ノースアメリカン P-51D マスタング

North American P-51D-20-NA Mustang





P-51D-20-NA Mustang 44-63711 "KILLER!" flown by Major Robert W. Stephens, CO of 355FS, 354FG, France, Augsut 1944






















ある野球少年の生涯。

ロバート・スティーブンズは、高校時代ピッチャーとショートとして活躍した。 卒業してマイナーリーグのボストン・ブレーブスに入団するが、戦雲広がる中、翌42年には野球を止め陸軍航空隊に入隊する。 BT-15、AT-6テキサン、P-39Dエアロコブラで訓練し、43年1月、新たに編成された355FSに配属される。 10月、英国ボクステッド基地へ移動し、11月から待望のP-51Bマスタングへ機種転換する。

彼にとって最初の実戦は、12月1日の独占領下オランダへの戦闘掃討。 5日に最初の爆撃機護衛でブレーメンへ。 最初の戦果は12月31日、B-24を護衛中にBf109を撃墜する。以来、爆撃機護衛任務の中で戦果を重ねていく。 1944年4月、355FS司令に任命。 6月のDデイにはC-47とグライダーを護衛。 6月中旬、ノルマンディのA-2前線基地へ移動し、Dモデルに転換、以後は地上攻撃が主任務となる。 8月、少佐に昇任。任期満了により8月28日最後の作戦飛行。それまでに13機の撃墜、122ミッション、233飛行時間を記録。このとき22歳。

9月に帰国し結婚。その後も空軍に残り三児の父となる。1960年、F-100Fの後席にて飛行中、事故により墜落し殉職。享年38歳。 愛機P-51の「KILLER」は、ボクシングでは常にTKOで勝ったという、彼自身のニックネームでもある。
(Webサイト「Baseball in Wartime - Robert W. Stephens」より抄訳)






製作記

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