スピットファイア Mk.VIII(エデュアルド 1/72)製作記

2017.5.17初出




完成画像





■ はじめに 

 静岡HSが終わる。今年は三男坊の学園祭と重なり日曜のみで物足りない気分だけど(あと2年このパターンだとイヤだなあ)、たくさんおみやげを頂き感謝至極。今年は(も?)空ものの会場発表は寂しく、とくにハセの元気の無さが本気で心配。虎屁などチューカ系の歓迎せざる影響が実体化したのか。みんな、もっと支援(=キット購入)しないと、無くなってからでは遅いぞ。(←まず自分がやれってか)

 さて、新たな模型年度のお品書きは、メインディッシュがエア飛虎隊ホークH81で、箸休めにエデュスピを開始する。といいつつ実はMk.IX発売と同時に購入して、時々いじってたのだ。製作コンセプトは最大限キットを活かしVIII型を作る。一部の凸モールドは落とした方が楽だけど、それも出来るだけ残す。エデュアルドのキットは、VIIIやXVI型の小物が含まれており、小指をひねる程度でVIIIに改造できる。


■ キットレビュー

 エデュ1/72は同社1/48の忠実なスケールダウン。その1/48はタミヤ1/32をコp・・もとい「十分に参考」にしたもので、結論として1/72後期マーリンのベストキットである。重箱の隅をつつけば、1/48の「参考度」は100%ではなく、キャノピや胴体上部がやや細身ではある(エア1/48Mk.V記事参照)が、1/72ともなると全く気にならない。あえて不満を言えば、梨地は我慢するとして邪魔なリベットと一部の凸表現は止めてほしい。過剰な分割も大いに不満。いらぬ接着ガイドで表面にヒケが出来る。あれだけ小物パーツを並べるのなら、基本パーツは一体にして、各型式別に作ったらいいのに。

 エア1/72のIX型は同社の他型と比べてかなりプア。全長が過大で妙に細長いシルエット。小物もエア通例だから、はっきり言って購入価値はない。

 ハセ1/72のIX型は、好キットとして随分とお世話になった。エデュが出た現在、寸法的正確度では勝てないかな。ただ、エデュの過剰な表面モールドと比べると、スッキリした清潔なモールドは依然として存在価値がある。


■ お絵かき 

 予定マーキングは、野馬のインレタでネタバレ、豪空軍第457スコードロンの白鰐だ。読者諸兄には新鮮味がなくて申し訳ないけど、自分的にベストな塗装を選んで絵にしてるので、必然的に模型も同じになるのだ。Inkscapeデータも使えるし。イラストはリベットなど細部を修正。また、これまで気付いて知らんぷりの脚カバーの湾曲とチラ見えの脚柱も表現する。タイヤは真横からでは見えない。




■ 図面

 一応図面を掲載しておく。というか、主目的は自分の作業用。必要時にスマホで表示すると便利。細部は微修正する。


  • 側面図はリベットと関連するパネルライン、平面図は翼端部前縁の平面形状(1/48で0.3mm程度)のみ。断面図は修正なし。




■ 製作開始

 今回更新は、今まで1年間の作業記録。コクピットは素晴らしい再現度。早く欲しいばかりにプロフィパックを買ったけど、エッチングは好みでなくプラのパーツを使う。不要エッチングはそのうち使い道があるだろう。キャノピでちょいとヒネリを利かせるため(後述)、コクピット後方の胴体幅を狭める。そのため胴体フレームなどの幅を調整する。



ディテールアップは一切してない。床板パーツ(実機に床板はないけど)の幅を狭める必要あり。

左舷も素のまま。塗装もいつものとおり、グレイグリーンはビン生。

シートはキットパーツを薄く削る。ベルトはファインのナノシリーズ。相当オーバースケールだけど、気にしないことにする。

塗装して取り付け。後ろに延びるベルトもファイン。幅は少々狭める。

後方固定窓を接着する。当該部の胴体は0.5mmほど狭める。

ダブル針で窓枠をスジボリ。


 アッパーカウルとロワーカウルは初期、中期、後期の選択式のため別パーツとなる。接着部のすぐ近くにファスナの凸モールドがあって、接着には気を使う。先に上下カウルパーツを胴体パーツに接着してから、左右胴体を接着するのは、この手のパーツの鉄則。乗降ドアは開けない。パーツの厚みが気になるから。ドアだけなら薄くできるけど、胴体側は無理。


■ キャノピ

 今回はキャノピ開固定とする。本当は開閉選択式にしたいのだが、72だとプラの厚みのためスケール感との両立は困難。キットはキャノピ開閉選択式で、両方のパーツがセットされる。開のパーツはプラの厚みのために3回りほど過大。そこで閉パーツを使うというのが前述ヒネリ。そのままでは胴体に乗らないから極限まで薄く削り、胴体側も細くする。幸い、中央部はバブルのためそんなに削らなくて済む。



胴体に乗せてみると大きさの違いが分かる。こちら開パーツ。ちょっとこれはあまりに過大で全体のシルエットが狂う。

こちらは閉パーツ。大きさはこうでなくちゃ。胴体との削り合せは概ね済ませてある。もう少し胴体に密着させたいな。

左、開パーツ。右、閉パーツの後方固定部を切り落としたもの。風防パーツは1つだけで開閉どちらも同じ。

胴体側もノミで削り込む。風防は未接着。後方固定窓は開用のパーツ。



■ 十の字

 リベットのモールドを消さないよう、接着には神経を使う。とにかく上面側の表面をツライチに接着することを最優先。そのため、先に上側パーツを胴体に緑フタで接着。翼端とエルロンも上側パーツに先付け。最後に翼下面を接着する。本来CAD設計で図面上はピッタリなんだろうが、プラの収縮、組み立ての不手際などで意外に大きな隙間ができる。逆にいうと、翼上下を先に接着した場合は翼と胴体の間に隙間段差が生じることになるわけ。



まず主翼上側パーツを胴体に接着。

下側パーツも接着して(見えないけど)、十の字になる。


 ここまで超スローペースで一年の歩み。


■ 2M御礼 6/9追加

 6月7日、玄関のカウンタが200万を超える。改めて日頃のご支援に感謝したい。100万が5年前の2012年7月。その間の完成は、1/32が2機、1/48が2機、1/72が15機、陸が4両、図面が14機種。完成品がちと少ない。その分、図面とイラストにシフトしたか。模型も図面も、やりたいアイテムはまだ沢山ある。今のペースを維持しつつ、300万越えを当面の目標としよう。


■ 士の字

 某日本機図面や隠しアイテムに手を取られて、スピはあまり進まず。尾翼、ラジエータを取り付け、表面ディテールを仕上げていく。今回はキット素のままという製作コンセプトだが、羽布表現だけはゴツすぎて我慢できず、瞬間盛って削り落とす。これはインレタで再生する予定。ラダー下半が厚さ不足なのは、目立たない場所だからスルー。 スピナは胴体よりやや小径で、後端に0.3mmプラバンを接着する。



接着部をサンディングし、表面の確認のためサフを薄く吹く。水平尾翼とラダーを接着。スピナは仮止め。

キットはリベットが細かく彫刻されている。翼端部は接着の摺り合わせでほとんど消える。画像はケガキ針で再生したもの。

ファスナの凸モールドも再生が厄介だ。

消えたファスナを延ばしランナーの薄切りで再現。接着は緑フタ。翌日ペーパーで薄く削る。ちょっとオーバーサイズか?

ラジエータ接着。Mk.VIIIの胴体下面の航法灯の存在が不明。たぶん「なし」で埋める。

翼端灯はクリアランナー。


 リベット、ファスナの再生が終わったら塗装だ。


■ お絵かき 

 全型コンプ目指し、後期マーリンを攻める。VIIIの次は偵察型を二題。PR.XI MB950は1944年9月、第14PS(Photo Squadron)所属機(多分)。PRUブルーは退色と汚れが著しく、斜め後方からの写真では、主翼のDDストライプを消した際の新しいPRUブルーとの明度差がはっきりしている。実機の胴体インシグニアは前下がりに傾いているが、美しくないので水平に描く。胴体側面のカメラ窓は「なし」。描き忘れではない。

 XIのキャノピの基本形状は、多くの図面や模型で間違えているので要注意。風防はMk.I極初期の防弾ガラスなし風防と同じ形状で正面は平面。スライドフードはバブル状だが、MK.IXなどとは異なり、前側フレームの高さが低い。PR.XIXの前期型(与圧なし)も同じ形状。ロワーカウルのアウトラインは製造図の座標データに基づく。



 続いては、与圧コクピットのPR.Xだ。型式はXIより前だけど出現は後。このあたりはVIIとIXの関係と似ている。 SR396は、1944年夏における第542スコードロン所属。塗装は資料により解釈が異なり、多くの文献では全面ミディアム・シー・グレイとされるが、オンターゲットでは全面PRUピンク、またヴェンチュラ本では退色したPRUブルーとされるが、上面ミディアム・シー・グレイ、下面PRUブルーが正解(情報感謝)。写真をよく見ると、ロワーカウルの色が異なるのが分かる(その境界はパネルラインとややズレる)。写真は右舷で、左舷側面カメラ窓は推測。胴体シリアルは迷彩色で塗りつぶされている。また、バックミラーは暗色。

 与圧キャノピの詳細はいい写真が少ない。現存PR.XIXなども参考にしつつ、まあこんなところか。風防は与圧なしとよく似ているが、胴体との接合部など細部が異なることに注意。Mk.VIIのキャノピも同じ。ただしVIは異なる。これはそのうちイラストで。




■ サフ吹き 6/30追加

 ゆるゆる作業中。中途半端に消えたリベットの再生に時間がかかる。元のモールドをケガキ針の先で探り、1つ1つ彫り直すしかないのだ。まっさらの表面にリベットを打つのは苦でないが、こういうのは苦労を強制されてるみたいで、どうも好きになれない。1/72キットにはリベットはいらないな。というか、個人的にはあらゆるスケールでリベットは不要。1/48以上は自分で打つのに邪魔なだけだし。再生したカウルファスナも大きすぎてやり直し。最初から全部削ればよかったか。その他小物を少々。



主翼と一体の機銃の根元は削り落としており、プラ棒で延長する。カウルのファスナを延ばしランナーで再生。

機銃接着。VIII型の特徴である主翼前縁タンクをスジボリ。

表面確認用に極薄くサフを吹く。アンテナ柱基部は0.3mmプラバン。

再生したカウルファスナ。延ばしランナーの上から#10たまぐりで押さえ、中心に0.2mmバイス。苦労した割にヨレヨレでガッカリ。

この辺のリベットはほとんど再生したもの。深さの加減が難しい。

胴体後半はキットオリジナルのリベットが大部分残る。


 さあ、本番塗装。その前に、風防を接着、インレタのリブテープを貼らなきゃ。鮫口をどう塗ろうか。歯茎の細い赤線が難物。


■ お絵かきその3

 偵察型に続いては、マーリン型の最終形、Mk.XVIeを二題。全面アルミラッカー塗装のRW396/F-JWLは、エレールの箱絵でお馴染みだね。1948年、RAF中央射撃学校(Central Gunnery school)所属。主翼上面ラウンデルはCタイプ。この頃には車輪部の翼上面には大きなブリスターがつく。排気管はストレートで、新たに描き起こす。XVIおよびIXの後期生産型のエンジンカウルは上と横に膨らみ、防火壁で側面が折れ曲がる。ただし、サイドカウル上下の分割ラインは真横に広がるため、側面図では変化が分からない。前回の偵察型やMk.VIIIのカウルは前期生産タイプ。シルエットの違いを見比べられたし。

 イラストはこの折れ曲がりを薄いシャドーで表現してみる。ま、実機写真では全く分からない程度だから、イラストも・・(←言い訳かい)。戦後なので、汚し少なめ、ツヤ多めで。銀塗装は面がアッサリなので、味付けは濃い目で(ラーメン屋かい)。





 MK.XVIe TB702/GW-Yは、1945年5月における2ndTAF隷下の340 Sqn所属機。RAFのフランス人部隊だ。写真では、フレンチラウンデルの色合いがRAFのそれと似た感じ。規格塗料を使ったとの妄想で、あえてダルレッドとダルブルーにしてみる。ロレーヌクロスの配色は推測。それにしても、Mk.XVIって、固定式の尾脚が何ともアンバランスなんだよね。これがなければもっとカッコいいのに。

 第340(自由フランス)スコードロンは1941年11月スピットMk.Iにて開隊。42年4月から占領下フランスへの戦闘掃討を行う。44年4月、2ndTAF(第2戦術空軍)に編入され、ノルマンディ上陸時は制空確保、その後は大陸に移動して地上軍を支援した。途中爆撃隊援護任務を挟み、45年2月、再び2ndTAFに戻る。終戦後は占領軍に所属し、45年11月、フランス空軍指揮下に入る。現在はEscadron de Chasse 02.005という部隊名でミラージュ2000を使用とか。






■ 細部 9/1追加

 ほぼ2ヶ月ぶりに再開。停滞の元凶、ファスナをやっつける。当初は出来るだけキットの凸モールドを残す方針で、そのため消えたファスナのモールドを延ばしランナーで再生したんだけど、出来がイマイチ不満で・・・。結局、最も安直な解決策、全ての凸ファスナを削って凹モールド再生じゃ。



たまぐり#8に中心はケガキ針。アップで見るとズレてるな。結局、どっちがよかったのか・・・

ともあれ、呪縛が解けて他のファスナもたまぐり。燃料タンク、フィレットは#3、機銃パネルは#2(たぶん)。

風防の枠を削り落とし、窓枠をスジボリ。後縁を薄くするため、内側から削ってコンパウンドで磨く。

接着。枠の厚みがなくなった分だけ胴体の合わせに段差が生じ、凸モールドになっているパネルを少々削る。

動翼リブは自作インレタ。最近の定番工作だ。タブ操作ロッド、尾灯も取り付け。

塗装準備概ね終了。



■ PR型図面

 後期マーリンPRタイプの図面が出来上がる。模型ではXI型を作る人が多数だろうから、XIをメインにして1枚にまとめる。図示しない箇所はXとXIは同じ。とにかくPRタイプは不明点が多く、写真で分からない部分は既存文献に頼る。中でもヴェンチュラのPRスピット本2冊は不可欠。




  • カウルの断面図は、製造図のトレースで信頼度は満点。ロワーカウルの中央は案外と尖っている。要注意ポイントだぞ。写真もよ〜く見ればそうなっている。

  • 右舷の四角ハッチは、下面後方カメラの装着・調整用。その前方のあぶみ形小ハッチは、斜めカメラを右舷側に向ける場合の窓。実機写真では不鮮明で100%の確信はないけど。

  • Mk.IXのPR型で、この右舷四角ハッチがある機体がある(ヴェンチュラNo10のp53)。上記からするとこの機体は下面カメラ窓ありか?(そうであれば多分窓は2つ)。なお、同じPRタイプのIXでも下面窓なしと思われる機体もある。お絵かきのピンクスピットIX解説も参照。

  • 右舷カウルの小丸アクセスハッチは、鮮明な写真がなく確証なし。多くは「なし」に見えるが、薄っすら「あり」に見える写真もある。

  • 左舷風防下の6個のリベットは、温度計取り付け部。また、本来照準器がある場所にはカメラ操作用のボックスがある(真横からは見えない)。信号弾は撃たないから、シートのソケットもないなど、コクピットの様子は戦闘機型と異なる。

  • 下面カメラ窓は、後期生産型になると、補強板とオイルフェンスがつく。フェンス形状はスピット・ストーリー本のXI型下面写真による。図面はかなり甘い。また、同写真ではコクピット下方の下面航法灯は「なし」のように見える。

  • 主脚カバーには、その前方の燃料ポンプのバルジの尻尾がないものが多数。ただし、後期生産型?では、PR.XIXのようにカバーにも膨らみがある。

  • 主翼の車輪外側には、場合によりカメラが取り付けられる。詳細はヴェンチュラ本を参照されたし。




■ お絵かきその4

 模型は停滞だが、お絵かきは着々と全型式制覇計画が進行中。後期マーリンの残り、IXとVIIだ。1枚目、初期生産型Mk.IXc EN398/JE-Jは、言わずと知れたRAFトップエース、ジョニー・ジョンソン中佐(当時)が、1943年春に第147ウイング(RCAF)司令であった時の搭乗機。指揮官のみに許されるイニシャルのレターが輝かしい。オスプレ海峡エース本p74に右舷全身写真がある。右舷レターはJE-J。小型のエアインテイクは初期生産型の特徴。機銃スリーブからCウイングのようだ。機銃バルジは初期の大型だろう。右舷カウル先端にブリスター、皿状ホイルキャップ、半球形ミラーあり、ヘッドパッドと後方機器ともなしが確認できる。風防下のカエデの色は推測。資料により緑もある。エレベータは悩ましいが、マスバランスが大型の後期タイプかなあ。

 当時の147ウイングはロンドン近郊ケンレーに基地を置き、フランスへのファイタースウィープを行っていた。Fw190への切り札となる最新鋭のIXを得たジョンソン中佐は、当機にて12機+共同5機の撃墜を記録(後期スピットエース本より)、その大半がFw190であった。IXが部隊配備されたとき、多数の中からEN398を選び出したというから、当機は調子のよい、いわゆる「当たり」機だったのだろう。





 続いてFR.Mk.IX MK915/Vは、1944年秋、ノルマンディーにおける第16スコードロン。ヴェンチュラPRスピ本に左舷後半の写真があり、胴体中央に50ガロン魚雷型タンクを懸架している。左舷斜めカメラ用の窓は位置がやや低い。リアヴューミラーが特異な形状をしている模様(詳細不明)。IFFアンテナの位置からしてカメラ窓は胴体下面にはないと思われる。よって右舷の四角いアクセスハッチもないだろう。ただし、斜めカメラ用の小パネルがある可能性大。というのは同隊機(MK716/X)の右舷写真では当パネルがうっすら見えるような。主翼上面ラウンデルは同機から小サイズ(35inくらいか)。ペールピンクのIXはカラー写真があり、その色調はわずかに赤味かかったライトグレイといった感じ。





 三枚目、Mk.VII MD114/DU-Gは、1944年2月、スコットランドSkeabrae基地における第312スコードロン(チェコ)所属機。312Sqnは、1940年7月、ハリケーン装備のチェコ人部隊として創設、その後スピットII、V、IXを使用、1943年9月から2ndTAFに編入された。このMk.VIIが本隊を離れ(?)極北の地で何をしてたかは不明。写真は左舷斜め前からと後上面とがある。コードレターの色調が悩ましい。上面のグレイより明るいが白ではない。一応ミディアムシーグレイ地にスカイとしておく。黄色の可能性もあり。下面はPRUブルーで間違いないだろう。右舷レターはDU-GでDの一部がシリアルにかかる。Gは左舷Dの位置。主翼上面Bタイプラウンデルは小サイズ(35in?位置は二枚目FR.IXとほぼ同じ)。






■ 塗装 9/14追加

 勢いに乗って一気に塗装。考証はイラスト作成時に済んでるハズだから、何も考えずにイラストを再現する。使用色は赤を除きスピVと同じ。レシピはそちらを参照されたし。赤は、ダルレッドではない純な赤、という想定。真相は知らない。ただし、#3番レッドを生で塗ってはぶち壊しだ。スケールモデルとしての落ち着きを狙い、1/32のP-47Dで使った赤(GX3+#327+#114)にニュートラルグレイを1割ほど混ぜる。結果としてダルレッドに似てきたけど、何か?

 鮫口の歯茎の細い赤線が難物。インレタは、このような曲率の強い面では細かい位置決めが出来ない。エデュMk.VIIIのデカールは歯のサイズが違うからNG(←買ったんかい)。最善策はロボでマスクシートを切って全て塗装かな。これも塗る順番が問題。細い帯なんてのは、ロボではヨレて上手く切れないが、細かい湾曲は手でも切れない。あれこれ考え、白→歯と赤線部を一体でマスクして黒→一旦マスクを全部はがして赤のマスク→赤塗装、とする。上手く出来るか自信がないので、不要モデルで練習。カットのデータも微修正。細線は、一本線で切り離したシートを細い隙間を開けて貼ることで対応。以下画像で。



これは練習(ちなみにエアの9)。このあと右舷側でもう一回練習。端の歯が小さいあたりが難しい。

下地のサフを吹いて、白GX1。翼前縁、翼上下ラウンデル、フィンフラッシュも塗装するので、この時点で塗っておく。

歯のマスク。シートは上下左右4分割。位置決めに失敗して何枚か無駄にする。黒と迷彩とは突合せ塗装。

白20%混の黒を吹いてマスクをはがし、再度テープでマスクして、迷彩塗装に備える。

その他の白部分もマスクし、下面色⇒ダークシーグレイ⇒ダークグリーン。迷彩パターンは1/48Mk.Vを真似る(これが失敗)。

ダルブルーのためのマスキング。主翼上面は迷彩色と突合せ塗装。

基本塗装終了。ボケ足の過不足などを面相筆で修正。フラットクリアを吹いて、柚子肌やマスク境の段差をラプロスで落とす。

下面はこのとおり。鮫口の白黒の段差もこの段階で一旦研ぐ。今回は、この段階ではグラデーション吹きはなし。

白に沿ってマスキングして赤を吹く。同じデータなので完全に一致するハズだが、現実はそうならない。

マスクをはがす。ぎりぎり許容範囲ってとこか。このあと細部の不具合を面相筆でタッチアップする。


 補足。右舷カウル前端のブリスターについて情報を頂く。毎度感謝。これは、II型のコフマンスターターではなくキャビン用のブリードエア・ブロワー。スピットでは高高度用のマーリン61と63Aについており、マーリンのマニュアルではCabin Supercharger Driveという名称になっている。写真にあるRAAFのVIII型では全機「あり」。(9/20訂正)

 製作中はこの取り付けを完全に忘れていて、鮫口塗装後に接着。エデュのは小振りでハセIXのを使う。


■ 考証補足

 457スコードロンの鮫口機は、機体により細部が異なる。目と口は隊員の手描きだから、口の形、歯の数と大きさ、目の形や位置など1機ごとにバラバラ。目の配色は、白目の前方が赤?もあり、エデュ8週末版のデカールがこれ。主翼上面ラウンデルは3パターンで、欧州と同じ56インチBタイプで赤を白に塗り換え、青は大サイズで白が小(12インチ?)、青白とも小(32/12インチ?)がある。青白の比率も要注意かな。RAFのBタイプは5:2の比率だが、RAAFの規定は8:3だ。翼前縁の白も機銃全体まで白いもの、機銃根元のみ白、根元に白なしの3パターン。GreyNurseは型紙で吹き付けだから基本は同じ。ただし細かく見れば型紙違いのバリエーションがある。なお、A58-614/ZP-Q機は白目の前側も白、主翼上面は欧州サイズが写真で確認できる。

 ということで、バリエーションを描いてみる。457スコードロンW.Ward大尉の乗機 A58-615/ZP-Y。写真は左舷全身と右舷上面空撮がある。主翼上面ラウンデルはZP-Q機と同じ欧州サイズ。口の中が同隊鮫口では珍しく赤(と思われる明度)。目の細部は他機から。改めてこの空撮写真を見ると、作品の迷彩パターンは少々違うなあ(滝汗。






■ さらなるお絵かき

 2ステージマーリンは終了、残るはシングルステージ型だ。抜けてる型番を埋めていこう。高高度型MK.VIb BR579/ON-Hは、1942年夏頃、Debdenにおける124スコードロン所属Mike Kilburn大尉の乗機。当機にて3.5機撃墜を記録した。海峡エース本とスピット・ストーリー本に右舷前方からの写真がある(両本のアングルはやや異なる)。右舷レターはON-HでHの位置はNの反対側。左舷配置は同隊他機(ON-M)からの推測。レターHはONより明るく、おそらく白。右舷カウル先端にブリスター(エア・ブロワー用)あり。

 Mk.VIのキャノピは、乗降時は上方に取り外し、飛行中は投棄する以外には開けられなかった。 後期生産型になるとVIIと同様にスライドするようになる。固定タイプキャノピのVII型は風防左側ガラスに内側に開く小窓がある(ストーリー本)。当機もありか? キャビン与圧用インテイクは、Mk.VIIと概ね同じだが、先端位置はやや後退する。

 124スコードロンは、WW1に開設、一旦解散し1941年5月、スピットMk.Iで再開。II、Vと改変し、ドーバー海峡の防空などに任じた。1942年7月にVI型、43年3月にVII型を受領し、高高度の迎撃部隊となった。1945年2月にIX.HFに転換。V2発射サイトへの急降下爆撃を任務とした。戦後はミーティアを使用し1946年解隊した。





 Mk.IIa P7895/RN-Nは、1941年4月、イングランド北部アクリントン(Acklington)における72スコードロン所属機。世傑の素晴らしいカラー写真が少年時代から刷り込まれていて、いつかこのドロデロ汚しで作りたいと思いつつ・・・とりあえずイラストで溜飲を下げる。色調はそのカラー写真の雰囲気で。ドロデロ不足は画力の限界。スピナとバンドのスカイは下面迷彩色より明るい。バンド上のシリアルは、描き直したため書体が異なる。

 72スコードロンは1917年設立。一旦解散後、1937年グラディエーター部隊として再設立、1939年4月スピットファイアを受領し、ダンキルクで戦闘を経験した。40年3月?にアクリントン、8月ビギンヒルに移動しバトルオブブリテンの後半に参加。11月アクリントンに戻り戦力回復。1941年7月に再びイングランド南部に移動し占領下フランスへの戦闘掃討を行った。翌年9月に北アフリカに移動し、トーチ作戦のチュニジア、マルタ、シシリー、イタリアと転戦、途中スピットIXに転換しつつ終戦までMTO地域で活動した。戦後はヴァンパイア、ミーティア、ジャヴェリンを使用した後、1961年からヘリコプター部隊となり、ウェセックスなどを使用、2002年には予備部隊となりショートツカノを機材とする。





 Mk.IIIは、N3297の一機のみ製造された。当初の姿は、かなり変わっている。ストーリ本によれば、全長が30ft4inに延び、翼幅は30ft6inに短縮されたとか。エンジンは1段2速のマーリンXXに換装された。記述はどこにもないが、エンジン位置は約4.5in前進したと思われる。これは、同じくマーリンXXに換装したハリケーンII型の機首延長と同じ長さ。スピナとプロペラはMk.Iと同じ。こうすると全長がちょうど30ft4inになる。写真の印象にも合ってる。防火壁は、後期グリフォンのように、上半分が前傾する。カウルはI型とIX型の中間の長さ。アッパーカウルは小ブリスターを包含するように膨らむが、後のIXと比べると少々角ばった形状で洗練されていない。

 風防が特異な形状。側面写真しかなく正面形は不明だが、想像するにワンピースのプレキシグラスの内側に防弾ガラスが装着されるのでは? 後端フレームは高くなり、おそらくV型以降の後期型風防と同じサイズ。スライドフードはI型の後端の短いタイプがベースで、前フレームは風防に合わせて高くなる。側面ガラスは平面。風防は、後に一般的な後期タイプに改修される(スライドフードはそのままか?)。このときプロペラもCBAF製V型と同じ長スピナ+ジャブロロートルになり、さらに後には標準翼に戻される。その後、N3297はマーリン60シリーズのテスト台となった。

 翼幅30ft6inは切断翼よりさらに短く、主桁をリブ2つ分カットした幅となる。写真の印象だと、それよりはリブ1つくらい長くてもよさそう?? イラスト右下の翼平面図はリブ2つカットしたもの。翼端はこんな感じ。主脚カバーは車輪も完全に覆う。引込尾脚にラダーマスバランス部のガードと、新古まぜこぜで、いかにも試作機だ。

 イラスト補足。ロワーカウルのパネルラインはよく見えないので想像。その他の細部も他の型からコピペで済ます。塗装もよく分からん。1940年3月という時期からして、翼下面は白黒、胴体下面は銀か。上面迷彩も不明。写真だと一色に見え、辛うじてBスキームかなと。主翼上面ラウンデルはBタイプだろう。ラジエータ、オイルクーラーも詳細不明で、画はIのまま。






■ インレタ 9/22追加

 目(白と赤縁)、GreyNurse、レター、胴体ラウンデルの白丸、シリアル、トランプの白はインレタ。黒目とスペードは黒を塗っておく。シリアルは昔作っておいたライトグレイの英数字。グレイが明るいし、書体も違うけど、気にしないことにしよう。目は黒を塗って白を貼って赤を貼る。位置決めはマージンが少ないし、曲率が強い場所だし、予備のインレタ作ってないしで、緊張の作業。無事に貼れて一安心。でも、同隊他機の写真など改めて眺めていると、目の縁は黒かもね。もしそうなら白目を塗装にして黒インレタ一発で済んだな・・



貼り方おさらい。下の薄紙も一緒に切って、位置決め。テープで仮り止め。紙を抜いて転写する。

シリアルは作り置き汎用英数字。各々の文字を切り出して、裏返したマスキングテープ上に並べる。

ウォークウェイは筆塗り。RAAFのVIII型の実機写真では右舷はこのようにL字形になっている模様。

塗装&マーキング終了。薄いフラットクリアを吹いて保護。表面をラプロスで磨く。



■ 細部

 どうも、塗装が終わらないと小物工作に気合が入らない体質になっているようで・・・ 

 排気管は、ストックのクイックブーストを取り出すが、形は似てないし、浮き出しモールドの段差が大きくて気に入らない。キットパーツは、個々の排気管の長さがやや短いが、全体の雰囲気はQBに勝る。型ズレを丁寧に削り、後端の穴を切出し刀で彫刻。
 キットの主脚柱は、沢山入っているけど断面が円でなく使えない。ハセIXから持ってくる。長さが足りないのは、主翼側にランナーの基部を接着。キットのタイヤはやや小振り。レジンに交換。脚カバーはキット。

 プロペラブレードは、全体的イメージは悪くないが幅が狭い。後縁に0.5mmプラバンを貼って増積。プロペラ先端の黄色は塗装。サフ→銀(透け防止)→F-86Fのイエロー→マスクして80%黒。黄色の幅を間違えて、筆塗りで修正。正解は4インチ(1.4mm)。スピナのコーションは、赤く塗った時に塗り潰したとの想定で「なし」。イラストはありだけど、どっちが正解かは分からん。



上、クイックブーストのレジン。下、キットパーツ。機体に取り付けてみると、違いが分かる。

自作焼鉄色で塗装し、ウェザマスで汚す。鮫の目はチョイズレ。歯はキレがいまいち。まあ、この辺が技術の限界だ。

左から、エデュ、ハセ、フジミ、タミヤ。フジミが案外いいモールドをしている。

トルクリンクは0.5mmプラバンを彫刻刀で凹断面に彫り、バイスで穴あけ、薄く削る。タイヤはSBSのレジン。形状サイズばっちり。

脚カバー内側と脚柱の塗色は確信なし。クレオスの新色(旧?)プレビアスシルバーを吹いてフラットクリア。

脚庫のマスキングは、セロテープを貼って、ナイフで縁に沿ってぐるりと切り取るのが簡単。

天井にモールドされている◎モールドをノミでこそげ取り、脚柱基部にランナー片を接着。翼接着前にやっておくべきだな。

尾脚まわりはキット。アップはちとツライなあ。

ブレード後端にプラバンを瞬間で接着し、ざっと形を整えたところ。このあと先端をやや細く削る。隣はキットオリジナル。

塗装して接着。マークはキットデカール。やや小振りな白文字もそのまま使用。フラットクリアを厚吹きして研ぎ出す。


 鮫口の下側は、カッティングシートが上手く切れず、親不知が一本欠けた状態。白デカールを三角に切ってペタリ。塗装より簡単。かといって、全部の歯でデカールを切るというのは、それはそれで大変。


■ サークルカッター

 サークルカッターを再チューンナップ。削りシロはもうないので、これ以上の改良は無理かと思ってたけど、デザインナイフの刃を直に六角ナットの頭に接着すればいいじゃん(←早く気づけよ)。従前の刃と針の最少間隔は3mm弱。それが1mmとなり、理論的には直径2mmの円も切れる。ただし、やってみると刃先の微妙な位置が精度に影響するので、2mmは相当難しい。3mmが限界かな。実は、翼下面の白丸はこれでマスキングテープを直径4.2mmに切ったもの。



刃とナットの接着は瞬間で。刃先は針の真横にする。円周と刃の方向が一致しないと刃先がブレる。



■ お絵かき

 マーリンシーファイアも忘れてはいけない。シーファイアMk.Ib MB345/Kは、1943年2月、空母HMSフォーミダブルの第885スコードロン所属機。当機も拙作の2D化だ。ウォーペイント本によればMk.Vb AR445より改造。スコドロFAA本p26には右舷写真があり、Kは左舷と同位置。ヘッドパッドあり。エンジンインテイクにはアイスガードありのようだ。これが後にΦ-6Kとなり、拙作品の状態となる。同じページにこの写真もある。

 一方、フロムザコクピット本p.19には1942年11月トーチ作戦時のHMSフォーミダブル885SqnレターK、Ib tropの右前方からの写真がある。これがMB345かどうかは確証がないが、右舷のKの書体位置サイズはよく似ている。四角いバックミラー、側面が平らなスライドフード、機銃暖房装置付き排気管、尖りスピナが確認できる。ヴォークスフィルタの側面とスピナ下部分が暗色。照準器は不明で推測。アンテナ柱には三角板があるように見える。

 885Sqnの部隊史は、頻繁に解散と再開を繰り返しややこしい。それを省いてざっくりいえば、1941年3月、シーグラディエータとバッファローが始まり。11月にシーハリケーンを装備し、空母ヴィクトリアスにてマルタコンボイに随行。42年10月、シーファイアIb、IIcを装備し、トーチ作戦など地中海方面で活動。1944年春、シーファイアIIIに転換、2ndTAFの傘下でリーオンソレント基地から偵察、戦闘掃討、爆撃目標指示などを行った。1944年12月にヘルキャットに転換、空母ルーラーに搭載されBPF(英国太平洋艦隊)に所属、終戦後まもなく解散した。かなり目まぐるしい。



 シーファイアMk.IIc LR642/8Mは、1943年夏のHMSバトラー搭載第807スコードロン所属。戦塗本p14に着艦失敗して機首を損傷した写真がある。3本排気管(暖房装備不明)、機銃パネルのブリスターは細く、外側機銃のフェアリングなしに見える。ペラは確証ないが4枚に見える。バックミラーあり、アンテナ線と三角板なしか? ただしシーファMk.IIでアンテナ柱から垂直尾翼にアンテナ線が張られた機体もある(コクピット本p14)。同写真では、胴体右舷の信号弾発射口なし、後部胴体は平リベットのように見える。写真はEDSGが妙に明るく、一見RAF温帯陸上迷彩のようだが、それはないだろう。赤も明るい。退色したのか、フィルムかフィルタが原因か?。スピナは暗色だが、迷彩のグレイよりは暗い。

 807Sqnは、1940年ファルマー部隊として開設。空母アークロイヤルに搭載されマルタコンボイに随行。1941年11月の同空母沈没で機材多数を失う。その後シーハリケーンを装備、空母イーグルにて再びマルタコンボイを護衛した。1942年6月にシーファイアIIcを受領し、空母フューリアスにてトーチ作戦参加。1943年春、空母インドミタブルにてシシリー島侵攻、7月の同空母損傷後は空母バトラーに移動しイタリア侵攻を支援した。1945年3月、東方艦隊所属空母ハンターに搭載されラングーン占領の支援などを行った。



 PR.IVは、Mk.I型ベースの偵察型PR.IDが後に改称されたもの。主翼前縁全体がタンクのDウイング、胴体に垂直カメラ2基を備える。BR416/Xは、1944年パレスチナ地域における第74OTU所属機。PRスピ本に写真、OT本に塗装図がある。迷彩色は前者ではロイヤルブルー、後者ではダークメダタレイニアンブルーとされる。写真はラウンデルの青部分が妙に明るい。PRスピ本ではエイザーブルーとされる。また同本では地中海方面のPR部隊は翼下にラウンデルがあるとのこと(OT本ではなし)。写真では不明。プロペラは、後期Vに見られるデハヴィランドの幅広ブレードにやや長めのスピナのように見える。翼端灯から、通常翼と判断される。アブキールフィルタの形状は独特。これは別時期の側面写真から。MK.IVのDウイングの詳細は不明でXIのコピー。




■ 最後の仕上げ 9/29追加

 夜行便の格安突貫ハノイツアーは、疲れたけど楽しめた。さて、完成前の最終作業。以下画像で。



コーションはキットデカール。リベットラインに沿って、ウェザマスを細筆で擦りつける。チッピングはグレイ2色を使用。

アンテナ柱、ピトー管は真鍮細工。キットのデカールは、この角度だとニスも見えず、いい感じなのだが・・

右舷のIFFアンテナ(1本)はRAAFのVIII標準装備。機銃口のテープは、エアのダルレッドのデカール。色味が不満で上から筆塗り。

スリッパタンクのフックはプラバンのイモ付け。ラジエータがガードしてくれるだろう。腹はクドめに汚す。

照準器本体はキット、ガラスは0.2mmプラバン。ミラーのステーを細く削り、ミラーフィニッシュをポンチで抜いて貼る。

風防接着前にプラバンの照準器取付台を付けて置いたが、それでも取り付けはボトルシップ状態。ミラーは一番最後に取り付ける。


 補足。スライドフードは、作業中に無理な力が加わったらしく、光の角度によって後上方に細かいクラックが入っているのが分かる。残念。フューチャーを塗って多少は改善。前縁を表裏から薄く削ったのは、仕上がりとしては効果的だが、薄すぎてセロテープのマスキングでナイフを入れたときに一部が切れて、あわてて緑フタで修復。胴体には木工ボンドで接着。

 ウォークウェイ沿いのコーションに、キットのデカールを使ってみたところ、フィルムも薄くニスもあまり目立たない。気をよくして、下面のコーションを全部貼る。翌日フラットクリアを吹き、さらに翌日に軽く研いで再度フラットクリア。段差が消えるほど吹くとリベットが埋まるから、段差は消えない。ハイライトを当てるとさすがにニスの存在が分かる。よって、上面はこれ以上のデカールは止めて、胴体給油口は作り置きインレタ。貼り付け部はフラットクリアを吹いて保護する。塗装面は最終的にはガイアのフラットクリアを吹き、ラプロス#6000で軽く磨いた状態。

 脚表示棒は、この頃には廃止されている。従って、キットに含まれる脚表示棒関連のコーションは貼らないのが正解。一方で、翼前縁タンクには胴体と同趣旨のコーション(使用オクタン価と容量)があるはずだが、詳細不明。キットにも含まれない。作品もなしで。機銃口のテープについては、当機での有無、色とも不明(アフリカ方面では青もある)。同隊にはテープなしの機体もある。この場合、機銃口も見えないので、機銃を外してパッチで塞いだのかも?

 例により、水溶きウェザマスでスミイレ&ウォッシング。チッピングは面相筆。ベースとの色相差を大きく違えないように、DSG地にはMSGで、DG地にはDSGで。翼付け根の剥がれの著しい部分には銀+MSG。部分的に暗色系も。チッピングの周囲を暗色系ウェザマスで汚すと効果的。キットのクドいモールドにはクドい汚しが似合うかな、とパネル&リベットライン沿いに暗色ぼかし。通常はエアブラシの細吹きをするところを、今回それはなし。かわりに生のウェザマス(つまり水なし)のススを乾いた細筆に少量つけて、ライン沿いにサッ、サッと擦りつける。やり過ぎは濡らしたティッシュで拭き取る。それでダメなときはラプロスで。

 以上で完成。写真は次回。


■ お絵かき

 残る型番の抜けは13。最近までXIII型があるのを知らなんだ(恥ズ)。手持ち文献にはちゃんと書いてあって、よく読めよ! さて、当モデルは、低空武装偵察型PR.IGの発展型で、胴体に垂直カメラ2つ、斜めカメラ1つを装備し、エンジンを低空に特化したマーリン32に換装、武装は翼端の7.7mm×4のみ。Mk.II、V、PR.IGから改造され、26機のみが生産された。

 PR.XIII AA739/G3-Oは、1944年におけるFAA第718スコードロンの陸軍直協訓練部隊所属。出典はオンターゲットPRスピット本の塗装図と、スピットストーリー本の右舷写真。OT本では、上面ダークシーグリーン/エクストラダークシーグレイ、下面PRUモーヴとなってるけど、どんな色だか想像できない。写真からすると、上面は通常のRAF迷彩と明暗が逆転しており、一応温帯海上迷彩風としてみる。上面2色の明度差は割とあるので緑を明るめに。



 全型式制覇もまもなく。その前に、I型初期、3枚ペラに防弾ガラス無しの姿は、ぜひとも押さえておきたい。K9906/FZ-Lは1939年3月?、ホーンチャーチにおける第65スコードロンRobert Stanford Tuck大尉(当時)の搭乗。 写真はI-IIエース本p9など。下面は銀色が確認できる。翼下面は見えづらいが、左舷機首は銀、左舷のピトー管も銀。同本のイラストは左舷下面が黒。間違いではなく時期違いだろう。AJ本vol3には角度違いの左舷空撮。主翼上面はBタイプで、不鮮明だがやや小サイズに見える(OT4本は40inとされる)。

 この時期の下面塗装とマーキングの変遷はややこしい。写真キャプションと文献の記述を整理すると、以下のとおり。まず当初は、胴体にはA1タイプラウンデル、翼上面はA1タイプ、下面が銀塗装+Aタイプ+シリアル(塗装例)。次に、1938年秋頃〜39年初めの間(時期不詳)に胴体と上面がBタイプに変更、下面そのまま。本イラストはこの状態。1939年4月からは、下面が右舷白、左舷黒(正確にはナイト、以下同様)でラウンデル及びシリアル廃止、胴体と上面はそのままBタイプ(塗装例)。40年初めに胴体がAタイプ、上下面は変更なし、フィンフラッシュはまだない(塗装例)。40年4月(5月?)に胴体がA1タイプ、フィンフラッシュあり?、上下面はそのまま。

 40年6月、白黒が廃止され下側全面スカイが導入された(初期は色調にバラツキあり)。他は同じ、下面ラウンデルなし、フィンフラッシュあり(塗装例)。40年8月に下面Aタイプラウンデル復活(初期はサイズ、位置が様々)(塗装例)。40年11月に左翼下面のみ黒(他はスカイ)で左下ラウンデルに黄色細縁。この頃にスカイのスピナと胴体後部帯が導入。41年4月、黒と黄縁廃止、下側全面スカイに戻る(塗装例)。41年8月グレイ系上面迷彩の指示(実施はタイムラグあり)。翼前縁の黄色もこの頃(塗装例)。なお、下面白黒塗装に塗り替えた場合、胴体も白黒、左右エルロンはそのまま銀に残された。また、この時期の工場完成は、主翼のみ白黒(エルロンも同色)で胴体、尾翼下は銀。主翼上面のBラウンデルは、当初サイズにばらつきがあるものの、40年春頃には56インチに統一される。

 タック中佐(最終時)は、バトルオブフランスから実戦参加。ダンキルクで最初の撃墜を記録。1940年5月、92スコードロンに異動しバトルオブブリテンを戦った。1940年9月、257Sqnハリケーン部隊の司令。41年7月、ダックスフォードのウイング司令。42年1月、スピットファイアでフランス掃討中に対空砲火に撃墜され捕虜となる。それまでに29機+共同2機撃墜を記録。




■ 考証追記 10/2追加

 十月。夜風に木犀が香り、いよいよ模型の秋だ。さて、あまり書きたくない考証追記。作品のA58-614は、マーリン66装備の高高度型HF.VIIIで、オリジナルのシリアルはMT833、1944年7月完成、9月RAAFへ引き渡し、46年1月処分。ということは、時期的に翼下の航法灯あり。うううっ、まあ無理矢理後付け出来なくはないけど、今更って気もするし、知らなかったことにしよう。もひとつ。右舷主翼付け根の小穴を付け忘れ。自分の図面をよく見ろよ!


■ 完成

 ともかく完成写真。エデュの後期マーリン型は、ほとんど無修正でこの完成度。機首のアウトラインも完璧で、シャークマウスがよく映える。このキットをベースにXII、XIあたりも作りたいな。



































■ お絵かき

 最後は一番最初。スーパーマリン モデル300 シリアルK5054は、1936年3月に初飛行した。ライバルBf109の初飛行は1935年5月、零戦(十二試艦戦)は1939年4月である。イラストは初飛行時の姿ではなく、同年5月頃。初飛行時は無塗装でイラストにしづらいのだ。ところで、前から疑問なのだが、既存文献でみる主翼上面は機軸直角方向に密にパネルラインがあるけど、本当なんだろうか。そういう写真を見たことがない。幸い?イラストでは見えないけど。なお、K5054は、同年12月の写真では機銃を装備しており、この時点では生産型に近いパネルラインになっていただろう。

 機体色のペールブルーやプロペラの色調は推測。機体細部は量産型と異なる部分もあるだろうが、不明なので量産型のコピペ。ラウンデルは鮮やかにする。細かいところでは、風防前面の傾斜角は、量産型より立ってるかな。この風防も時期によりバリエーションがある。



 ようやく全型式イラストがコンプリート。ただし、フロート付きと後席付きは正式な型番がないし、美しくないので除外。Mk.Iベースの偵察型IA〜IGに抜けがあるけど、3つも描けば十分かなと。最終型FR.47と並べてみる。これほど形が変わるのはスピットファイアくらいのもの。そのどれもが模型的魅力たっぷり。






■ 考証追記その2 11/29追加

 海外のスピットマニアからのご指摘。マーリン型のアッパーカウル前方にあるパネルラインは、CBAF製にのみ存在し(IX、XVIの場合、前期の平らなタイプと後期の膨らんだタイプの両方とも該当)、スーパーマリン、ウエストランドなど他工場製には存在しないとのこと。したがって、CBAF製のII、V、IX、XVIにはあり。CBAF製の存在しないI、VI、VII、VIII、X、XIにはなし。実機写真では分かりづらい部分であるが、彼の説を否定する写真は出てこないので、正しいのだろう。ということで、図面とイラストを訂正する。各工場が混在する型はシリアルなどから製造工場を調べる必要がある訳だけど(シーファIなどは、改造前の)、面倒でパス。悪しからず。拙作エデュVIIIは、しっかり「あり」。ううう・・ これから作る人は気をつけよう。



II型。うっすら「あり」のような。

VIII型。「なし」かな。



■ Mk.VIII図面修正 11/21追加

 ポーランドの読者より、翼タンク付近の詳細について情報を頂く(下記URL)。返信メールが配信不能で返ってくるので、この場を借りてお礼。Thank you Mr.Strzelczyk! これに基づき、VIIIおよびXIV型の上下面図を訂正する。翼下面にはタンク周囲のパネルラインなし。また当該部の外板には小さなリベットがある。ただし下面の後方付近は写真不鮮明で読めてない。タンク蓋のディティール、下面アクセスパネルの位置を修正。

 また、機銃スリーブ基部にはパネルラインがない。タンク下面のドレインは、バリエーションがあり、Mk.VIIIcでは丸パネルつき。EウイングのMk.XIVではパネルなしの小穴。その中間がどっちかは不明。なお、図示してない(できない)が、主翼前縁にはフルスパンに渡ってパネルラインとその上下にリベットラインがあり、これは他型式も同様。え、私のエデュ1/72はどうするかって? そんなの今更直すわけないじゃん。

https://www.largescaleplanes.com/walkaround/wk.php?wid=146


■ タミヤ 1/48 Mk.I 2019/6一部訂正

 タミヤから新金型のMk.Iが発売される。初期マーリン型の決定版になるのは間違いない。苦労してエアフィックスMk.Vを作った本人としては若干複雑な心境だが、それはさておき、1つだけ気になる点がある。箱に描かれた側面図を見ると、アッパーカウルが妙に上に膨らんでいる。これ、一部のレストア現存機のイメージで立体化した疑い。ともかく写真を見ていただきたい。



WW2の時代に撮影されたオリジナルのMk.I。スピナ後端から燃料タンクまで、ほとんど一直線。

これもオリジナルのMk.I。

こちらもオリジナルのMk.I。スピナとカウルの隙間は、この機体だけに見られる。

レストアされた現存のMk.I、Mk.Vによく見られる上に膨らんだアッパーカウルに注目されたい。

インターネットで見かけたタミヤの側面図。ただし、キットのラインとは微妙に違うことが後に判明。

私の作成した側面図(青)とタミヤ側面図のトレース(赤)を重ねる。


 キットと箱の側面図が同じとは限らないので、私の杞憂であってキットは正しい形状かもしれない。はてさて、発売が楽しみである(別の意味で??)。

 なお、I型の図面作成にあたっての考え方などは、Mk.I製作記を主として、Mk.V、Mk.VIII、FR.47など、スピットファイア各製作記に記載しているので、そちらも合わせてご覧いただければ幸い。

Mk.I側面図





 イラストで見ても、実機のラインはこっちだと思うな。(サイズは上画像に揃えてある。若干小さめに見えたとしたら目の錯覚。陰影がつくと締まって見えるのだ)


■ タミスピ発売 12/24追加、12/29追記

 ようやくタミスピIが発売された。危惧したとおり、アッパーカウルは上に膨らんでいるライン。残念だけど仕方ないね。「通人《のためにあえてメーカーが残してくれた愉しみと考えよう。あるいはスピット愛が試されるリトマス試験紙か。

 なお、アッパーカウルは、上だけでなく横へも膨らみが過大で、イメージ的に後期マーリンに近くなっている。2時10時も削りこむ必要あり。寸法的には上面よりこっちの方が大きいかも。コクピット以降の胴体の形状、寸法は正確に再現されている。



タミヤ1/48 Mk.Ia製作に伴い図面を訂正。

ピンクが実機、緑はキット(ただしイメージ)。位置は左図のピンク線。

再掲。実機のライン。アッパーカウルから燃料タンクまで直線。キットと見比べられたし。

上図ピンクのラインに修正したエアVB。このぐらいの「張り《が自然だと思う。修正と言ってもエアは元々そんなに張ってないから、わずかに削ったのみ。



■ 図面



Spitfire Mk.I 側面図

Spitfire Mk.I 上面図

Spitfire Mk.I 下面図

Spitfire Mk.I 正面図

Spitfire Mk.I 断面図


Spitfire Mk.V 側面図

Spitfire Mk.V 上面図

Spitfire Mk.V 下面図


Seafire Mk.III 側面図

Seafire Mk.III 上面図

Seafire Mk.III 下面図


Spitfire Mk.VIII 側面図

Spitfire Mk.VIII 上面図

Spitfire Mk.VIII 下面図

Spitfire Mk.VIII 断面図


Spitfire PR.XI 側面図

Spitfire PR.XI 上面図

Spitfire PR.XI 下面図


Spitfire Mk.XIV 側面図

Spitfire Mk.XIV 上面図

Spitfire Mk.XIV 下面図


Seafire Mk.XVII 側面図

Seafire Mk.XVII 上面図

Seafire Mk.XVII 下面図

Seafire Mk.XVII キャノピ


Spitfire PR.XIX 側面図

Spitfire PR.XIX 上面図

Spitfire PR.XIX 下面図


Spitfire Mk.22/24 側面図

Spitfire Mk.22/24 上面図

Spitfire Mk.22/24 下面図

Spitfire Mk.22/24 断面図


Seafire FR.47 側面図

Seafire FR.47 上面図

Seafire FR.47 下面図

Seafire FR.47 正面図

Seafire FR.47 断面図

Seafire FR.47 キャノピ




■ イラスト

 全イラスト一覧は
こちらで。







■ 参考文献

 参考文献リストはシーファイアMk.47の頁に掲載。







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