リパブリック P−47D−25−RE サンダーボルト
Republic P-47D-25-RE Thunderbolt

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"HAIRLESS JOE" P-47D-25-RE 42-26641 coded LM-S flown by Lt.Colnel David Schilling, the 56th FG 1944,Boxted England







モデルは、56戦闘航空団(FG)司令 デイビッド・シリング少佐機(P-47D-25-RE、シリアル42-26641)である。シリング少佐は当初56FG傘下の62戦闘航空隊の初代指揮官となり、1943年8月には56FG副司令、44年8月にはゼムケ(Hubert Zemke)の後任として司令に就任した。少佐は43年10月2日にBf110を撃墜したのを最初に、44年12月23日にBf109×3、Fw190×2を撃墜するまで、空対空撃墜22.5機、地上撃破11.5機の戦果を上げ、56FGのトップエースとなった。
56FGは、43年4月にP−47Cで最初のコンバット・ミッションを遂行してから、北西ヨーロッパを戦場に終戦まで終始サンダーボルトを使い続け、665.5機の空対空撃墜を果たし、42人のエースを輩出した。 第2次大戦後もP−80、F−86で朝鮮戦争、F−4でベトナム戦争に 参加している。

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