スピットファイアMk.I(タミヤ1/72)その2

2013.6.28初出

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■ お絵かき

 ここらで、予定塗マのお絵かきだ。1938年10月、ダックスフォードにおける19スコードロン所属Mk.I シリアル K9797。同隊はRAFで最初にスピットを装備した部隊。最初と最後(シーファ47)を並べるなら最初の実戦部隊にしたいよね。イラストのスケールはこれまで描いた他の機体と同じで、比較すると、スピットって、わけても初期型は華奢だなあ。同じマーリンでもマスタングのゴツイこと。ヘルキャットなんて、スケール間違えたかのようだ。

 イラスト解説。上面は温帯陸上迷彩のAスキーム、下面はアルミラッカー塗装。スピナ、プロペラ、シリアルはナイト。On Target本(以下OT)では主翼上面ラウンデルは56インチのA-1タイプ(赤/白/青/黄)、下面は50インチAタイプ。胴体は35インチA-1。シリアルは主翼下面12インチ、胴体8インチ。同隊では他に、K9794が黄色の19でBスキーム迷彩。ガンサイトは照星とリング。初期の二股ピトー管、機首の塗り分け線に注意。胴体ラウンデルも後に一般的な位置と異なる。主翼下面シリアルは左右で上下反転になる。これは戦後含め英軍機のお約束。この頃は機銃口の赤シールなし。各所のコーション・ステンシルの考証は甘い。

 作画技術的には、スピット独特のフィレットがポイント。フィレットをくり抜いた胴体のグラデーションは上から下に暗くなり、そこに下から上に暗くなるフィレットのグラデーションをはめ込むと、何とか「らしい」ものになる。ラウンデル付近は、実機はこんなクッキリ折れ線ではないけど、一図形につき一様一方向のグラデーションしか出来ないinkscapeの限界。光源はほぼ真上として明暗をつけるが、排気管と水平尾翼の影だけは斜めの光源として確信犯のウソ。絵としてはその方がもっともらしく見えるのだ。

 また、スピットは主翼前半が案外難しい。パネルラインがないので丸みを感じにくいのだ。機銃のスス汚れはそのために描いてるのだよ。アッパーカウルのハイライトも、実機の微妙な3Dカーブを知ってるだけに2D化に難儀する。後部胴体のリベットは凸を再現だけど、このサイズではよく分からないね。下面アルミ塗装は、いまいち銀に見えてくれない。上面も何か一つ足りない。まだまだ修行が必要だ。



 1枚だけでは寂しいので、標準的なMk.Iも描く。バトル・オブ・ブリテン最中の1940年7月、ビギンヒルにおける610スコードロン所属機だ。上の極初期との違いを見てもらいたい。OT本によると、当機下面はいささか暗めのダック・エッグ・ブルーとされる。これは一般的なスカイ(あるいはスカイ・タイプS)とは異なる色調で、BS381 No1スカイブルーと同等とか。イラストもその色を勝手に想像して塗ってみる。この頃の下面ラウンデルはバリエーションに富んでおり、同じ隊の中でもバラバラだったり。当機は未記入。上面は一般的な56インチ赤/青。

 迷彩パターンは鏡像のBスキーム。右舷はAスキーム左舷と同じとなる。初期のスキームに特有のクセは、できるだけ再現する。胴体上端で両画の位置が合わない部分があるけど、個体差か? A、Bスキームは、1941年3月にAスキームに統一された。ところで、同本の塗装図ではシリアルP9495が記入され、フィンフラッシュは垂直安定板上端まであるのに、手元の実機写真ではシリアルは塗つぶされ(時期違い?)、フィンフラッシュがやや低く、DWKの書体/サイズ/位置、胴体ラウンデルのサイズもやや異なる(単純ミス?)。




■ 塗装 2/13追加

 いよいよ塗装。ラウンデルは手描きで、最初に黄丸を塗装しておく。サイズは、OT本では主翼上面56インチ、胴体35インチとされるが、マスキングテープを切り出してモデルに貼ってみると微妙に記録写真と合わない。模型が実機と寸法が合ってないのか、実機も半端サイズのラウンデルなのか、原因不明。ここは雰囲気重視でラウンデルを模型に合わせる。下面は、中心の位置が上面よりやや外寄りで主翼前縁いっぱいまで描かれる。

 迷彩と黄丸は突合せで塗装。黄丸をマスキングし下面、上面を塗装。初期の迷彩は境界のぼけ幅が小さく、塗り分けはマスキングテープを使う。機体に貼ってパターンを描き込み、はがして切って再度貼る。後部胴体の下面色の塗り分け線は、ある時期(Mk.Vの途中あたり?)から変わるので注意が必要。初期はラダーが上面色のみ。ある時期から塗り分け線がやや上方に移り、ラダー下部にも下面色が入る。

 調色メモ。基本的に以前自作したものの使い回し。ダークアースは、P-40Lと同じ。#22ダークアースに黄色を2〜3割加えたもの。ビン生#22は赤味が強く感じる。ダークグリーンは、#361ダークグリーン(英軍機3色セットに含まれる)のビン生。なお手持ちの#330ダークグリーンとは色調が異なり、#330の方が暗く青みが強い。また#23ダークグリーン(2)は明るく黄色い(以前の記述は番号間違い)。下面は旧#8銀+#46クリアの上にガイア・フラットクリア。ラウンデルの黄色はF-86の帯で、GX4キアラ・イエローに微量の赤を加え、#58黄橙色よりやや赤味が少なくしたもの。ナイトは、白20%混の#92セミグロスブラックに自作グロッシーブルーを3割程度混ぜる。



隠蔽力の強いGX4キアラ・イエローがベースなので、サフの上に直接黄丸を塗装。

黄丸をマスクし、下面の銀、ダークアースを塗装。写真を見ながら迷彩パターンをマスキング。

マスクをはがし、境界の段差をラプロス#6000で軽く研ぐ。この研ぎの工程があるため、迷彩塗装に汚れ・退色のウェザリングをしないのだ。

下面は上塗りのフラットクリアで、かなりグレイっぽくなる。このあとラウンデルの青、白、赤の順に塗装していく。



■ 続、お絵かき

 続いて、偵察型スピット二題。まず、スピットにハマると誰でも一度は製作を夢見る(?)ピンク・スピット。でもいざ作ろうとすると改造やマーキングの障壁があって挫けるのだよね。その点イラストなら割りとお気楽に楽しめる。絵描きの特権だ。でも単色塗装って、模型に塗るのは簡単でも絵になると単調で上手く描けない。ともあれ、1940年7月、英国ヘンドンにおけるPDU(写真開発部隊)所属、PR Mk.IE N3117だ。IE型は、Mk.Iから武装を撤去し、両主翼下に斜めカメラのポッドを搭載、コクピット後方に29ガロンタンクを追加した。

 The Spitfire Story(以下TSS)に写真があり、Mk.IIと同じ丸いスピナとロートル製ブレード(!)、枠なし風防&側方ブリスター付きキャノピ、また中央寄りに記入された主翼上面のAタイプ・ラウンデルが確認できる。これは、OT Profiles 8の塗装図によればサイズ48インチで、翼端から中心までが約110インチ。LYとシリアルはミディアム・シー・グレイ。写真が不鮮明で翼下ポッドの形状&ディテールはよく分からず、イラストはかなり想像が入る。OT図では機銃アクセスパネル「なし」で描かれているが、Mk.Iから改造なら、機銃口と薬莢排出口を塞ぐ程度かも?? 同本、スピナとプロペラもスルーしてるからねえ。胴体追加タンクの給油口がどっかにあるんだろうけど、不明。



 お次は、1941年2月、PRU(写真偵察部隊:PDUが改称)所属、PR Mk.IC R6903。IC型はMk.Iの武装を撤去、コクピット後方の追加タンクに加え、左翼下に燃料タンク、右翼下に垂直カメラ×2のポッドを懸架した。同機もTSSに写真があり、Mk.Iと同じ尖りスピナ&デハヴィランド製ペラ、枠なし風防&側方ブリスター、大型オイルタンクで膨らんだ機首が確認できる。OTでは「なし」とされる主翼下面ラウンデルが、写真ではあるように見える。上面は不明で、OTは上のN3117と同位置、同サイズとしている。両翼のポッドは左右でサイズが異なり、カメラ用は短く深いが、タンク用は長くて浅い。カメラ窓前方にはバイザーがあるようだ。ま、詳しくは前述2文献を参照されたい。

 イラスト的には、ハイライトのぼかし幅を狭めて光沢アップ。なにせ、PRスピットは塗装後に磨いて速度が10〜15mph向上したとか。張り出したロワーカウルは写真トレースで形状はまずまずの精度。そのラインは後期マーリンPR型であるMk.XIと基本的に同じだ。大型オイルタンクが共通なんだろうね。そのロワーカウルのパネルラインのうち、前方のものはOT図が違い本画が正。後方のはMk.Iと同じ位置とするが、写真不鮮明で確証なし。主翼ポッドの方は形状、サイズ、位置とも大甘。



 初期の偵察型は、タイプが多い上、後に改称されたものもあり、非常にややこしい。ここで簡単に整理。Mk.IベースのものはMk.IAからIGまで7種類。出典はTSS及びOT。
  • IAは、Mk.Iの武装を撤去し(これはIFまで同じ)、空いたスペース(内側から2番目の機銃?)の翼内部両舷に下向きカメラを装備(IBも同じ)。風防は防弾ガラス付きでキャノピ側面にブリスター(これらはIGと同じ)。
  • IBは、ワンピース風防+ブリスターキャノピ(これらはIBからIFまで同じ)、IAと同じ翼内カメラ、コクピット後方胴体に29ガロン追加燃料タンク(これはIGまで同じ)。
  • ICは、IBの翼内カメラの代わりに右翼にカメラポッド、左翼に燃料タンクポッドを懸架。オイルタンク大型化でカウル下側が膨れた機体「も」ある。ワンピース風防+ブリスター、胴体追加タンク。
  • ID(後にPR.Mk.IVと改称される)は長距離偵察型で、主翼前縁内部に57ガロンの燃料タンク、後方胴体に垂直カメラ×2または斜めカメラで、後のPR.XIに近い形態となる。左舷ガンベイに14ガロン追加オイルタンク(そのためカウル下側の膨らみはない)。延長翼あるいはボークス/アブキール・フィルタを装備した機体もあり。ワンピース風防+ブリスター、胴体追加タンク。主翼改造に時間を要し、登場はIE、IFよりも後。
  • IEは中距離低空偵察型で、両翼下に斜めカメラのポッド。あとはICと同じ(大型オイルタンクはなし)。1機のみ生産。
  • IF(後にPR.Mk.VIと改称)は長距離偵察型で、両翼下に燃料タンクポッド(ICの左舷と同じか?)、胴体後方に垂直カメラ×2、大型オイルタンク、ワンピース風防+ブリスター、胴体追加タンク。
  • IG(後にPR.Mk.VIIと改称)は武装偵察型で、Mk.Iの機銃と防弾ガラス付き風防を残し、胴体後方に垂直カメラ×2と斜めカメラ(左舷アクセスハッチにカメラ窓がある)、ブリスターキャノピ、胴体追加タンク。


■ マーキング 2/24追加

 ラウンデルを塗装する。先日購入のスーパーパンチコンパスは、刃先の調整が難しく、また針と刃が斜めなので力の入り具合で直径が変化する。結局従来方式、つまり普通のサークルカッターか、小さな円はエッチング・テンプレートとデザインナイフの方がいいな。直径3mm以下はセロテープを推奨。貼り付けの位置決めも楽。直径が合えば、カット済みのマスキングテープが便利かも。

 上面二色の境界がクッキリ過ぎるのが気になり、泥縄式に筆塗りでぼかす。二色を等量混ぜ、境界に細線を描く。離れて見ればスプレーのぼかしに見えなくもない。



外側から順にテープを貼っていき、青部分のテープをはがす。青と白は突合せ塗装にする。

青、白が終了。筆塗りぼかしは、こんな具合。左画像のぼかし前と比較されたし。


 部隊マーク(というのかな?)の「19」は、P-51と一緒にインレタを作ってある。が、いかんせん原色の赤。実際にその可能性も否定出来ないものの、多分正解はダルレッド。ラウンデルの赤丸と一緒に塗装する。久々にクラフト・ロボの出番だ。ロボは、この位のサイズの文字のカットに威力を発揮する。データはインレタのがそのまま使える。マシンの性能の限界で、四角がちょい歪んでいるけど気にしない。どうしてもというなら、歪みを見込んでデータを逆方向に歪めるという手が使えるかも。



ロボ出動! 久しぶりで動かし方を忘れ、ロボが言うことを聞いてくれない。

赤丸は手切り。ロボは円を切るのが苦手なのだ。

ラウンデル、部隊マークが終了。19のダルレッドがダークアースに紛れて目立たない。記録写真でも目立たないから、まいいか。

下面も終了、のはずががが・・


 主翼下面シリアルのインレタを貼ろうとしたら、狭くて入らない。下面ラウンデルの位置、サイズを間違えてるぞ。がびーん。上面と同じ位置と思い込んでいたが、やや外寄りが正解。改めて写真から位置とサイズを起こすと直径52インチとなり、資料本の50インチと異なる。これまた原因不明。なお、この位置の違い(サイズもか?)は、極初期型のみのようだ。前回の記述は、しれっと修正しておく。



#1200ペーパーで凸凹を均す程度に削り落とす。作業中に片脚が折れる。 ったくもー!

サフを吹いて表面を整え、銀、青、白、赤と吹いて修正塗装終了。脚もつけ直す。上画像と比べ銀が暗いのは光線の加減。

インレタは、以前に作ってある。台紙を挟んだままテープで固定(上画像の状態)。台紙を抜いて転写する。

胴体にも貼る。


 前回掲載の桃スピPR.IEは、カメラポッドの後端が尻尾のように延びていた。これは写真でもこんな感じに見えるし、OT本の図もそうなってる。ただカメラポッドの形としては尻尾が伸びる必然性がない。模型を手にとって同じアングルで眺めると、尻尾に見える部分はオイルクーラーの可能性あり。ということで、普通の涙滴形に描き直す。正しい保証はない。もう一つ。初期PR型は、カウル左に小エアインテイクが追加されている機体がある。前回掲示の両機も「あり」で、イラストに追加。さらに表面も少々磨いて(?)光沢度をアップさせ、差し替える。


■ 続々、お絵かき

 お絵かきは続く。Mk.Vbを製造メーカー違いで二題。まずはキャッスル・ブロムウィッチ航空機製造所(CBAF)製シリアルBL627、1942年1月の生産。初期型風防、長スピナ&ジャブロ・ロートル・プロペラが特徴で、記録写真で見る英国ベースのVbの多くがこの姿。317Sqn(ポーランド部隊)所属機で、左舷ほぼ全身の写真がマッシュルームV型本にある。キャプションでは胴体タンク部にWONOSOBOと描かれているそうだが、写真不鮮明で書体等は不明。位置、サイズはこんなもん。主翼前縁の黄帯(規定は幅4インチ)は写真不鮮明で不詳。この黄帯は部隊により記入位置が様々で要チェックだ。風防下の小エアインテイクにも注目(左舷のみ)。



 続いてスーパーマリン製シリアルAA834、1941年9月生産。後期型風防、Mk.Iと同じ短スピナ&デハヴィランド金属プロペラに注意。403Sqn(カナダ部隊)所属。写真はオスプレイVエース本に右舷後方全身がある。よって左舷のマーキングは推測。ちなみに右舷はX◎KHで、レターの位置をこれに揃えて描画する。位置や書体から推測して、右舷シリアルは現地で後から記入したようで、左舷も同様と考えられるが、イラストではス社工場標準の位置で記入。黄帯も推測。パイロット頭部後方の機器は、近いシリアルの機体から推測して製造時はI型と同じ円筒形と思われるが、部隊で交換と考え、V型の標準に変える。この当時のミラーはI型と同じような四角い形をしている。キャノピ側面は平らで、おそらくノックアウトパネルあり。



 さて、この頃のV型は、調べだすと面白くてハマる。両社の違いは外形だけでなく、マーキングもしかり。ラウンデルはCBAFの方が前寄り。IFFアンテナの引き込み位置や点検パネルとの関係に着目。シリアルも、CBAFは帯の半ばまでだがス社はずっぽり。ただし、スカイ帯や迷彩の現地塗装によって、シリアルを現地塗装した例も多く、位置、書体などは様々。同様、ラウンデルとフィンフラッシュも変更され(胴体36インチC-1タイプ、主翼下面32インチCタイプ、フィンフラッシュ11/2/11×24インチ、主翼上面は変更なし)、これに伴い現地塗り替えした機体も多数。イラストの2機も42年2月以降は新ラウンデルに描き換えられたはずだ。なお、後期のフィンフラッシュで、白は狭くなったが高さが旧タイプのままという機体もあって、要注意だ。ラウンデルが旧直径のままのもあったりして?

 迷彩塗装については、生産開始当初は茶系(と勝手に呼ぶ。ダークアース/ダークグリーン/スカイ)で、迷彩をグレイ系(オーシャングレイ/ダークグリーン/ミディアム・シーグレイ)に変更する指示が出た後も、工場ではしばらくこれが続いた模様。従って、グレイ系迷彩機も現地で茶系から塗り替えられたものは多い。このときオーシャングレイの供給が間に合わず、ミクストグレイと呼ばれる現地調合(それゆえ色調ばらつきあり)グレイが使われたとか。これは、ミディアム・シーグレイとナイトを7:1で混ぜたもの。無彩色グレイでなくやや青味がかってるのは間違いないが、どの程度だろうか? 

 次に機体形状について。V型の生産はまずス社で始まり、このときの外形はほとんどI型の後期と同じ、すなわち短スピナ&デハヴィランドペラ、初期型風防、ストレート排気管で、唯一オイルクーラーだけが標準的なV型のものになっている。直ぐに風防が後期型になり(キャノピ側面はまだ平ら)、次にフィッシュテイル排気管、遅れて側面バブル形状キャノピが導入される。アンテナも極初期はI型同様空中線ありで、まもなく線なしとなる。スピナとペラは終始不変。もう1社のウェストランド製は、外形、塗装ともス社と同様。ただし生産開始が遅く機数は少ない。

 一方CBAFは、最初はII型とほとんど同じ。つまり丸スピナ、ロートル金属プロペラ、初期型風防、ストレート排気管。その後、フィッシュテール排気管、長スピナ&ジャブロ・ロートル木製プロペラになるが、風防は長く前期型のまま。後に熱帯型生産開始と同時(かほぼ同時)にようやく後期型風防に変更になる。このあたり、塗装変遷も含めかなりややこしいので、時系列順に整理する。これでスッキリ。長年の疑問もほぼ解決。出典はOT、マッシュルーム本。勘違い等あればご指摘願う。
  • 40年11月 スカイのスピナ&胴体帯(18インチ)の指示(迷彩はまだ茶系)
  • 41年3月 最初のスーパーマリン製V型が完成(前期型風防)
  • 41年5月 ス社、後期型風防に変更
  • 41年6月 最初のCBAF製V型完成(丸スピナ、前期型風防)
  • 41年半ば? フィッシュテール排気管
  • 41年8月 グレイ系迷彩(OG/DG/MSG+黄帯)の指示(工場生産には遅れありか?)
  • 41年後半? CBAF、長スピナ+ロートル木製ペラに変更
  • 41年10月 マルコムフード導入
  • 41年12月 最初のウェストランド製完成
  • 42年1月 ス社最初の熱帯型完成
  • 42年2月 新ラウンデル&フィンフラッシュの指示。ただし現地では6月頃までとか
  • 42年5月 CBAF、後期型風防に変更
  • 42年5月 CBAF最初の熱帯型完成
 シリアル。基本的に英字のみで区別できるがABだけは注意のこと。←機体の特徴で直ぐ分かるが。
  • スーパーマリン R,X,W,AA,AB(536まで),BP,BR,BS
  • CBAF      P,AB(779から),AD,BL,BM,EN,EP,ER,ES,JG,JK,JL,LZ,MA,MH
  • ウェストランド  AR,EE,EF


■ 新居 4/5追加

 II号戦車の頁でお知らせした引っ越しは、荷物の搬入&片付けが終了し、ネットも開通。手伝い、というよりは遊びで泊りに来ていた息子も帰り、今夜から独り暮らし(←待望の?)。で、最初の作業はページの更新。模型製作も間もなく再開する予定。


■ 完成

 以下は引っ越し前の作業で、仕上げのあれこれ。見た目に変化ないが、手間はかかってる。マーキング塗装の段差を均すため、セミグロスクリアを吹いて研ぐ。完全には解消しないが、やり過ぎるとスジボリが埋まる。研ぎの最中にエッジや羽布リブの下地が現れ、面相筆でタッチアップ。ラダーを真鍮線で胴体に繋いでいた部分が、長期の酷使で割れる。接着、パテ盛り、研磨、タッチアップで補修。改めてK9797の実機写真を見返すと、一部の迷彩パターンが違い、面相筆でタッチアップ。ちなみに、左舷胴体のラウンデル前下方とシリアル上部、19の付近。また、不鮮明な写真からこの頃はウォークウェイ「なし」と思っていたところ、鮮明な写真で「あり」を確認。マスクして塗装。

 続いてウェザリング。スミイレは水ウェザマス。主翼付け根などに剥がれ&汚れを面相筆でチョボチョボ描き込む。スピットの特徴的な下面の油汚れは、ファレホで塗ってみる。乾燥後にタミヤ水性アクリル用シンナー(水で薄めたアルコールと同じ)で拭き取って、気流による流れを表現。最後にガイアのフラットクリアをオーバースプレーして、キャノピのセロテープマスクをはがす。



機首カウルの形状は、初期マーリンならこの形!という自分のイメージどおりになってくれて、大満足。同じアングルの実機写真(製作記その1にもあり)と見比べていただきたい。


小物を追加。ラダーマスバランスのガード(参考文献-13、18に形状の分かる写真あり)、真鍮パイプの機銃(外側2丁のみ)、脚出指示棒、半田細工のピトー管、胴体航法灯、尾灯、脚ロック用リングなど。アンテナ線のみやり残し。


ラダーのガードは、このように三角形の角を丸めたような形をしている。コクピット後方胴体内部は銀色が正解。残念。



■ もっと、お絵かき

 極初期型をもう一枚。同じ19スコードロン所属機で、拙作より半年後の1939年4月頃の姿。意匠的には私好みで、「最初」に拘らなければこの塗りにしてたところだ。ラウンデルは胴体25インチ、翼上56インチのBタイプに描き直された。翼下はそのまま50インチAタイプが残され(写真不鮮明で確証ない。OTではBタイプとしている)、左舷には細い黄縁。レター30インチ。下面は胴体中心線より左舷がナイト、右舷が白。両エルロンは、重量バランス維持(=フラッター防止)のため銀のまま残される。右舷エルロンは一部資料にあるような黒ではない。

 当機はシリアル(考証はOTによる)から判断して、従前は作品と同様なマーキングと考えられ、イラストはラウンデル、シリアル、尾翼の19を塗りつぶしたように描く。これ、Inkscapeでは透過率10%の黒を重ねるだけだが、何となくそれらしくは見える。同時期の同隊機は、レター、胴体ラウンデルは機体によって記入位置がバラバラ。上部が湾曲した新キャノピの機体は、胴体ラウンデル位置が高く、マーキング変更後に完成・納入されたのか?




■ 最後の作業 6/5追加

 随分引っ張ってきたけど、これでおしまい。シーファ47のインレタのついでに作ったコーション・ステンシル、目立つ所のみ貼り付ける。定着は当該部にシンナーを筆塗り。アンテナ線を取り付け。これにて最終的に完成、静岡HSへ。写真はなし。悪しからず。


■ 最後の(?)お絵かき

 以前、ちらと表紙に載せたのを再掲。1940年9月、第616スコードロン所属 X4330、QJ◎G は、後の大エース、ジョニー・ジョンソン中尉(当時)の搭乗と考えられている。上面温帯陸上迷彩Aスキーム、下面は正式なスカイ。以上の出典はOT-Profiles4。下面ラウンデルのサイズはOT本の25インチは小さすぎで、イラスト程度の大きさだ。実機写真は世傑など多くの文献にある。で、折角なので、前出610Sqn.と並べてみよう。BOB参加機って、みな同じような塗装なんだけど、細かく見るとバラバラ。当時の状況(国家存亡の危機)からして、細部にかまってる暇などなかったのだろう。





■ スカイの色調について

 備忘メモ。出典はOT sp.8である。そも、従前のナイト/白は、味方対空砲からの識別が主目的で、IFFの導入によりその必要性が減少し、逆に目立ち過ぎるとされた。戦闘機下面へのスカイの導入は、1940年6月6日の空軍省からの通達により始まった。しかし、公式塗料の供給困難により、現地では様々な代用色が使われた。

 公式塗料のスカイタイプSは8月中〜下旬から利用可能になり、それ以降に生産された機体は当色となったが、6月から8月までは、少なくとも5種の違った色が使われた。すなわち、@スカイグレイ(FAA規定色)、ABS381(1930)No1スカイブルー、BBS381(1930)No16 オードニル(Eau-de-Nil:フランス語でナイル川の水。正しい発音は知らん)、C特定不能のブルーグレイ、D本来のスカイ、である。これらに加えて、個々の部隊がスカイに合わせて現地調合したとのこと。

 さて、では@〜Dがどんな色なのかが模型的には問題。OT本にカラーチップはなく、印刷の色見本があるのみ。その印象や本文記述、現行のBS381その他から私なりに勝手に想像する。@は明るく無彩色に近いグレイで、FS36463相当とか。Aは緑味のないやや暗めのブルーグレイ。OT本ではDW◎Kがこれに相当とされる。拙画の色調は私の想像。ただしOT本印刷色見本は明るい水色で何やそれ。Bはスカイよりも緑味が強く、より濃く暗い感じ。Cは不明。Dは一般的なスカイまたはダックエッググリーンと呼ばれる色。FS34583、34672などが相当とされる。さらに上記OT本の各塗装図キャプションではペール・ダック・エッグ・グリーンという色名が登場するが、これと上記@〜Dの関係は不明。


■ お絵かき 2015/6/17追加

 一年ぶりにお絵かき。初期型マーリン、グリフォン各型を描いて、残るは後期マーリンだ。欧州のMk.IXは絵的に変わり映えしないので、SEACのMk.VIIIcを二題いってみよう。A58-614/ZP-Qは、1945年5〜6月、インドネシア北東部モロタイ島におけるRAAF第457スコードロン所属機。鮫口好きとしてはコレは外せない。グレイ・ナースとは豪州近海に生息する獰猛な鮫の名。文献-77に左舷斜め後方からの全身の写真がある。同文献に搭乗員氏名は記載ないが、文献-52のイラストにA58-514/ZP-QがA.Glendinnin大尉の乗機とされ、関連あるのかないのか。なお同イラストは鮫口なしの姿。

 Grey Nurseの文字は型紙を使って左右両舷に塗装されており、基本的に各機共通。ただし、よく見ると細部に違いがあり型紙が何枚かあった模様。鮫口の詳細(歯の数、配色等)は写真の角度のせいでよく分からん。右舷のレターは同隊他機の例からしてQ-ZPで間違いないだろう。主翼上面ラウンデルは56インチ。欧州向けの温帯地上迷彩のラウンデルをそのまま塗りつぶしてRAAFラウンデルにしたのか。ただ、それだと胴体は36インチになるはずだが、写真から割り出すとどう見ても32インチ。下面ラウンデルは32インチか。フィンフラッシュは22×24インチ、レターは18インチ。

 同隊のシャークマウスは機体により様々で、イラストのような大サイズと「にやっ」と笑ったような小サイズの2タイプがあり、さらに歯の数や大きさにも違いがある。同隊の属する第80飛行群の司令R.Gibbes中佐搭乗機A58-602/RG-Vが有名であるが、写真が胴体中央部しかなく鮫口が不明で、既存塗装図やデカールの考証では大/小の両説があって作画は断念。←写真発見、後述。



 RAAF第457スコードロンは、1941年6月に英国にて開隊され、10月からスピットファイアMk.Iを装備した。当初は他のRAAF部隊へ送り出すパイロットの訓練を主としていた。Mk.IIを経てMk.Vcに転換後、1942年3月から実戦参加し、欧州大陸への掃討や爆撃機の護衛を行った。同年9月に隊員はオーストラリアへ移動、当初の装備機はワイラウェイ(!)。順次スピットファイアMk.Vcに転換し、1943年1月より実戦参加、ダーウィンの防空任務に就いた。1944年7月からMk.VIIIcに転換、オランダ領東インド方面の地上攻撃や船舶攻撃に従事。1945年2月よりモロタイ島に進出、同島の日本軍陣地や船舶への爆撃や銃撃、攻撃隊の援護などを任務とした。6月からボルネオ北西のラブアン島に移動し、終戦まで英領北ボルネオの地上軍航空支援を行った。


 さて次は、RAFのSEAC迷彩機。1945年6〜7月、ビルマのミンガラドンにおける第607スコードロン隊長、J.Pegge少佐搭乗機MT904/AF-Xである。少佐はバトル・オブ・ブリテンのエースで撃墜8機。文献-52に右舷後方からの実機写真がある。右舷のレターはX-AF。写真が小さく不鮮明なので、シリアルの書体などの細部は文献-52のイラスト任せ。



 白帯の幅と位置は、他機の例も考慮すると、概ね主翼が24インチで外端がエルロン内端に接し、水平尾翼は20インチでエレベータにかからず、位置はちょうどエレベータタブのあたり、垂直尾翼は18インチ。SEACラウンデルのサイズもいまいち確証がない。WEB検索しても規定値が分からない。写真から割り出すと14〜15インチ、比率は2:5か。主翼上下ラウンデルのサイズは胴体と同じで、レターの高さも同じ。シリアルは8インチか。同じ写真にMT791/AF-Pが写っており塗装は同じ。サンダーボルトの例などからしてDG/DAのSEAC迷彩は現地デポで再塗装されていると思われる。

 第607スコードロンの歴史は古く、開戦当初からハリケーンでフランスやバトル・オブ・ブリテンを戦った。当時からコードレターはAF。1942年5月にインドに移動。1943年9月にスピットファイアVcに転換、1944年3月からスピットファイアVIIIcに転換し、終戦時にはビルマに駐留していた。


■ 補足 6/20追加

 その後、資料を見返して新たに気付いたことがいくつか。イラストも細かい修正を加える。第80飛行群の司令R.Gibbes中佐搭乗機A58-602/RG-Vは、文献-77の小鮫口機の写真をよ〜く見ると、中佐機の撃墜マークがあり、当機は小鮫口が正解。既存文献の塗装図は皆間違いだ。→小鮫口の塗装が存在したのは間違いないが、のちに大鮫口に塗りかえられ、つまり大小両方が存在する(2016/1訂正)。主翼上面や翼端部は確認できず、ハイパー作例の小ラウンデルや前縁白のラインが正解かどうかは不明。胴体後部の白帯、機銃スリーブ全体白は写真で確認できる。タイヤは四角いブロックトレッドパターンだ。トルクリンクははっきり写ってないが多分前側にあり。

 次に、RAAF国籍標識について。これは1944年2月から5月にかけて発出されたRAAFダイヤグラムA5524に規定があり(文献-77)、これによると、胴体ラウンデルは機体サイズにより16、32、48インチのいずれか。青と白の比率は8:3。記入位置は主翼後端からC/5の間隔をとる(C=主翼付け根のコード長)。フィンフラッシュは横が16、22、34インチのいずれかで、縦は全て24インチ、青と白は1:1。

 主翼についてはサイズの指定はない。ただし、直径30インチ以上84インチ以下で、ラウンデルの中心が胴体中心から全幅の1/3の距離、かつ動翼(エルロン、前縁スラット)との境から等間隔のマージンを取った位置に記入される。シリアルナンバーは5×8インチ。ただし、発出時期が遅いこともあり、これに従わない機も多数。規定はあくまで参考値ということで。


■ Mk.VIIIc図面 8/24追加

 イラストを描くついでに作業していた図面が、ようやく出来上がる。じつは、これまで一連の図面作製の後、「Spitfire Mk IX & XVI Engineered」(以下Eng本、資料提供感謝!)に掲載の、胴体、カウル、翼の座標データにより各部分をもう一度検証し直し、ちまちま修正していたのだ。ちなみに、座標データと自分の既作図面(実機写真ベース)をチェックすると、まあ1/48では無視できる程度の誤差に収まっていて一安心。逆に言うと、写真と座標データの整合が確認できたわけである。

 ということで、基本的アウトラインは、座標データにピッタリ合わせて修正する。一方で、風防、キャブレター・エアインテイクなどは独自の解釈とする。例えば風防は手持ちの別資料のデータとも照合して、Eng本の図面より僅かに幅広にする。また、インテイクは現存機写真に合わせる。Eng本は、基本的外形は座標データに合っているが、細部までは完全でないと思われる。というか、そう思わないと今までの膨大な作業が無駄に感じられちゃうので・・・

 ともかく、側面図、平面図を掲載。次回、断面図、正面図の予定。逐次、既作の図面も訂正していくつもり。その際、Eng本データを反映したものはver.3.0以降として区別する。なお、カラーイラストは古いバージョンなのでご注意を。←8/27、Mk.VIII差し替え済み。

拡大図面

拡大図面

拡大図面

拡大図面




  • Mk.VIIIは現存機も少なく細部がよく分からない。不明点はMk.IX、XVI、XIVなどを参考にする。お気づきの点があれば、ぜひご指摘いただきたい。

  • 主翼部の胴体下面の小アクセスパネルはEng本の下面図と同じでなく、XIV現存機と同じにする。大した根拠でないが、VIII型の主翼、胴体は、IXよりXIVに近いのではないかとの推測。まあ、XIVがこれで正しいという根拠も薄いけど。

  • 一方、カウル回りは基本的にIX初期型に合わせる。違いが確認できた一部アクセスパネル等は黒線で表示。上面は不明。IX現存機を参考にする。

  • 胴体座標と翼座標、翼取付座標を突き合わせると、主翼最下点より胴体最下点が低い。そう思って写真をよ〜く見ると、主脚付近の下面は平らではなく胴体中央部が膨らんでいるように見えなくもない。

  • 側面図は細かいミスを訂正し、またスピナなどにディテールを加えてver.3.1とする。上面図は、誤解を生むといけないので、アッパーカウルの幅を、下端のサイドカウルとの接線ではなくカウル最大幅に変更し、ver.3.1とする(8/29)。下面図は航法灯を修正してver.3.1とする。詳細はMk.Vb製作記参照のこと(10/22)。




■ Mk.IXの機首

 さて、今回Eng本のデータと既作図とを照合する中で、新たな発見がある。それはIX後期型カウルのラインで、アッパーカウルが膨らむのは前に指摘したが、さらにサイドカウル、ロワーカウルのラインも膨らんでいるらしいのだ。Eng本の座標は後期カウルのもので、これとPR.XIのカウル(オイルクーラーの膨らみを除けばIX前期やVIIIのカウルと同じと考えられる)の製造図面(断面図と座標データ)を比較すると、アッパーカウルの線が一致しないのは当然としても、サイドカウル、ロワーカウルの線まで一致しない。

 下図を参照いただきたい。黒線はPR.XI製造図を元にした線、赤線はEng本の線である。両者の差は、アッパーカウルの幅についてはごく僅かで、実機では全く同じかも(図はカウル下端のサイドカウルとの分割線を図示。カウル最大幅ではないので注意)。一方、サイドカウルは誤差とは言えない程の差があり、それに伴いロワーカウルも幅広となる(下には膨らんでいない)。結果として、前期カウルではカウル〜胴体の最大幅は6番フレーム付近であるのに対し、後期カウルではカウル中央付近が最大幅となって、胴体側面は防火壁のところで僅かに折れ曲がる。なお、排気管は前期のフィッシュテイル型のみを図化している。

拡大図面

 考えてみれば、アッパーカウルが上に膨らむのは何らかの理由があるはずで、同じ理由によってサイドカウルも横に膨らんだと考えれば、それほどおかしな話でもないだろう。


■ まだまだお絵かき 8/31追加

 お絵かきは止まらない。今度はシーファイアMk.IIIなのだ。後期生産型になると、サンドフィルター付きエアインテイクとなり、4枚ペラ、6本排気管と相まって、一見ツーステージ・マーリンのようだね。III型の頃になると写真でシリアルが判別できる機体が少なく、イラストの選定には苦労する。その数少ない中から、まずは前期生産型いってみよう。1945年春頃のインド洋における、空母ストーカー搭載809sqnのウエストランド製L.III/NF434、レターD-6Yである。

 



 イラストの解説。写真でシリアルは読めず、フロム・ザ・コクピット(以下FC本)のキャプションに従う。SEAC塗装の同隊他機の写真では、レターがスピナの白より暗くラウンデル中心と同じ明度。水色の可能性もあるが、イラストでは白が汚れたものと解釈。右舷のレター配置は不明で他機から推測。レターの黒フチも同様。その他、ジャイロ照準器、ヘッドパッドなし、右舷主翼のIFFアンテナロッド2本、皿状ホイルキャップが確認できる。

 主翼上面ラウンデルは、他機の例からC1タイプの赤白をSEACラウンデルで塗りつぶした感じで、水色の直径は約12インチ。下面は胴体と同じサイズ。主翼上面の白帯は幅約30インチで帯の中心がエルロン端に位置する。水平尾翼は幅20インチ程度。フィンフラッシュは、これもなぜか水色の比率が小さい。



 実は、同じレターD-6Yで複数の塗装がある。FC本p.72には、胴体が赤白青黄のC2タイプで主翼上面はC1タイプラウンデル、暗色スピナ、レターは明度から判別して白。同p.81にSEACラウンデル、白帯なし赤ありフィンフラッシュ、暗色スピナ。同p.79にD-6Yと思われる(人の影で機番は読めないが、余白からYかTだろう)クラッシュした機体で、SEACラウンデル、白スピ、主翼白帯、前期インテイクで、イラストはこの姿。さらに、同p.78にSEACラウンデル、翼白帯、白スピナ、ただしレターとラウンデルの位置は前3枚とは異なり、また不鮮明ながら後期インテイクのように見える。いずれもシリアルは不鮮明。

 以上から勝手にストーリーを推測すると、NF434は当初欧州ラウンデルに赤?スピナ(下図上段)。アジアに移動し、当初ラウンデルのみ塗り替え(下図下段)。その後白帯追加、スピナも白に塗り替えるが、着艦事故で用廃。後日、後期インテイクの新機体に同じ白スピ、白帯を施しD-6Yと記入。ラウンデルとレターの位置が違うのはそのため。

 なお、欧州塗りはウォーペイント(WP本)イラストではシリアルNF497とされている。ただし、レターの位置から同じ機体と思われ、シリアルは不鮮明な写真から読み取ったためではないかな?(FC説を採用しているのにはとくに理由はない) 前述のように、FC本、WP本の両者で塗色やシリアルの解釈が違う例や、エアインテイクを間違えている例があるので、両本のイラストはあまり信用できない(←私のイラストもね)。WP本にはシリアルリストがあり、前後期はある程度推測できる。






 809スコードロンは、1941年1月フェアリーファルマー装備で開隊。1943年3月からシーファイアIIに転換し、トーチ作戦やサレルノ上陸を支援、1944年8月にはフランス南部への上陸作戦。1944年7月から順次シーファイアIIIを装備し(IIは同年10月まで使用)、1945年3月、空母ストーカーに搭載されセイロンの東インド艦隊に所属し、ラングーン奪還作戦における制空確保に貢献、6月にはマラヤ及びスマトラでの作戦に参画した。終戦後も引き続きマラヤの再占領を支援した。その後、1949年にシーホーネットNF21に改変、1954年にシーベノム、1963年にバッカニアS.1、66年にはバッカニアS.2を使用した。1982年のフォークランド紛争には、シーハリアーで参戦、同年12月解隊となるが、FAAで最初のF-35装備部隊として再結成され、2018年からクィーンエリザベス級空母に搭載される予定であるとのこと。


 続いてBPFラウンデルの後期生産型、1945年6月の南太平洋における、空母インプラカブル搭載880sqn所属のウエストランド製(Mk.IIIは他にスーパーマリン製がある)L.III/PR240、N-15-5だ。いやほんと、Mk.IXにそっくりだね。FC本p.110にある右舷の写真ではインテイクが見えないが、シリアルが角ばった書体までハッキリ読め、これより後期型で間違いない。スピナは暗色のようにも見え、一応紺色としておく。FC本では黒(インテイクは間違い)、WP本ではスカイ。主翼ラウンデルは胴体と同じサイズ。位置は当HPシーファ15を参照されたい。ラウンデルの白紺の比率、レターの書体、サイズ等は写真から起こす。前述両本はこのあたり不正確。左舷は不明なので推測。艦載機って、艦橋が右舷にあるせいか左舷の写真が少ないのだよ。

 880スコードロンは、1941年1月に3機のマートレットIにて開隊、7月にシーハリケーンIBに改変する。1942年春には空母インドミタブルにてマルタ島輸送作戦に参加、3機損失と引き換えに8機撃墜3機撃破するも艦は激しく損傷した。1942年8月、シーファイアIIに改変、10月のトーチ作戦、1943年3月シシリー上陸、7月のサレルノ上陸に参加した。1944年3月からシーファイアIIIに転換、4月には北海にてテルピッツ攻撃に加わった。1945年3月、英太平洋艦隊(BPF)に所属、空母インプラカブルにて6月にトラック島を攻撃、8月には日本本土攻撃に加わった。翌月解隊。



 不屈の(indomitable)執念深い(implacable)ストーカー(stalker)の女って、女王陛下の空母って怖いな(失礼。でも船は女性名詞、それに空「母」だしね、って子供いるのにストーカーかよ!)。さておき、ベースの図面は座標データ反映のVer.3.0対応。そのうち図面も掲載する予定。主翼はMk.XV、XVIIと基本的に同じで、ラジエータ関係、機銃(長い)、脚カバー(IXと同じ)、車輪部バルジ(なし)、というあたりが異なる。




■ 参考文献

 参考文献リストはシーファイアMk.47の頁に掲載。




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