デハヴィランド モスキート PR.XVI
De Havilland Mosquito PR.XVI
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Mosquito PR.XVI of the 680 Sqn, Foggia Itary, 1944. |
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『680スコードロンは、当初スピットファイアを装備して偵察任務を行っていたが、1944年2月17日に最初の9機のモスキートPR.XVI(MM297)を、カイロ郊外のマターリヤ基地で受領した。モスキートはJ R ウェラン中佐率いるトクラの第1分遣隊に配備された。5月7日、680スコードロンはMM333(A M イェランド大尉操縦)にて、遠くギリシャのサロニカとラリッサの港、飛行場への、最初のモスキートによる偵察作戦を行った。 1944年を通してBフライトは主にギリシャ、バルカン、および中央、東ヨーロッパをカバーした。100ガロンドロップタンクによりPR.XVIは2,000マイルのレンジを誇った。1944年8月にはオーストリア、ババリア、ユーゴスラビアへの偵察任務のため、分遣隊がサン・セベロに移動した。その年の末までにPR.XVIはA、B両フライトに配備され、それらは南部ドイツ、オーストリア、チェコスロバキア、および東部地中海をカバーした。 敵戦闘機(同時にいわゆる味方戦闘機も)により、いくらかの損失を出した後、1944年はじめに米15空軍31戦闘飛行群のP-51による護衛がつくようになり、モスキートを連合軍パイロットからより視認しやすくするため、680スコードロンは尾翼の赤白ストライプを1944年春より適用した。』 (Martin Bowman著「Mosquito Photo-Reconnaissance Units of World War 2」より引用) |