P−47N製作記 その2

前ページへ






 

 塗装


■ 銀塗装

 ナチュラルメタルの表現は、今回のもう1つの課題。当時の写真でも、工場から出たばかりでキンキラキンのイメージが強い。この「ゴージャス」と形容したいほどの輝きが、作品でうまく再現できるかどうか。

 技法は、やまい氏のハイブリッド塗りとする。試し塗りの結果、Mr.のクロームシルバー+黒を下地に、クロームシルバーなどのドライブラシとする。クロームシルバーに#2黒を混ぜても輝きの低下が少なく、この組み合わせは他にも有用だ。
 塗料の塗り重ねでせっかくのリベットが埋まってしまっては、今までの苦労が報われないので、塗装の順序に知恵を絞る。いろいろ考えた末、次のとおりとする。

@ #1000サフ → A #8銀ナマ → B クロームシルバー+#2黒 → C ドライブラシ → D #46クリア → E 銀以外の塗装(尾翼と主翼帯、オリーブドラブ、国籍マーク、ジンクロなど) → F #2000ペーパー磨き → G デカール → H クリア&フラットクリア(OD部分) → I ウェザリング



クロームシルバー+黒を吹いたところまで。輝いてはいるが、まだ塗装っぽい。

左のクローズアップ。

クロームシルバーでドライブラシ。ヘアラインが入って、自分でもビックリ!の金属感。

使用道具(Mr.Color SM06 Chrome Silver)。ドライブラシの密度などは、各自研究されたし。

 補足説明。下地塗装までは、極力薄く。#8銀はエッジが透けるのを防ぐ目的もあり、尾翼にも万遍なく。一部パネルは、下地の色を変えたり(黒を混ぜない)、ドライブラシの密度や使用色(スーパーステンレス)を変えたりして、トーンを変えてある。ドライブラシしたクロームシルバーは、その後に薄くクリアーを吹いてもあまり輝きが失せない。ただし厚吹きだと保証の限りでない。

■ マーキングの考証 12/3追加

 マーキングの選定が難問。実機写真の有無、デカールの出来具合等々悩ましい。Nといえば黄色い尾翼に△マークが本命で、本当は「The SHELL PUSHER」にしたいが、デカールの考証に難点あり。PYNUPデカールの「2 BIG and too HEAVY」も捨てがたいが、アミ点の印刷っぽい仕上がりがいまいちグッと来ない。

 とりあえず463FS所属「EXPECTED GOOSE」に決定し、尾翼を黄色に塗る。しかし残念ながら、パイロット名は不詳だ。戦歴などを調べるうち、同じ伊江島の464FS所属「Li'l Meaties' MEAT CHOPPER」に惹かれてくる。幸い同じ黄色い尾翼をしており、まだ変更が間に合うぞ。

 デカールは、CAM48−112「The SHELL PUSHER」と同じシートに収められている。葉巻に銃のグレた赤ん坊のノーズアートが魅力的だ。ニックネームは「お肉ちゃんの肉切り包丁」とでも訳せそうだが、赤ん坊のぷよぷよしたお肉と、日の丸をミートボールと呼んだのをかけたのだろうか。


CAM48−112の再掲。こちらのノーズアートのサイズは適正。印刷の質は上々。

CAMのインスト。アンチグレアや尾翼帯の角度などは疑問。

 実機写真は、私の手持ち資料ではノーズアート周辺のものが数点。これでは機首周辺以外が不明であったが、WEBで機体後半の一部が写ったものを発見。
 これにより胴体後半のアンチグレアは「あり」と判断する。CAMのインストでは、「無し」とされ、写真でも一見そのようだが、当然工場塗装されており、わざわざ消さない限り「無し」にはならない。おそらく沖縄の強烈な太陽光線で退色が著しく、機首部のみ塗り直したと考えられ、写真でもそのように見える。

 アンテナ柱は、インストでは3本とされている。写真は丁度切れ目だが、隅っこに後方アンテナの一部が写っているようにも見える。同じ507FGの他機では1本、3本ともに確認され、これはある時期から新しい通信システムが導入され、1本アンテナ機にもレトロフィットされていったと推測する。作品では終戦直前の設定とする予定だが、その場合はこうした考えに基づけば3本の確度が高い

 垂直尾翼には青の斜め帯が記入される。この写真がまた見つからない。オスプレイの尾翼の半分が写ったものが唯一で、辛うじて帯の幅、角度が確定できる。水平尾翼への記入は不明。△の454FSの例に従えば「あり」でもおかしくないが、模型では「追加」は簡単でも「消去」は困難なので、とりあえず「無し」で製作。

 主翼の帯は、WEB写真でその存在が確認できる。写真ではかなり暗く写っているが、まあしかし454FSでも尾翼の黄色が暗い写真があり、同じくフィルムかフィルタのイタズラで「黄色」に間違いない。一部の塗装図には青フチがあるが、写真で無しが確認できる。

■ 伊江島のサンダーボルト部隊

 Nが最初に実戦に投入されるのは、1945年4月、サイパン島の歴戦のT−ボルト部隊318FGである。5月に同隊は沖縄本島のすぐ西に浮かぶ伊江島に移動。その後順次、サンダーボルト部隊は伊江島や硫黄島に展開し、B−29の爆撃援護、日本本土への戦闘掃討などの任務を遂行した。

 沖縄に近い伊江島は、たびたび日本軍機の襲撃を受け、また3,700フィートの急造滑走路はフル装備のP−47Nには不十分で、滑走路が終わっても未だタイヤは地面から離れず、滑走路端の珊瑚礁の崖から一旦沈んで海面すれすれに上昇していくこともあった(資料−2)。

 当時の写真を見ると、ピカピカの機体が急造飛行場に整然と並んでおり、戦勝目前の余裕が感じられる一方で、パイロットの手記などを読むとそこは紛れもない「戦場」で、日本軍の決死の抵抗に加え、悪天候下の長距離洋上飛行など、「死」と隣り合わせの危険な任務遂行であったことが解る。とはいえこの時期、戦闘の帰趨は圧倒的なワンサイドゲームが常ではあったが。

 ともかく、これらT−ボルト部隊の活動について、2つの物語りを紹介する。当時の状況の断片が読み取れるのではないだろうか。出典は巻末記載のサイトから。なお「Meat Chopper」はオスプレイにもほとんど同じ記述がある。

WWU最後のエース「Li'l Meaties' MEAT CHOPPER」

 戦争の終結が見えてきた1945年6月、この月26歳の誕生日を迎えたオスカー・パドーモ(Oscar F. Perdomo)少尉は、7AF,507FG,464FS所属の新任将校として、新品のP−47N−1−RE (s/n 44-88211)とともに沖縄の伊江島に到着した。士官学校を卒業し訓練を終えたばかりで、初めての実戦であった。

 507FGは7月1日から実戦活動を開始、彼自身は2日の九州へのエスコート任務が初陣となり、その後も伊江島をベースに、エスコート、対地攻撃、レスキューなどのミッションを遂行していった。
 彼の機体には機番146に加え、ニックネームとイラストが描かれていたが、それはその年1月に産まれたばかりの彼の長男にちなんだものであった。

 8月13日、既に中尉となっていた彼は507FG傘下の463、465FSと共に53機のP−47Nでソウル方面への戦闘掃討に加わった。
 0953伊江島離陸、1315目標地点到着。途中脱落でこの時38機。ここで京城に基地を置く22、85飛行戦隊の疾風と交戦となり、中尉は4機の疾風(Oscar中尉は隼(Oscar !)と誤認)と1機の93中練を撃墜し、WWU最後の即日エースとなった。1345戦闘終了、1755帰還。8時間の長いミッションであった。

 第二次大戦における最後の大規模空戦となったこの日、米軍側は507FG全体で20機の撃墜を記録したが、日本側記録では22戦隊6機、85戦隊5機の計11機の損失とされている。このとき日本軍もまたP−47をP−51と誤認している。一方、米軍側損失は1機で、パイロットは日本軍の捕虜となった。

 この2日後、終戦の日を迎える。パドーモ中尉はその後も空軍に在籍、1958年に最終階級少佐で退官し、1976年ロサンゼルスで亡くなった。

※ Perdomoはラテン系の姓で、発音はドにアクセントがある。

Icky and Me

 333FS所属ジョン・ペイン(John H. Payne)少尉は、8月9日、尾翼の黒黄ストライプが鮮やかな"Icky and Me"に搭乗、翼下に10本のロケット弾と増槽を満載し、0813伊江島から松山方面に出撃した。
 豊後水道を北上、佐田岬をかすめ伊予灘を東進、ここで増槽を切り落とし、目標の飛行場で日本軍機(記述では零戦)を地上撃破したが、風防ガラスに対空機銃(?)の命中弾を受け、エンジンも停止。滑空しつつ再始動に成功するとさらに目標を探し、駆逐艦にロケット弾を命中させ帰途についた。

 途中、同じく戦闘で傷ついたB−24とランデブーで日向灘を南下、複数の日本機の追撃を受けるが、まさにその時に原爆が投下され(訳注:投下時刻は11時2分)日本軍機は西方に去っていった。この時彼は「長崎から100マイル以内に近づくな」との命令を思い出す。
 損傷の激しいリベレーターは、ついに日向灘に着水してしまうが、彼は琉球諸島沿いに単機で飛行を続け、途中エンジンの不調に脅かされつつ伊江島に帰還した。

■ マーキング塗装 12/11追加

 ずいぶん長いウンチク話となった。話を模型に戻す。

 黄色は、カラー写真のイメージで黄橙色に白20%と微量の青を混ぜる。ベースには、白と黄橙色を半々に混ぜて吹く。厚吹きを嫌って程々で止めたところ、本番の黄橙色がいつまでたっても満足に発色しない。結果的にかえって厚吹きになり、せっかくの○リベットが埋まってがっかり。ここは白をきちんと吹いておくべき。
 オリーブドラブはレイザーバックに塗ったものをそのまま使用。後半部の退色は、塗装時には想定外。どうしようか。インシグニア・ブルーはF4U−5Nのシーブルー。白はキャラクターホワイト。ステップの赤はRLM23。

 マーキングは、テープでマスクして銀の上に順次吹いていく。実機と同じ塗装手順だ。マスクはがして写真と比べると、あれ、主翼帯の幅が1〜2ミリ過大だぞ。なんてこったい、気づいたときには後の祭り。痛恨のエラー。テンションが下がるなー。
 気を取り直して、国籍マーク。タミヤのデカールを下敷きにマスキングテープを切り出す。慣れると簡単で、エクスプレス・マスクなどの必要性は感じない。デカール表面にセロテープを貼っておくと、デカールのフィルムがマスキングテープに付着しない。

 マーキング部分のリベットは、塗料で少々埋まって「凹み系」リベットのよう。お、ということは凹みリベットにはたまぐりを使えばいいのか。それはともかく、マーキング部分のみ埋まったリベットは、工作的には減点対象だが、それはそれで逆にリアルだったりする。

補足:黄色の色調についての考察

伊江島のNのカラー写真からはそれほど赤味を感じない。デカールインストにはクロームイエローFS13507などと書かれたものも。一方で英米軍の使用色統一規則では、黄色はあまねく米海軍オレンジイエローに統一されたとされている。真実は不明だが、赤は退色しやすい色だから、オレンジイエローが退色した可能性もある。そもそもカラー写真が真実の色を反映しているか自体が怪しいから、結論としては好きな色を塗っとけばいいってことかな。



塗装でもこの程度までは可能。白を最後に塗った方が、星の角がスッキリ仕上がる。

銀塗装部分のリベットと比べ、マーキング部分のは塗料で埋まっている。

 マーキングが最終決定し、次は尾翼の青帯。オスプレイの同隊機の写真から幅を算出すると、約3.5mm。意外と細い。主翼帯とバランスをとって、作品では4mm弱に広げる。少々厚化粧の方がサンダーには似合うかな、と勝手な解釈。

 色調は手持ちのカラー写真から判別できるものはなく、全くの推定となる。各種デカールや塗装図では濃い青から水色まで様々。上記写真では水色ほど明るくは感じられない(モノクロ写真の明度はあてにならないけどね)。そこで、同じ伊江島19FSの機首、カウルフラップ等に塗られたブルーをイメージし、インディブルーとミディアムシーグレイを2:1で混ぜる。19FSなら1:1でもいいかな。

 デカールの機番146は、書体と大きさが間違っており使えない。正しくは4の横棒と6の中央の横棒とが同じ高さ。48実寸で縦14mm。そこで、エクセルでお絵かき(ファイルはこちら)、プリントアウト、縮小コピーで下図を作る。この上にマスキングテープを貼って、切り出す。


帯の幅、角度はこのとおり。

細かいマスキングは、このように部分ごとに分け、順番に貼っていくと作業しやすい。

マスク終了。どういう手順が最適か考えるのは、ちょっとした頭の体操、電車の中の暇つぶし。

出来上がりの図。ステンシルの「切れ目」の幅が広いが、この辺が限界ってことで。

 マスキングをはがした後は、ハミ出しを面相筆でタッチアップし、#2000ペーパーで段差をならしながら塗装面を磨く。さらにティッシュで軽くこすると、しっとりした艶になる。ただし銀の上はやめた方がいいかも。これは筆一氏の素晴らしい1/32ドーラの真似。このドーラ、写真では十分に伝わらな いかも知れないが、実物は塗装面の質感がとてもリアル。

 主翼の一部パネルには再度クロームシルバーのドライブラシ。その密度で、パネルのトーンを変化させる。排気口まわりなど一部パネルは、スーパーステンレスに#2黒を加えて吹き付け。排気口は、まず赤褐色+黒+銀を吹き、その上にタンを薄くかぶせる。


フィレットはアルクラッドのホワイトアルミニウム。吹きっぱなし。

暗色部分は見てのとおり排気の熱の影響を受ける部分で、実機でも材質が異なるようだ(ステンレス?)。



 

 仕上げ


■ 小物

 塗装と並行して小物を仕上げていく。どこかで読んだ記事に、はんだ付けのコツがあったので、無断引用しよう。はんだを少量コテ先につけるのは難しい。そういう時はカッターで小さく切ったはんだをコテ先で拾うとよい。

 ところで、Nのガンカメラは、は右主翼機銃の外側に移動している。Dでは右主翼前縁に位置するもの。ただしコクピット空気取り入れ口がどこにいったかは依然不明。


トルクリンクの断面に細工。トライツールのノミ(細丸)が便利。スピナ基部には細かいDアップ。

真鍮はんだ細工。尾脚は曲線が合わず作り直す。ついでにワイラウェイのピトー管と尾脚。

■ 「Lil Meaties MEAT CHOPPER」の考証再び

 前回ページ更新後に知った事項。パドーモ中尉の乗機N−2というのは、N−1に現地改修で片翼5基のロケットランチャーを取り付け、N−5と同等の仕様とし、それに伴い呼称変更したものである。確かに、Bodie本のシリアルリストでは、N−1の次はN−5となっている。つまり、中尉が伊江島に着いた時はN−1で、途中でN−2に変更になったということ(シリアル番号は不変)。
 ん?、ということは・・・、正しくはロケットランチャーを付けないといけないのか。がーん。

 それに、「MEAT CHOPPER」の写真をよく見れば、ナチュラルメタルの表面は潮風で輝きが失せている。アンチグレアの退色と合せ、結構使い込まれた風情で、作品の新品ピカピカ状態とはちょっと違うぞ。さりとて今更銀塗装を変える気はなく、そうするとアンチグレアだけ退色させるのもアンバランスだ。

 スコアマーク「なし」にして6〜7月の設定にするというのは一案。写真の中にはスコアと爆弾マーク、黄色い丸のいずれも記入されてないものもある。ただ、このときロケットランチャーの装着、アンテナ本数は不明で、鉄壁の考証にはならないか。
 もう一案は、しらばっくれてウソついちゃう。ま、言い方を変えれば「模型的脚色」かな。スコアマーク「あり」にピカピカの機体でも、カッコよければよしとするスタンス。さて、どうしようか。

■ ついでに「EXPECTED GOOSE」

 こいつも一時は本命で、チェックしたので参考までに。

 本機は、左側面全体の写真が残されており、アンテナは1本、胴体後部アンチグレアもハッキリ。尾翼の△マークだが、水平尾翼下面の存在は写真が無く不明。普通に考えれば右舷下面に「あり」が順当か。左水平尾翼上面の△と主翼の黄色帯の記入位置は、資料−1に同隊機の真上からの写真があってバッチリだ。

 コクピット横のガチョウは、同FSの部隊マークで、他機にも記入されている例がある。「EXPECTED GOOSE=期待されたガチョウ」が何を意味するかは英語に疎く分らないが、ノーズアートの女性シルエットとガチョウの位置関係から、「期待」の中身を勝手に想像してしまう(だって、ガチョウの鼻先にお尻を突き出してるんだもん)。

 写真との比較で、カルトデカールの考証はかなり正確。機番等のサイズや形状も正確で、2と6の書体が異なる所もちゃんと押さえている。ただし△のサイズはその限りではない。またインストは間違い。主翼の帯が忘れられているし、水平尾翼の△は両側には記入されないので要注意。


ハセモノ版の小池画伯のボックスアートで。まだ店頭で見かけるから、欲しい方は探してみては?

左の拡大。ガチョウくん、「1、2、3、グース!!」

■ 続、「EXPECTED GOOSE」 12/18追加

 EXPECTED GOOSEの意味について教示いただいた。口語では、gooseは指で人の尻を突く、いわゆる「カンチョー」の意味があるそうな。そうなると、「期待(予期)されたカンチョー=カンチョー待ってるわ(早くしてネ)」てなことになるのかな。やはり女性のポーズには意味があったわけだ。また、expectには「妊娠」の意味もあり、そんなこんなで意味深長なノーズアートである。

 しかし、gooseをカンチョーとするアメリカ人のユーモアセンスもなかなか。ガチョウがくちばしで尻を突っつく絵が浮かぶ。しかもやられたときのうめき声あるいは擬音まで表現されているとは。カンチョーとガチョー、日本語でも似てるな。じゃあ、ワイルド・ギースはワイルドなカンチョー??(痛そう)

■ 続、小物

 Nのガンサイトはジャイロ・コンピューティング・システムのK−14。出来の良いカッティングエッジのパーツを使用。ガラスには、エッチング製計器板にセットされる計器の印刷されたフィルムの余白を使う。私の手持ちの中では一番薄い透明板。ガンサイト本体は、真鍮線を通して前方バルクヘッドに固定。

 プロペラは、タミヤパーツを薄く整えるだけでそのまま使用。ところが、よくよく写真と見比べると、NのパドルブレードC642S−B40は、Dのものと微妙に形が異なり、カフスの付け根側が裾広がりである。ブレード先端のカーブも、キットは先端が丸くハミルトンのような印象だ。これは削りだけで簡単に直せるが、気づいたのは色塗った後。

 伊江島のNは、主翼下の150ガロン増槽に加え、胴体下にも75ガロン水滴型を下げている写真も多い。主翼のはナパーム弾の場合もあるが、3つ増槽はいかにも長距離侵攻機らしい姿で、ぜひ再現したい。Nは広大なトレッドが間延びして見えがちで、増槽の存在で「絵」的にも締まる。
 これは、タミヤのP−51Dのが、注入口キャップのモールドがそれっぽくて私好み。これが欲しくて1キット購入する。振れ止めはキットパーツから切り取ってくる。

 N−2装備のロケットランチャーも、同キットのが使える。このランナー枠はパッケージによっては含まれないので、購入時に確認する。2キット分必要だが、1つはジョン・メイヤー機製作時に購入済み。


カッティングエッジのK−14ガンサイト。逆三角ガラスの再現を試みるが、精度がいまいちで結局不採用。

パイロットシートは同じくCEのレジン。シートベルトの彫刻が秀逸。

頭部防弾板は、キャノピとのクリアランスを正しくセットするために、取り付け位置を少々上げる。このため、シートフレームのかさ上げが必要。

筒抜け防止のメッシュだが、実機ではもっと奥にある。

車輪カバーは、L型に曲げた真鍮線を介して取り付ける。

細かいディティールを追加する。トルクリンクが動きそうに見えてくれれば嬉しい。

■ 小物の塗装

 以下、製作メモ。将来参考にしようとしても忘れてしまうので。

 全ての銀塗装面はサフの上に#8銀で下地を作っておく。増槽はスーパーファインシルバー吹きっぱなし。注意書きはタミヤのデカール。注入口の赤い輪は自作インレタ。胴体の金属感を印象づけるため、あえてあまり光らせない。脚柱も同様。
 脚カバーは機体と同じくクロームシルバー+#2黒にクロームシルバーのドライブラシ。ジンクロは赤を微量加える。ホイール裏、プロペラ基部 はスーパーファイン+#8銀。スピナはクロームシルバー吹きっぱなし。ブレード先端は黄橙色。ホイール表はアルクラッドのホワイトアルミだが、少々輝き過ぎ。

■ デカール

 とりあえず、ノーズアートのみとして、スコアや爆弾マーク等は貼らない。これで8月13日夕方より前、つまりまだ実戦のさ中にあって、タンク3つぶら下げこれから長距離出撃!という状態とするわけ。スコアマークにタンク3つでは、これから本国へフェリーの図だ(おそらく14日以降、戦闘出撃してない)。
 手元の写真ではノーズアートのみの状態(撮影日不明)と14日以降の撮影でスコアとパイロット名の黒四角のみ記入、爆弾と黄色丸等フル記載状態の3種がある。13日朝としたい気もするが、このときの黒四角の存在は不明。

 CAMのカウルの文字と赤ん坊は、若干大きめだが許容範囲。貼るときの不注意で位置が微妙にずれているが、気 にしないことにしよう(今回この種のミスが多いなあ)。スピナの渦巻きは確認できないので、とりあえず無し。なお、パイロット名の黒四角は、サイズが相当過大で使えない。正しくはスコアマーク5個分と同じ長さ。ノーズアートのみとする理由は、実はこれ。
 プロペラは、AMDのP−47用データーセット。カーチスマークの文字は、手元カラー写真では赤が正しい。  


デカール貼り付けには、Mrのマークセッターを使用。その後クリアーUVカットを軽く吹く。これではカット効果も少ないだろうけど。

とりあえずノーズアートのみ。プロペラの渦巻きも確認できないので「なし」。

■ お買い物の総括

 ちょっとここで、Nのために購入したキット、デカール類をリストアップしてみよう(定価でなく実際の購入価格で表示)。あらためて計算すると、結構無駄買いしてるなー。でもまあ、2万円で4ヶ月遊べれば安いもんだ。

タミヤ P−47D バブルトップ×2  4,200
レベル P−47N ハセモノ版  4,300
アカデミー P−47N   1,800 (実質的に不使用)
ハセガワ F4U−5N エンジンパーツ     500 (部品請求)
タミヤ P−51D 朝鮮戦争   1,800
カッティングエッジ P−47N コクピット       0 (不要デカールと交換)
ウルトラキャスト P−47N ホイール   1,000 (不使用)
CAMデカール 48−122   1,400
スーパースケール 「2 BIG and Too HEAVY」  1,400 (不使用)
スーパースケール 「The SHELL PUSHER」   1,000 (不使用)
ホビーデカール P−47D ステンシル インレタ   2,500
    合計 \19,900

■ 続々、小物 12/25追加

 さらに続ける。ほとんど私の個人的メモに近い。機銃は1.1mmメッキパイプ。4本きれいに揃えるためにと接着時間に余裕のあるエポキシを試すが、いつまでもフニャフニャで性に合わない。で、やっぱ瞬間。固まるまでの一瞬の間に、長さ、上下左右の曲がりを直す。固着後にはみ出した接着剤を切り取る。

 75ガロンタンクは、エアロディティールP−51を参考にする。どうも懸架部のイメージが違うが、とりあえずそのまま。主翼パイロンには、0.6mm真鍮線のタンク押さえを取り付ける。これは、タンク投下時に、外れたタンクがエルロン等にぶつかるのを防ぐためのもの。
 


機銃はこの向きから4本の並びをチェック。先に両端を接着し、次に中2本の位置を慎重に決める。

プロペラのカーチスマークは、キットのデカールに貼り換える。マークは向きがあるので注意。

胴体燃料タンクの振れ止めは、キットパーツを切り取ってくる。

タンク抑えは先がV字形になっている。0.3mm真鍮線をはんだ付けしてからやすりで整形。

■ 後方警戒レーダー

 D&Sによると、N−5からはAN/APS−13と呼ばれる後方警戒レーダーが装着された。これは垂直安定板から横に針金が出ているもの(U字形とその前後に棒が1本ずつ)。後期のマスタングにも装着されている。これがN−2標準装備かどうかが今回のお題。

 WEBで調査依頼などするが、詳細は不明。ただ、当時の写真を詳細に眺めると、507FGでは確認できず。一方、硫黄島の414FGでは装着されている。この場合は、ドーサルフィン横にもアンテナ柱が追加され、ロケットランチャーも装着されている。部隊を限って供給された可能性もある。ただし、追加アンテナは無線システムの改良に伴うもので、APS−13システムとは、本来無関係と思われる。また、追加アンテナ柱とロケットランチャーの装着も相関関係は無い。

 結論は、よく写真で確認するしかないということか。また、これとは別に胴体尾部下面から細い針金のようなものが伸びているが、この正体は何だろう。アンテナか、あるいはアースか。静電気でロケットが暴発するのを防ぐなんてのは、ありそう?

■ 表現のマニュアル化

 雑感を一題。少々批判めいた内容だが、たわ言と軽く読み流していただければ幸い。

 模型の塗装、特にウェザリングによるリアリティの追求は永遠のテーマ。過去、様々なテクが開発され普及してきたが、その流れにはパターンがあることに気づいた。これを表現のマニュアル化と呼びたい。AFVファンには申し訳ないが、解りやすいので例にとって話を進める。

 バーリンデン氏のドライブラシが日本に紹介されたとき、衝撃を受けたモデラーは多かった。光と影の織り成す立体感が見事に表現されていたからだ。やがて日本のモデラーにも普及する。ところが、その際「光と影の立体感を表現する」という本来の目的が、「明色の筆で模型のエッジをこする」というマニュアルに翻訳され、そのマニュアルどおりの戦車があふれたのだった。

 皆がそれに少々飽きてきたころ、チッピングという技術が生まれた。これは「はがれた塗料の下の鋼鉄(の黒錆)」を表現するもので、エッジに暗色を配するのが基本だから、それまでのドライブラシの正反対で新鮮であった。しかし、これも最近では「面相筆でエッジなどに暗色の点描を施す」という翻訳マニュアルが出来たようで、そのまんまの作品がポツポツ現れ出し、私にはどうも違和感がある。

 以上のことは、ファーストフード店の、あのサービスと大変よく似ていて面白い。「客がいかに満足するか」を目的に、学生アルバイトでもできるように接客マニュアルを作るが、現場では客の満足とは程遠い対応となる、というわけ。

 では、なぜマニュアルが違和感を感じさせるのか。画一的。本来目的から逸脱。TPOをわきまえない。これ、ファーストフードと同じ。模型では加えて「やりすぎ」かな。過ギタルハ及バザルガ如シ。

 さて、飛行機の場合について。最近の事例では、暗色立ち上げ法。「パネルライン周辺に暗色を残す」とのマニュアルどおり、全てのパネルラインを画一的にやるのはどうも。これは、リアリティの追求とは別のベクトルを持つ、一つの「様式」。そう、マニュアル化は様式化と呼んでもよい。退色表現もややこの感あり。すなわち「基本色に白を混ぜ、パネルラインを残して吹く」。そういえば、少し前には運河彫りクッキリ墨入れが流行った。

 なお、誤解の無いように付け加えると、ドライブラシもチッピングも暗色立ち上げも退色表現も、その技法を全く否定しない。それがマニュアル化していくことに、反省と自戒を込めて疑問を投げかけたのである。もちろん、様式もセンス次第で素晴らしい表現方法になる。あたりまえだけど、リアリティの追求だけが模型ではない。

■ ウェザリング 1/7追加

 墨入れは、ガンダムカラーの黒を石鹸水で薄めて塗布。私はエナメル溶剤とパテとPカッターは大嫌いなのだ。乾燥後に乾いたティッシュ、綿棒でぬぐうと、リベットの微小な溝にも残る。クリアー吹きなどの定着は特にせず。墨入れによって、リベット部のギラギラ感が弱まり、おもちゃっぽさが解消されるとともに、気のせいか金属感も低下したような。黄色塗装部はクドイのでリベットへの墨入れは無し。

 オリーブドラブ部は、パステル汚しとニュートラルグレイでの面相筆チッピング。これらは、いつものとおり。#30フラットベースを極薄く希釈し、マスキングして慎重に吹く。ここだけは完全な艶消しとし、艶ありの銀塗装と対比させる。機首の補助排気口は、黒、茶、バフを吹く。失敗してもいいように、ここだけはタミヤエナメルを使用。

■ インレタ

 Bf109Fと同じくホビーデカール製インレタを使用。前回は難なく貼れたのだが、今回は細かいデータ類に苦労する。圧着不十分だと貼り残しとなり、過ぎると剥がす際に銀塗装まで持っていかれる。オリーブドラブ部分には問題ないので、これは塗装面の差によるものと思われる。失敗した部分はレイザーバックで自作したインレタを使ってしのぐ。

 

 完成


■ ついに完成

 最後にバックミラー(プラ板にメタル調テープ(材質はプラ系)を貼ったもの)とアンテナ線を取り付け、なんとか完成。ロケットランチャーと追加アンテナはなしとして、即ちこれはN−1。まあ、将来気が向いたらN−2に改修するかも。
 可動部キャノピは完全に固定せず、両面テープで止めてあるので、閉じた状態にもできるが、よくよく見ると、タミヤのキャノピは上方へのふくらみが少々強すぎか。また、レンズ状の歪みが強く、ガラス越しの防弾板がフニャフニャ。興醒め。

■ 撮影

 伊江島の滑走路は、メッサーFのときのサハラ砂漠。その向こうに草地を置き、木々を描いた背景を立てかける。砂の色が記録写真と比べて少々赤いが、そこそこ南方の急造飛行場に見えてはくれる。ただ、悲しいかな、空の青の写り込みが完全に再現できない。いずれ戸外で撮り直したいところだ。

■ おわりに

 さて、完成して眺める。今までの苦労が報われる至福の瞬間だ。改めて、この巨大な胴体にはNの主翼が適正サイズに思える。形としてもDよりNの方がバランスがとれて美しい。翼を改造した甲斐があったというもの。
 リベットと銀塗装も、自分としては満足できる仕上がり。8月から始めて4ヶ月余り。1日平均1時間として130時間、実際のところはどうかな。当初は70点で完成を目指すつもりが、次第に力が入ってしまい、出来上がってみると自分でも意外なくらい渾身の作となった。

 おわりに、パーツ、デカール、情報提供など、皆様のご厚意に感謝申し上げ、本項おしまい。

■ 参考資料

 参考文献は、タミヤのレイザーバックの項を参照願う。Nについては、やはり資料−1のBodie本(Republic's P-47 THUNDERBOLT , Widewing Publications)が最も充実している。特に外板のないスケルトン状態の写真は資料価値が高い。
 「EXPECTED GOOSE」は資料−9(The Republic P-47 Thunderbolt in the Pacific Theater , Squadron/Signal Publications)に左側面全体の写真がある。

 関連サイトは以下のとおり。

 464FS「Meat Chopper」では、終戦2日前の8月13日のソウル方面への攻撃における22、85飛行戦隊の疾風との交戦が記述されている。
 333FS「ICKY AND ME」では、昭和20年8月9日、伊江島から松山方面に出撃し、損傷しつつも帰還するまでが綴られている。傷ついたB−24とのランデブーや原爆の目撃などの記述は、なかなか読みごたえがある。



さてワイラウェイを片付けて、次は何を作ろうか。



前ページへ戻る

HOME