スピットファイアMk.I(タミヤ1/72)その2
2013.6.28初出
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イラスト解説。上面は温帯陸上迷彩のAスキーム、下面はアルミラッカー塗装。スピナ、プロペラ、シリアルはナイト。On Target本(以下OT)では主翼上面ラウンデルは56インチのA-1タイプ(赤/白/青/黄)、下面は50インチAタイプ。胴体は35インチA-1。シリアルは主翼下面12インチ、胴体8インチ。同隊では他に、K9794が黄色の19でBスキーム迷彩。ガンサイトは照星とリング。初期の二股ピトー管、機首の塗り分け線に注意。胴体ラウンデルも後に一般的な位置と異なる。主翼下面シリアルは左右で上下反転になる。これは戦後含め英軍機のお約束。この頃は機銃口の赤シールなし。各所のコーション・ステンシルの考証は甘い。 作画技術的には、スピット独特のフィレットがポイント。フィレットをくり抜いた胴体のグラデーションは上から下に暗くなり、そこに下から上に暗くなるフィレットのグラデーションをはめ込むと、何とか「らしい」ものになる。ラウンデル付近は、実機はこんなクッキリ折れ線ではないけど、一図形につき一様一方向のグラデーションしか出来ないinkscapeの限界。光源はほぼ真上として明暗をつけるが、排気管と水平尾翼の影だけは斜めの光源として確信犯のウソ。絵としてはその方がもっともらしく見えるのだ。 また、スピットは主翼前半が案外難しい。パネルラインがないので丸みを感じにくいのだ。機銃のスス汚れはそのために描いてるのだよ。アッパーカウルのハイライトも、実機の微妙な3Dカーブを知ってるだけに2D化に難儀する。後部胴体のリベットは凸を再現だけど、このサイズではよく分からないね。下面アルミ塗装は、いまいち銀に見えてくれない。上面も何か一つ足りない。まだまだ修行が必要だ。 |
1枚だけでは寂しいので、標準的なMk.Iも描く。バトル・オブ・ブリテン最中の1940年7月、ビギンヒルにおける610スコードロン所属機だ。上の極初期との違いを見てもらいたい。OT本によると、当機下面はいささか暗めのダック・エッグ・ブルーとされる。これは一般的なスカイ(あるいはスカイ・タイプS)とは異なる色調で、BS381 No1スカイブルーと同等とか。イラストもその色を勝手に想像して塗ってみる。この頃の下面ラウンデルはバリエーションに富んでおり、同じ隊の中でもバラバラだったり。当機は未記入。上面は一般的な56インチ赤/青。 迷彩パターンは鏡像のBスキーム。右舷はAスキーム左舷と同じとなる。初期のスキームに特有のクセは、できるだけ再現する。胴体上端で両画の位置が合わない部分があるけど、個体差か? A、Bスキームは、1941年3月にAスキームに統一された。ところで、同本の塗装図ではシリアルP9495が記入され、フィンフラッシュは垂直安定板上端まであるのに、手元の実機写真ではシリアルは塗つぶされ(時期違い?)、フィンフラッシュがやや低く、DWKの書体/サイズ/位置、胴体ラウンデルのサイズもやや異なる(単純ミス?)。 |
迷彩と黄丸は突合せで塗装。黄丸をマスキングし下面、上面を塗装。初期の迷彩は境界のぼけ幅が小さく、塗り分けはマスキングテープを使う。機体に貼ってパターンを描き込み、はがして切って再度貼る。後部胴体の下面色の塗り分け線は、ある時期(Mk.Vの途中あたり?)から変わるので注意が必要。初期はラダーが上面色のみ。ある時期から塗り分け線がやや上方に移り、ラダー下部にも下面色が入る。 調色メモ。基本的に以前自作したものの使い回し。ダークアースは、P-40Lと同じ。#22ダークアースに黄色を2〜3割加えたもの。ビン生#22は赤味が強く感じる。ダークグリーンは、#361ダークグリーン(英軍機3色セットに含まれる)のビン生。なお手持ちの#330ダークグリーンとは色調が異なり、#330の方が暗く青みが強い。また#23ダークグリーン(2)は明るく黄色い(以前の記述は番号間違い)。下面は旧#8銀+#46クリアの上にガイア・フラットクリア。ラウンデルの黄色はF-86の帯で、GX4キアラ・イエローに微量の赤を加え、#58黄橙色よりやや赤味が少なくしたもの。ナイトは、白20%混の#92セミグロスブラックに自作グロッシーブルーを3割程度混ぜる。 |
隠蔽力の強いGX4キアラ・イエローがベースなので、サフの上に直接黄丸を塗装。 |
黄丸をマスクし、下面の銀、ダークアースを塗装。写真を見ながら迷彩パターンをマスキング。 |
マスクをはがし、境界の段差をラプロス#6000で軽く研ぐ。この研ぎの工程があるため、迷彩塗装に汚れ・退色のウェザリングをしないのだ。 |
下面は上塗りのフラットクリアで、かなりグレイっぽくなる。このあとラウンデルの青、白、赤の順に塗装していく。 |
The Spitfire Story(以下TSS)に写真があり、Mk.IIと同じ丸いスピナとロートル製ブレード(!)、枠なし風防&側方ブリスター付きキャノピ、また中央寄りに記入された主翼上面のAタイプ・ラウンデルが確認できる。これは、OT Profiles 8の塗装図によればサイズ48インチで、翼端から中心までが約110インチ。LYとシリアルはミディアム・シー・グレイ。写真が不鮮明で翼下ポッドの形状&ディテールはよく分からず、イラストはかなり想像が入る。OT図では機銃アクセスパネル「なし」で描かれているが、Mk.Iから改造なら、機銃口と薬莢排出口を塞ぐ程度かも?? 同本、スピナとプロペラもスルーしてるからねえ。胴体追加タンクの給油口がどっかにあるんだろうけど、不明。 |
お次は、1941年2月、PRU(写真偵察部隊:PDUが改称)所属、PR Mk.IC R6903。IC型はMk.Iの武装を撤去、コクピット後方の追加タンクに加え、左翼下に燃料タンク、右翼下に垂直カメラ×2のポッドを懸架した。同機もTSSに写真があり、Mk.Iと同じ尖りスピナ&デハヴィランド製ペラ、枠なし風防&側方ブリスター、大型オイルタンクで膨らんだ機首が確認できる。OTでは「なし」とされる主翼下面ラウンデルが、写真ではあるように見える。上面は不明で、OTは上のN3117と同位置、同サイズとしている。両翼のポッドは左右でサイズが異なり、カメラ用は短く深いが、タンク用は長くて浅い。カメラ窓前方にはバイザーがあるようだ。ま、詳しくは前述2文献を参照されたい。 イラスト的には、ハイライトのぼかし幅を狭めて光沢アップ。なにせ、PRスピットは塗装後に磨いて速度が10〜15mph向上したとか。張り出したロワーカウルは写真トレースで形状はまずまずの精度。そのラインは後期マーリンPR型であるMk.XIと基本的に同じだ。大型オイルタンクが共通なんだろうね。そのロワーカウルのパネルラインのうち、前方のものはOT図が違い本画が正。後方のはMk.Iと同じ位置とするが、写真不鮮明で確証なし。主翼ポッドの方は形状、サイズ、位置とも大甘。 |
初期の偵察型は、タイプが多い上、後に改称されたものもあり、非常にややこしい。ここで簡単に整理。Mk.IベースのものはMk.IAからIGまで7種類。出典はTSS及びOT。
上面二色の境界がクッキリ過ぎるのが気になり、泥縄式に筆塗りでぼかす。二色を等量混ぜ、境界に細線を描く。離れて見ればスプレーのぼかしに見えなくもない。 |
外側から順にテープを貼っていき、青部分のテープをはがす。青と白は突合せ塗装にする。 |
青、白が終了。筆塗りぼかしは、こんな具合。左画像のぼかし前と比較されたし。 |
部隊マーク(というのかな?)の「19」は、P-51と一緒にインレタを作ってある。が、いかんせん原色の赤。実際にその可能性も否定出来ないものの、多分正解はダルレッド。ラウンデルの赤丸と一緒に塗装する。久々にクラフト・ロボの出番だ。ロボは、この位のサイズの文字のカットに威力を発揮する。データはインレタのがそのまま使える。マシンの性能の限界で、四角がちょい歪んでいるけど気にしない。どうしてもというなら、歪みを見込んでデータを逆方向に歪めるという手が使えるかも。 |
ロボ出動! 久しぶりで動かし方を忘れ、ロボが言うことを聞いてくれない。 |
赤丸は手切り。ロボは円を切るのが苦手なのだ。 |
ラウンデル、部隊マークが終了。19のダルレッドがダークアースに紛れて目立たない。記録写真でも目立たないから、まいいか。 |
下面も終了、のはずががが・・ |
主翼下面シリアルのインレタを貼ろうとしたら、狭くて入らない。下面ラウンデルの位置、サイズを間違えてるぞ。がびーん。上面と同じ位置と思い込んでいたが、やや外寄りが正解。改めて写真から位置とサイズを起こすと直径52インチとなり、資料本の50インチと異なる。これまた原因不明。なお、この位置の違い(サイズもか?)は、極初期型のみのようだ。前回の記述は、しれっと修正しておく。 |
#1200ペーパーで凸凹を均す程度に削り落とす。作業中に片脚が折れる。 ったくもー! |
サフを吹いて表面を整え、銀、青、白、赤と吹いて修正塗装終了。脚もつけ直す。上画像と比べ銀が暗いのは光線の加減。 |
インレタは、以前に作ってある。台紙を挟んだままテープで固定(上画像の状態)。台紙を抜いて転写する。 |
胴体にも貼る。 |
前回掲載の桃スピPR.IEは、カメラポッドの後端が尻尾のように延びていた。これは写真でもこんな感じに見えるし、OT本の図もそうなってる。ただカメラポッドの形としては尻尾が伸びる必然性がない。模型を手にとって同じアングルで眺めると、尻尾に見える部分はオイルクーラーの可能性あり。ということで、普通の涙滴形に描き直す。正しい保証はない。もう一つ。初期PR型は、カウル左に小エアインテイクが追加されている機体がある。前回掲示の両機も「あり」で、イラストに追加。さらに表面も少々磨いて(?)光沢度をアップさせ、差し替える。
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続いてスーパーマリン製シリアルAA834、1941年9月生産。後期型風防、Mk.Iと同じ短スピナ&デハヴィランド金属プロペラに注意。403Sqn(カナダ部隊)所属。写真はオスプレイVエース本に右舷後方全身がある。よって左舷のマーキングは推測。ちなみに右舷はX◎KHで、レターの位置をこれに揃えて描画する。位置や書体から推測して、右舷シリアルは現地で後から記入したようで、左舷も同様と考えられるが、イラストではス社工場標準の位置で記入。黄帯も推測。パイロット頭部後方の機器は、近いシリアルの機体から推測して製造時はI型と同じ円筒形と思われるが、部隊で交換と考え、V型の標準に変える。この当時のミラーはI型と同じような四角い形をしている。キャノピ側面は平らで、おそらくノックアウトパネルあり。 |
機首カウルの形状は、初期マーリンならこの形!という自分のイメージどおりになってくれて、大満足。同じアングルの実機写真(製作記その1にもあり)と見比べていただきたい。 |
小物を追加。ラダーマスバランスのガード(参考文献-13、18に形状の分かる写真あり)、真鍮パイプの機銃(外側2丁のみ)、脚出指示棒、半田細工のピトー管、胴体航法灯、尾灯、脚ロック用リングなど。アンテナ線のみやり残し。 |
ラダーのガードは、このように三角形の角を丸めたような形をしている。コクピット後方胴体内部は銀色が正解。残念。 |
当機はシリアル(考証はOTによる)から判断して、従前は作品と同様なマーキングと考えられ、イラストはラウンデル、シリアル、尾翼の19を塗りつぶしたように描く。これ、Inkscapeでは透過率10%の黒を重ねるだけだが、何となくそれらしくは見える。同時期の同隊機は、レター、胴体ラウンデルは機体によって記入位置がバラバラ。上部が湾曲した新キャノピの機体は、胴体ラウンデル位置が高く、マーキング変更後に完成・納入されたのか? |
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公式塗料のスカイタイプSは8月中〜下旬から利用可能になり、それ以降に生産された機体は当色となったが、6月から8月までは、少なくとも5種の違った色が使われた。すなわち、@スカイグレイ(FAA規定色)、ABS381(1930)No1スカイブルー、BBS381(1930)No16 オードニル(Eau-de-Nil:フランス語でナイル川の水。正しい発音は知らん)、C特定不能のブルーグレイ、D本来のスカイ、である。これらに加えて、個々の部隊がスカイに合わせて現地調合したとのこと。 さて、では@〜Dがどんな色なのかが模型的には問題。OT本にカラーチップはなく、印刷の色見本があるのみ。その印象や本文記述、現行のBS381その他から私なりに勝手に想像する。@は明るく無彩色に近いグレイで、FS36463相当とか。Aは緑味のないやや暗めのブルーグレイ。OT本ではDW◎Kがこれに相当とされる。拙画の色調は私の想像。ただしOT本印刷色見本は明るい水色で何やそれ。Bはスカイよりも緑味が強く、より濃く暗い感じ。Cは不明。Dは一般的なスカイまたはダックエッググリーンと呼ばれる色。FS34583、34672などが相当とされる。さらに上記OT本の各塗装図キャプションではペール・ダック・エッグ・グリーンという色名が登場するが、これと上記@〜Dの関係は不明。
Grey Nurseの文字は型紙を使って左右両舷に塗装されており、基本的に各機共通。ただし、よく見ると細部に違いがあり型紙が何枚かあった模様。鮫口の詳細(歯の数、配色等)は写真の角度のせいでよく分からん。右舷のレターは同隊他機の例からしてQ-ZPで間違いないだろう。主翼上面ラウンデルは56インチ。欧州向けの温帯地上迷彩のラウンデルをそのまま塗りつぶしてRAAFラウンデルにしたのか。ただ、それだと胴体は36インチになるはずだが、写真から割り出すとどう見ても32インチ。下面ラウンデルは32インチか。フィンフラッシュは22×24インチ、レターは18インチ。 同隊のシャークマウスは機体により様々で、イラストのような大サイズと「にやっ」と笑ったような小サイズの2タイプがあり、さらに歯の数や大きさにも違いがある。同隊の属する第80飛行群の司令R.Gibbes中佐搭乗機A58-602/RG-Vが有名であるが、 |
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RAAF第457スコードロンは、1941年6月に英国にて開隊され、10月からスピットファイアMk.Iを装備した。当初は他のRAAF部隊へ送り出すパイロットの訓練を主としていた。Mk.IIを経てMk.Vcに転換後、1942年3月から実戦参加し、欧州大陸への掃討や爆撃機の護衛を行った。同年9月に隊員はオーストラリアへ移動、当初の装備機はワイラウェイ(!)。順次スピットファイアMk.Vcに転換し、1943年1月より実戦参加、ダーウィンの防空任務に就いた。1944年7月からMk.VIIIcに転換、オランダ領東インド方面の地上攻撃や船舶攻撃に従事。1945年2月よりモロタイ島に進出、同島の日本軍陣地や船舶への爆撃や銃撃、攻撃隊の援護などを任務とした。6月からボルネオ北西のラブアン島に移動し、終戦まで英領北ボルネオの地上軍航空支援を行った。 さて次は、RAFのSEAC迷彩機。1945年6〜7月、ビルマのミンガラドンにおける第607スコードロン隊長、J.Pegge少佐搭乗機MT904/AF-Xである。少佐はバトル・オブ・ブリテンのエースで撃墜8機。文献-52に右舷後方からの実機写真がある。右舷のレターはX-AF。写真が小さく不鮮明なので、シリアルの書体などの細部は文献-52のイラスト任せ。 |
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白帯の幅と位置は、他機の例も考慮すると、概ね主翼が24インチで外端がエルロン内端に接し、水平尾翼は20インチでエレベータにかからず、位置はちょうどエレベータタブのあたり、垂直尾翼は18インチ。SEACラウンデルのサイズもいまいち確証がない。WEB検索しても規定値が分からない。写真から割り出すと14〜15インチ、比率は2:5か。主翼上下ラウンデルのサイズは胴体と同じで、レターの高さも同じ。シリアルは8インチか。同じ写真にMT791/AF-Pが写っており塗装は同じ。サンダーボルトの例などからしてDG/DAのSEAC迷彩は現地デポで再塗装されていると思われる。 第607スコードロンの歴史は古く、開戦当初からハリケーンでフランスやバトル・オブ・ブリテンを戦った。当時からコードレターはAF。1942年5月にインドに移動。1943年9月にスピットファイアVcに転換、1944年3月からスピットファイアVIIIcに転換し、終戦時にはビルマに駐留していた。
次に、RAAF国籍標識について。これは1944年2月から5月にかけて発出されたRAAFダイヤグラムA5524に規定があり(文献-77)、これによると、胴体ラウンデルは機体サイズにより16、32、48インチのいずれか。青と白の比率は8:3。記入位置は主翼後端からC/5の間隔をとる(C=主翼付け根のコード長)。フィンフラッシュは横が16、22、34インチのいずれかで、縦は全て24インチ、青と白は1:1。 主翼についてはサイズの指定はない。ただし、直径30インチ以上84インチ以下で、ラウンデルの中心が胴体中心から全幅の1/3の距離、かつ動翼(エルロン、前縁スラット)との境から等間隔のマージンを取った位置に記入される。シリアルナンバーは5×8インチ。ただし、発出時期が遅いこともあり、これに従わない機も多数。規定はあくまで参考値ということで。
ということで、基本的アウトラインは、座標データにピッタリ合わせて修正する。一方で、風防、キャブレター・エアインテイクなどは独自の解釈とする。例えば風防は手持ちの別資料のデータとも照合して、Eng本の図面より僅かに幅広にする。また、インテイクは現存機写真に合わせる。Eng本は、基本的外形は座標データに合っているが、細部までは完全でないと思われる。というか、そう思わないと今までの膨大な作業が無駄に感じられちゃうので・・・ ともかく、側面図、平面図を掲載。次回、断面図、正面図の予定。逐次、既作の図面も訂正していくつもり。その際、Eng本データを反映したものはver.3.0以降として区別する。
●拡大図面
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下図を参照いただきたい。黒線はPR.XI製造図を元にした線、赤線はEng本の線である。両者の差は、アッパーカウルの幅についてはごく僅かで、実機では全く同じかも(図はカウル下端のサイドカウルとの分割線を図示。カウル最大幅ではないので注意)。一方、サイドカウルは誤差とは言えない程の差があり、それに伴いロワーカウルも幅広となる(下には膨らんでいない)。結果として、前期カウルではカウル〜胴体の最大幅は6番フレーム付近であるのに対し、後期カウルではカウル中央付近が最大幅となって、胴体側面は防火壁のところで僅かに折れ曲がる。なお、排気管は前期のフィッシュテイル型のみを図化している。
●拡大図面 考えてみれば、アッパーカウルが上に膨らむのは何らかの理由があるはずで、同じ理由によってサイドカウルも横に膨らんだと考えれば、それほどおかしな話でもないだろう。
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イラストの解説。写真でシリアルは読めず、フロム・ザ・コクピット(以下FC本)のキャプションに従う。SEAC塗装の同隊他機の写真では、レターがスピナの白より暗くラウンデル中心と同じ明度。水色の可能性もあるが、イラストでは白が汚れたものと解釈。右舷のレター配置は不明で他機から推測。レターの黒フチも同様。その他、ジャイロ照準器、ヘッドパッドなし、右舷主翼のIFFアンテナロッド2本、皿状ホイルキャップが確認できる。 主翼上面ラウンデルは、他機の例からC1タイプの赤白をSEACラウンデルで塗りつぶした感じで、水色の直径は約12インチ。下面は胴体と同じサイズ。主翼上面の白帯は幅約30インチで帯の中心がエルロン端に位置する。水平尾翼は幅20インチ程度。フィンフラッシュは、これもなぜか水色の比率が小さい。 |
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実は、同じレターD-6Yで複数の塗装がある。FC本p.72には、胴体が赤白青黄のC2タイプで主翼上面はC1タイプラウンデル、暗色スピナ、レターは明度から判別して白。同p.81にSEACラウンデル、白帯なし赤ありフィンフラッシュ、暗色スピナ。同p.79にD-6Yと思われる(人の影で機番は読めないが、余白からYかTだろう)クラッシュした機体で、SEACラウンデル、白スピ、主翼白帯、前期インテイクで、イラストはこの姿。さらに、同p.78にSEACラウンデル、翼白帯、白スピナ、ただしレターとラウンデルの位置は前3枚とは異なり、また不鮮明ながら後期インテイクのように見える。いずれもシリアルは不鮮明。 以上から勝手にストーリーを推測すると、NF434は当初欧州ラウンデルに赤?スピナ(下図上段)。アジアに移動し、当初ラウンデルのみ塗り替え(下図下段)。その後白帯追加、スピナも白に塗り替えるが、着艦事故で用廃。後日、後期インテイクの新機体に同じ白スピ、白帯を施しD-6Yと記入。ラウンデルとレターの位置が違うのはそのため。 なお、欧州塗りはウォーペイント(WP本)イラストではシリアルNF497とされている。ただし、レターの位置から同じ機体と思われ、シリアルは不鮮明な写真から読み取ったためではないかな?(FC説を採用しているのにはとくに理由はない) 前述のように、FC本、WP本の両者で塗色やシリアルの解釈が違う例や、エアインテイクを間違えている例があるので、両本のイラストはあまり信用できない(←私のイラストもね)。WP本にはシリアルリストがあり、前後期はある程度推測できる。 |
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809スコードロンは、1941年1月フェアリーファルマー装備で開隊。1943年3月からシーファイアIIに転換し、トーチ作戦やサレルノ上陸を支援、1944年8月にはフランス南部への上陸作戦。1944年7月から順次シーファイアIIIを装備し(IIは同年10月まで使用)、1945年3月、空母ストーカーに搭載されセイロンの東インド艦隊に所属し、ラングーン奪還作戦における制空確保に貢献、6月にはマラヤ及びスマトラでの作戦に参画した。終戦後も引き続きマラヤの再占領を支援した。その後、1949年にシーホーネットNF21に改変、1954年にシーベノム、1963年にバッカニアS.1、66年にはバッカニアS.2を使用した。1982年のフォークランド紛争には、シーハリアーで参戦、同年12月解隊となるが、FAAで最初のF-35装備部隊として再結成され、2018年からクィーンエリザベス級空母に搭載される予定であるとのこと。 続いてBPFラウンデルの後期生産型、1945年6月の南太平洋における、空母インプラカブル搭載880sqn所属のウエストランド製(Mk.IIIは他にスーパーマリン製がある)L.III/PR240、N-15-5だ。いやほんと、Mk.IXにそっくりだね。FC本p.110にある右舷の写真ではインテイクが見えないが、シリアルが角ばった書体までハッキリ読め、これより後期型で間違いない。スピナは暗色のようにも見え、一応紺色としておく。FC本では黒(インテイクは間違い)、WP本ではスカイ。主翼ラウンデルは胴体と同じサイズ。位置は当HPシーファ15を参照されたい。ラウンデルの白紺の比率、レターの書体、サイズ等は写真から起こす。前述両本はこのあたり不正確。左舷は不明なので推測。艦載機って、艦橋が右舷にあるせいか左舷の写真が少ないのだよ。 880スコードロンは、1941年1月に3機のマートレットIにて開隊、7月にシーハリケーンIBに改変する。1942年春には空母インドミタブルにてマルタ島輸送作戦に参加、3機損失と引き換えに8機撃墜3機撃破するも艦は激しく損傷した。1942年8月、シーファイアIIに改変、10月のトーチ作戦、1943年3月シシリー上陸、7月のサレルノ上陸に参加した。1944年3月からシーファイアIIIに転換、4月には北海にてテルピッツ攻撃に加わった。1945年3月、英太平洋艦隊(BPF)に所属、空母インプラカブルにて6月にトラック島を攻撃、8月には日本本土攻撃に加わった。翌月解隊。 |
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不屈の(indomitable)執念深い(implacable)ストーカー(stalker)の女って、女王陛下の空母って怖いな(失礼。でも船は女性名詞、それに空「母」だしね、って子供いるのにストーカーかよ!)。さておき、ベースの図面は座標データ反映のVer.3.0対応。そのうち図面も掲載する予定。主翼はMk.XV、XVIIと基本的に同じで、ラジエータ関係、機銃(長い)、脚カバー(IXと同じ)、車輪部バルジ(なし)、というあたりが異なる。
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