーグレイ。銀はコントラストがつき過ぎてクドい感じになり、好みでない。木製機をアピールするため、金属部を少し過剰なくらいにハゲチョロにする。一方、木部に何もウェザリングなしだと広い面がのっぺりするので、主翼付け根や主翼の補強部材などに、ドライブラシ気味に同色をかすらせる。

 ちなみに、実機では木部は赤色のドープで布を貼り、その上に銀ドープ(顔料のアルミニウム粉で紫外線をカットする)を塗装し、カモフラージュ塗装となるので、金属部、木部とも同じ色ではがれを表現することは、理屈上は間違いではない。木だからといって、いきなりタンなど塗るのはNGだ。

 最後に、機体全体や脚部にウォッシング。新たに購入したクレオスのウェザリング用パステル粉のダークグレイを石鹸水で溶いて使用。色がマイルドで私好み。



タイヤのウェザリングはエアブラシと筆を併用。ブレーキパイプの取付けにも注目。

金属パネル部分には、面相筆でチッピングすることで、材質の違いを視覚的に説明する。






 おわりに 




■ 完成 5/17追加

 前回更新より多少手を入れる。追加箇所はコーションデータのインレタ(ヘルダイバーと同時に作成)とインテイク前の防氷ガード。これはキットパーツをくり抜いて目の細かい金属網を瞬間で接着した後、周囲を削ることで細いフレームを再現する。そのほかタミヤウェザリングマスターのスス、サビで汚れを追加。これは手軽にリアルな汚しができて便利。ただし若干ツヤが出るのと、手軽さゆえ、やり過ぎてしまうのが注意点か。

 以上で完成。毎回製作前には「さらり」と作ろうと思うのだが、やっているうちに肩に力が入ってしまうのはいつものこと。今から思えば機首はエアフィクスにすげ替えるべきであり、なまじタミヤを使ったばかりに余計な苦労をすることとなった。でもまあ、機首のイメージは実機に近づいたので、よしとしよう。垂直尾翼と後部胴体の修正については、効果の程は疑問。これは製作中から判っていたことで、修正は単なるウケ狙い。

 木製機の「つるん」とした外面は、私のセンスではどうもオモチャっぽさが抜け切らない。模型としてのモスキートは、一見簡単そうで実は難しいと思い知らされる。実機を見た人の話では、本物も大きなプラモデルのようだったそうだから、それはそれでリアルなのかもと自分を慰める。




 偵察機というのは、模型界ではマイナーなアイテムだが、製作中に資料文献などを読むうち、偵察機クルーに共感を覚えるようになった。というのは、パイロットはその性格や適性により、戦闘機型、爆撃機型、偵察機型に分けられるそうだが、勝手な思い込みでは自分はどうも偵察機型という気がするのだ(パイロットとしての適性はさておき)。

 そういうことを考えながら、改めて机上の青いPR.XVIを眺める。本当に美しい機体であると思う。ほとんどスクラッチとなった2段過給機型エンジンナセルの出来映えには自己満足で、モスキートならこれしかないと再認識する次第。





■ 680Sqnクルーの記録その2

 最後に前回の続編を紹介する。前編にも増して、非武装の木製機で敵地上空を飛ぶということが、どういうことかがよく解る。オスプレイには両名の写真がある。パイロットのRonは生真面目かつ意志の強い、ナビゲータのKevは柔和かつ柔軟な印象を受けるが、それがそのままこの物語の過酷な結末に結びついている気がする。


・ ・ ・ ・ ・


 1945年4月30日、Lawrence 'Kev' Kevan准尉とRon Watson中尉〈訳注:ともに昇格している〉は彼らのツアー完了となる作戦に出撃した。離陸直前に飛行計画はロードス島のレーダー基地への緊急の低高度目視偵察に変えられた。Kevanは回想する。

「0820に我々はMM333で出撃した。ロードス島の西海岸沖にあるAllinia島とCalchi島への高度約1,000フィートの目視偵察の後、我々はKattavia基地近くのレーダー基地へと向かった。200フィートに降下すると木々のわずかな隙間からレーダーマストが見えた。Ronは高度30フィートに下げたので、私は可能な限りのディティールを見ることができた。ドイツ軍は周辺にいないようであった。そこでRonは見落としがないよう30フィートで再び通過することに決めた。しかし我々が目標に接近すると、突然兵隊たちが機銃を撃ちながら現れ、機体とそして我々はひどく撃たれた。

 「彼はコントロールを取り戻すとズーム上昇した。私は『よし、彼は大丈夫だ。』と思った。1,500フィートで水平飛行に移ると、突然Ronは『Kev、操縦してくれ。』と言った。私はそのとおりにしたが、後でまた彼に代わると思った。しかし彼にはできなかった。次の言葉はショックであった。『Kev、基地に戻って機を墜落させてくれ、私は動けない。』 彼は操縦桿を私に持たせた。私は飛行訓練を全く受けてなかった。ましてやモシーの窮屈なコクピット空間の中では!
 意識を失い傷ついたパイロットと席を替わることは不可能だった。考えがぐるぐると頭の中を駆け巡った。私はRonの足をペダルから外し、高度1,500フィートに保ち太陽に向かって飛ぶことに決めた。それは私をエジプト南方の海岸に導くはずだ。

 「しばらくするとRonは意識を取り戻した。『なぜ南に向かうのか。クレタ島に行った方が近い。』 私は否定した。山地では生還のチャンスが少ない。彼は再び無意識となった。半時間後、彼はまた意識を取り戻し、静かに言った。『Kev、私はもうだめだ。家族にさよならと伝えてくれ。』 私はそんなことを言うんじゃない、きっと助かると言った。しかしRonは今にも死んでいくかのようで、私に手を握るように言い、別れを告げた。そして彼は無意識の中に沈んでいった。

 「私は、パイロットのR/T〈無線装置〉を使い、IFF〈敵味方識別装置〉をメーデー〈緊急事態〉にスイッチした。彼の左側にあるR/Tコントロールにはなかなか手が届かず、そのため機体はスイッチバックのように揺れた。何度も試してようやくLydda基地の司令部から私のコールサイン『クリーブランド25』の呼びかけがあった。彼らは東に転針しパレスチナの海岸に向かうように指示し、ついにそこに到達した。

 「Lydda基地は機体の技術的詳細と着陸についていろいろと質問したが、私が『自分はナビゲータで飛行機を着陸させたことはない』と答えると絶句した。彼らは私に機外脱出するように勧告した。しかし私はパイロットにはまだ助かる可能性があると信じていた。そこで私は着陸をやってみるしかないと伝えた。R/Tを操作しながら機体を操縦することはできなかった。そこでこれ以上話すことはできないが、聞くことはできると伝えた。彼らは答えた。『OK、グッドラック。』

 「私は高度を下げアプローチした。周回するには大きな問題があった。私はナビゲータ席から操縦しており、ラダーのコントロールができないのだ。機は時速250〜300マイルで飛行するよう調整され、私はあえてスロットルとフラップを操作せず、脚さえも出さなかった! 3回の周回をする間、滑走路では様々な準備が整えられた。私は機を高度20フィート以下にできず、高度を上げ周回してやりなおした。最後の進入で『イチかバチ』だと決心した。時速200マイルで滑走路に胴体着陸した。

 「ありがたいことに、水平に両方のエンジンナセルで着地した。しかし、衝撃が相当大きかったため、機体は再び数百フィートまで上昇した。私は上昇の頂点で水平に保ち、再び機体を水平にしたまま降下するしかなかった。私は操縦桿をやさしく前方に押し、地面に近づいたと判断したときに戻した。私は滑走路を外れ、モシーの腹で着陸した。私は操縦桿を左に傾け、機を90度旋回させて止めた。

 「私は自分とRonのハーネスを外し、彼を持ち上げようとしたが動かなかった。私は翼の上に飛び出した。救急車、消防車、ステーションワゴンがやってくるのが見えた。基地の大佐が手伝ってくれ、私とRonは救急車で病院に運ばれた。私はそこで腕の傷の手当てを受けた。その夜、私はRonが飛行中に死亡していたことを知らされた。Ronは胃を撃たれ、それが致命傷となったのだ。これが我々のツアーの、そして16ヶ月共に飛んだ最後となった。この最後のフライトは5時間40分で、私はMM333で2時間40分飛んだこととなった。翌日RonはRamla墓地に埋葬され、葬儀の後、私は彼の墓前でDFCを授与された。」


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 参考資料 3/21追加



■ 参考文献

 モスキートの手持ち資料は、モノグラフが1〜11の12冊。戦闘機型のみの本も含むが、多いのか少ないのか。ただし文献-9、11は借用品。文献-2のエアロディティールの図面は、精緻な検証はしていないが見たところ信頼できそうで、模型製作にはオススメ。PR型については文献-8のオスプレイ本が最もまとまっており、写真も多い。訳本は未刊。シュペールイヤミ@カンダさ〜ん、早く訳して〜。文献-7はCrowood通例の手堅くまとまった好著。ペーパーバックならアマゾンなどで安価で購入できる。ただし文献-3、8、9と同じ著者で、内容的に重複する部分が大。

 文献-12以下は、モノグラフではないが模型製作上参考度の高いもの。文献-12にはPRUブルーに身を包んだPR.XVIのカラー写真があり、塗装の参考度大だ。文献-13には、尾翼を赤白ストライプに塗った680Sqnの貴重なオリジナル・カラー写真がある。印刷の質が悪いのが残念だが、RAFファンなら持っていて損はない一冊。

 文献-14は、レストア機の空撮写真集。この種の本に感動しない人は真のヒコーキファンではない、と断言したい。美しいだけでなく形状把握の資料としても一級品。文献-15の2nd TAF本は3分冊で全部揃えると値段も張るが、インベイジョン・ストライプのモッシーはじめ、スピット、タイフーン、テンペストなど大戦後期RAF機の珍しい写真がてんこ盛りで、これもRAFファンには絶対オススメ。他にもモッシーが出ている本はまだあるけど省略。



左上から時計回りに、文献-10、7、1(旧版)、6、4、12、中が8



3/21追加

 ウォーペイントのモスキートを購入。写真が少なくちょっとガッカリ。まあ、綺麗な塗装図を見ているだけで楽しめるけど。



1 旧版/新版 世界の傑作機 文林堂
2 エアロ・ディティール23 デ・ハヴィランド・モスキート 大日本絵画
3 オスプレイ軍用機シリーズ42 モスキート爆撃機/戦闘爆撃機部隊の戦歴 大日本絵画
4 Mosquito in action part-1 Aircraft No.127 Squadron/Signal Publications
5 Mosquito in action part-2 Aircraft No.139 Squadron/Signal Publications
6 Walk Around Mosquito Walk Around Number 15 Squadron/Signal Publications
7 De Havilland Mosquito Crowood Press
8 Mosquito Photo-Reconnaissance Units of World War 2 Osprey Publishing
9 Mosquito Fighter/Fighter-Bommer Units of World War 2 Osprey Publishing
10 Mosquito at War Ian Allan Publishing
11 Modellers Datafile 1 The De Havilland Mosquito SAM Publications
12 War Eagles in Original Color Widewing Publications
13 The Royal Air Force of World War Two in Color Arms and Armour
14 Warbird Legends MBI Publishing
15 2nd Tactical Air Force vol.1-3 Classic Publications
16 Warpaint Special No.3 De Havilland Mosquito Warpaint Books


■ 参考サイト

 こるべ氏のサイトでは、超絶ディティールのFB.VIが進行中。そこでも紹介されている海外サイトには、実機細部写真が300枚以上も掲載されている。
  1. こるべ氏のサイト
  2. 現存実機写真多数
  3. おなじみAirliners.net
  4. データ多数。他のページも要チェック
  5. 現存実機写真多数 12/8追加


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