ワイラウェイ製作記 その2
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WWUにおけるRAAFのカモフラージュとマーキング |
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■ はじめに モノクロ写真でのRAAF機は、みな同じような塗装に見える。ところがその使用色について真剣に調べ始めると、これが複雑怪奇。文献−2によればRAAFで使用された「緑色」はフォリッジグリーンだけでなくダークグリーンなどがあり、「褐色」もアースブラウン、ダークアースなど複数ある。資料により、それらが混同されてもいるようで、どうも辻褄が合わない場面に遭遇する。 さらに英米国で生産された機体は、本国のオリジナル塗料で塗られもの、現地で再塗装されたものがあって混乱に拍車がかかる。 以下、文献−2の記述を主体に、文献−1やその他若干の資料に基づいた私自身の考察などを部分的に加え、RAAF迷彩塗装を整理する。 |
![]() 文献−2のKookaburra刊「RAAF CAMOUFLAGE & MARKINGS 1939-45 Vol.2」 |
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■ RAAFカラーチャート RAAFの使用色は、K5と呼ばれるRAAFスペックに規定されている。文献−2ではFSカラーチャートとの対照と各色のコメントがあるので、参考までに記載する。模型への適用は各自のご判断で。 |
| ダークグリーン | FS34052 | RAFダークグリーンとは全く異なり、より暗い色調で、RLM70ブラックグリーンに近い。初期の一部のワイラウェイや豪州製ボーファイターに使用された。(訳注:以下この項では混同を避けるためRAAFダークグリーンと呼ぶこととする。) |
| フォリッジグリーン | FS34092 | 米軍のミディアムグリーン42と同じ色調。輸入機ではハドソンが最初の登場で、それより早く豪州製のワイラウェイに塗られた。(訳注:FS34092は、そのものずばりがMrカラー#302にある。) |
| ライトグリーン | FS24159 | FS24159より若干黄色味がかっている。ライトスレートグレイとほぼ同色。初期のボーフォート、初期のブーメランに使用された。 |
| アースブラウン | FS30099 | RAAF特有で、非常に暗いチョコレートブラウン。(訳注:ワイラウェイなど初期の機体でダークアースとされているものには、アースブラウンのもあると思われる。) |
| ダークアース | FS20095 | RAFと同色。英米製機に塗られていた他、ワイラウェイやブーメランにも使用された(訳注:ワイラウェイについては疑問あり)。 |
| ライトアース | FS30219 | ダークアースよりさらに明るく、ピーナッツバターの色。ミドルストーンと同じ明度で、色調はやや異なる。 |
| スカイブルー | FS35550 | 1942年後半以降RAAFで最も一般的な下面色。退色するとさらに白に近くなった。 |
| スカイグレイ | FS26373 | 水上機の下側色として使われた。初期のブーメランでスカイブルーの欠乏時に代用されたという報告もある。 |
| スカイタイプS | FS34504 | RAFと同色。大戦初期から一部の機体の下面色として使われた。 |
| ミディアムシーグレイ | FS36270 | RAFと同色。コードレター、シリアルなどに大戦全期間を通じて使用された。迷彩色としては使われていない。これも退色により白に近くなる。 |
| ブライトレッド | FS21136 | ブライトブルーとともに初期の国籍標識に使用された。 |
| ブライトブルー | FS15056 | FS15056より明るく鮮やか。初期の国籍標識に使用された。 |
| ダルブルー | FS15050 | RAFと同色。ラウンデル、フィンフラッシュに使用された。 |
| コクピットグリーン | FS34227 | コクピットと胴体内部に適用された。 |
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その他、エキストラダークシーグレイ、ダークシーグレイ、ダークスレートグレイ、ライトスレートグレイ、メディテラニアンブルー、ミドルストーン、ナイト、トレイナーイエロー(FS23538)、マットブラック、エクステリア・シルバー・カバリング、レッドドープ(FS20109)などが規定色となっているが、省略する。 ■ RAAF塗装規定 これも文献−2より引用する。『1944年5月26日、空軍司令部より「迷彩塗装と識別マーキング」に関する規定が出された。これによれば、昼間戦闘機、戦闘爆撃機、中/重爆撃機について「全面無塗装、羽布部アルミドープ、ナイトのアンチグレア、レターは黒、単発単座機の尾部と主翼前縁は白」とされた。この例外は、夜間戦闘機、銃撃用途の中爆、夜間作戦機、飛行艇である。(訳注:スピットファイア、キティーホーク、モスキート、B−25、B−24などの例あり) 攻撃機、輸送機、連絡機、戦術偵察機、グライダーなど(例外は夜間作戦機、練習機、写真偵察機など)は「上下面ともフォリッジグリーンの単色、レターはミディアムシーグレイ」とされ、またその際の特例として「昼間作戦機は下面に無塗装を残すもあり」とされた。(訳注:ワイラウェイはこれに分類される)』 また同時に、練習機(イエロー)、写真偵察機(PRブルー)、夜間作戦機(ナイト)も規定されたが省略する。 ただし、どこの国の塗装規定も似たり寄ったりだが、制定後にもこれによらないものが多数存在している。また、この規定では、フォリッジグリーン単色のブーメランは戦闘機ではなく攻撃機として分類されることになる。 これ以前の規定はネタ本に記述が無いが、Red Roo社刊「UNDERSTANDING RAAF AIRCRAFT COLOURS」(Revised Edition、'99)には記述されている。この内容について、やまい氏に情報提供頂いたのでここに転記する。 『豪州空軍機はAGI(Aircraft General Instruction)で塗色が規定されていて、1940年10月に「上面フォリジグリーンとダークアース、下面シルバー」、42年7月には「フォリッジグリーンとアースブラウンにスカイブルー」。そして44年5月に「全面フォリッジグリーンまたは羽布部アルミドープを残す」(注:上記の資料−2の記述とはなぜか異なる)。 ただし、この規定が発効と同時に全作戦機がそうなったわけじゃなく、また例えば44年5月までAGIには図面がなかった。砂漠迷彩で届いたスピットファイア[を豪州色で塗り替えたりとかは有り。←ミッドストーン部をフォリッジグリーンに。てことはダークアースとAzure Blueはそのまんま?) フォリッジグリーンは、米軍のミディアムグリーン42(現代ではFS34092)に近いが、やはりビミョーに違う。残ってる当時の色見本だとFS24096をほんの少し彩度高く(もしくは緑寄りに)した感じ。類似色としてFS24079なども。 組みあわせて使われたダークアースは英軍のそれと同じ。アースブラウンはFS20099を少し暗調にした、かなり暗い茶色。下面のスカイブルーはFS25550もしくは25662が近似。青みは軽度でかなり白っぽい明灰色系。』 ■ 各機体の塗装 以下、個別機種ごとに文献−2での記述を例示する。その記述の正誤、それ以外の塗装バリエーションの有無については、確認できている訳ではない。 |
| ワイラウェイ | 大戦前期までは上面RAAFダークグリーンまたはフォリッジグリーンとアースブラウン、スカイブルー。それ以降全面フォリッジグリーン。 |
| ブーメラン | 大戦前期まで上面フォリッジグリーンとダークアースまたはライトアース、スカイブルー。それ以降は全面フォリッジグリーンが基本だが、上面ライトグリーン、ライトアースに白尾翼も。 |
| キティーホーク | オリーブドラブとニュートラルグレーの米軍仕様のまま。 |
| スピットファイア | RAF規定のダークグリーン、オーシャングレイ、ミディアムシーグレイ。他にはフォリッジグリーン、ダークアース、スカイブルー。(訳注:また、暗色系単色で現地再塗装された写真もある。Red Roo本には他のスキームの記述もあり。) |
| ヴェンジャンス | 上面フォリッジグリーンとライトアース、下面スカイブルー。 |
| ボーファイター | 豪州製ボーは、全面RAAFダークグリーン。英国製ではRAFダークグリーン、ダークアース、スカイ。 |
| ハドソン | 米オリジナルのミディアムグリーンにサンド、下面スカイ。他にはフォリッジグリーン、ライトアース、スカイブルー。 |
| ボーフォート | ライトグリーン、ダークアースorライトアース、スカイブルー。他には全面フォリッジグリーン。 |
| キングフィッシャー | エクストラダークシーグレイ、ダークスレートグレイ、スカイブルー。他には全面銀色に機首上面ナイト。 |
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補足すれば、例えば同部隊のブーメランが並んで写っている写真でも、雲形迷彩の2色の明度比が機体ごとに異なるものもあり、これが使用色の違いによるのか、退色+塗り直しによるのか、不明。逆に言えば、模型に適用する場合、それほど神経質になる必要はない。 Ethell著「WWII WAR EAGLES」には、米軍マークのヴェンジャンスやハドソンがあり、これらも大変興味深い。両機とも、青白ラウンデルに変えればそのままRAAF機として通用しそう(つまりモノクロ記録写真との違和感が無い)。 これらは常識的に考えれば米国の工場で米国製の塗料が使われているが、豪州に送られればわざわざRAAFオリジナル塗料に塗り替えないだろう。文献−2には工場にて米国マークを青白ラウンデルに塗り替えているヴェンジャンスの写真がある。 で、ヴェンジャンスの緑、米国塗料のミディアムグリーンと推察するが如何だろう? これがそのまま豪州に渡って、現地ではフォリッジグリーンとみなされる。茶色はダークアースが妥当か。ミドルストーンでは明るすぎるだろう。 ■ マーキング ラウンデルは、大別して戦前、戦中、戦後に分けられる。戦前タイプは青白赤の3色で直径比は5:3:1。色調は、文献−2では「42年の早い時期までの国籍標識はブライトブルーとブライトレッド、それ以降はダルブルーに変更となった」とある。なお、同文献に「38年から40年までの三色ラウンデルの色調は、ブライトブルーとブライトレッドよりさらに明るい」という記述もあり、混乱する。写真の印象は、さほど明るくはない。戦中タイプはお馴染みの青白。ワイラウェイの場合、直径比は5:3で、単純に戦前タイプの赤が抜けたわけ。他の機種ではいくつかのバリエーションがある。3色タイプからの変更時期は、文献−2では1940年との記述があるが、文献−1では3色ラウンデル機の写真キャプションに41年撮影と書かれたものもある。いずれにしても、開戦直後の42年1月に豪州軍はラバウルで日本軍と戦火を交えており、日の丸と誤認しやすい赤は消されていた(または間もなく消された)だろうと推測される。 44年5月の塗装規定には国籍標識の規定もあり、それはRAAFダイアグラムA5524に記述されている。これによれば白と青の直径比は3:8(添付の図面では2:3だが多分間違い)で、胴体の場合小型機、中型戦闘機、中大型爆撃機それぞれ白/青の直径は、6/16、12/32、18/48(単位:インチ)とされた。 主翼やフィンフラッシュの規定もあるが、ややこしいので省略。実機写真を参照されたい。同時にコードレターも規定され、縦横48×24、太さ6、字間6、シリアル8×5、太さ1(単位:インチ)、色はフォリッジグリーン、ナイト塗装機ではミディアムシーグレイ、その他では黒である。 戦後は中心の赤が一時期復活し(ラウンデルの比率はRAFの戦後3色タイプに変更)、さらに白丸の中にカンガルーが記入されたお馴染みのものに変更となった。 ワイラウェイの場合、ラウンデルのサイズや記入位置は各機ともほぼ同一なのに対し、フィンフラッシュのサイズ・位置は部隊によってバリエーションがある。 これは、初期のワイラウェイは、工場で3色ラウンデルを塗られて前線に送られ、後に規定されたフィンフラッシュは現地塗装なので当然といえば当然。迷彩パターンが一定なのも、工場塗装だから。 コードレター、シリアルは、上記規定の以前から基本的にはミディアムシーグレイで記入された。全面フォリッジグリーンの機体などでは白に見えるものもあるが、本当に白なのかミディアムシーグレイが退色したのか慎重な判断が必要。 その他、味方識別マーキングとして、大戦後期には尾部全体が白色で塗装された。この上にシリアルが記入される場合もあり、そのときは黒らしき暗色だ。また、これと同時に主翼前縁に白塗装が施された場合もあるし、ない場合もある。 ■ おまけ 模型に塗ったイメージを掴むために、再度、長谷川エミール君に登場いただく。胴体後半と右翼のフォリッジグリーンは、Mrカラー#302に3割ほどタンを加えたもの。右翼のダークアースはスピットUで使用したもの。機首にはライトアース見立てのベト迷タン(ピーナッツバターに見えるかな?)、左翼のRAAFダークグリーンとアースブラウンの調色は後述。ダルブルーもスピットUや\で使用したもの。 |
![]() フォリッジグリーンは#302ビン生より明るく調合した方が、従来の塗装図やモノクロ写真から受けるイメージには近い。左翼のダークグリーンとの差に注目願う。 |
![]() 画像ソフト(JTrim)でモノクロ変換。銀塩モノクロとは当然階調が異なるだろうが参考まで。ダークアースとフォリッジグリーンの明度差が興味深い。 |
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以上、誤訳勘違いなど多々あろうかと思われるし、まだ全ての疑問や矛盾が解決していない。お気づきの方は是非ご連絡いただきたい。 なお、RAAF塗装に関しては、本項で述べきれなかった事項などもあり、こちら 「やまい氏」の掲示板での議論も、ぜひ参照いただきたい。この中では思い込みで不適当な書き込みもしているが、そこは割り引いて読んでいただければ幸い。 |
再び、塗装 |
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■ ワイラウェイの塗装&マーキング ワイラウェイの塗装&マーキングは、4つのパターンがある。時系列順に、@ 上面RAAFダークグリーンとアースブラウンの雲形迷彩、下面は不明(おそらくスカイブルー)、国籍マークは青白赤の三色ラウンデル。A 全体塗装は同じで国籍マークから赤が抜け、尾翼にフィンフラッシュ。B 機体全面フォリッジグリーン、垂直・水平尾翼含む尾部全体が味方識別の白、国籍マークはAに同じ。C 機体全面シルバードープで機首上面が黒。補足すると、@〜Bのコードレターはミディアム・シーグレイ、シリアルも同色、Bでは白のコードレターもある。Bで尾部に記入されたシリアルは黒、@のみ主翼下面にシリアルNoを黒で大きく記入する。雲形迷彩のパターンは規定がある。それぞれの適用時期は不明の部分もあるが、概ね@は41年まで、Aは大戦前半で43年10月撮影のものがある。Bは大戦後期で44年11月撮影がある。Cは戦後、となる。 @、Aのダークグリーンはフォリッジグリーンの可能性もあるが、ここでは前者とする。初期の写真を見ると全体的にかなり暗い色調で、Bとは異なるように見える。また、ワイラウェイの生産は39年に始まっていることも、1つの考慮材料だ。 ■ 調色 文献−3のカラー写真のイメージそのままに調色する。RAAFダークグリーンはRLM70:2、#302:1、ニュートラルグレイ:1。当初に塗った色とほとんど同じだが、若干緑を鮮やかにしている。アースブラウンは赤褐色:2、RLM79:2、ブラックグレイ:1。それぞれ加えるグレイは、彩度を下げるとともに両色の明度調整を兼ねる。スカイブルーは前回そのまま(RLM76+白20%)。ダルブルーはスピットIIやIXで使用したもの。白はキャラクターホワイト。コードレターはミディアムシーグレイのビン生 ■ 塗装 国籍標識をマスクし、ハンドピースを絞って吹きなおす。上面2色をあらかた吹いてから、Mrペタリで境界を決める。コードレターは手描き。 |
![]() 調色し直した塗料を吹く。境界は一度にマスクせずこのように部分ごとに。これが意外と使えるテク。 |
![]() Bのカーブなどはエッチングテンプレートとデザインナイフ。部分ごとに分けて切り出すとうまくいく。 |
![]() 基本塗装終了。色調バランスのイメージは、自分ではかなり満足。 |
![]() モノクロ変換。 |
![]() 再掲。塗り直し前の作。 |
![]() そのモノクロ変換。実機写真で2色の明度差がこれほど明瞭なものはない。 |
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■ マーキング考証 2/25追加 このBF◎L機の塗装&マーキングについての考証。本機は、第5スコードロン所属、シリアルA20−292で、文献−2に、1943年10月に胴体着陸した姿の写真が残されている。ただし、記録を見ると本機はその後も1957年まで使用された。搭乗員は不詳。本機の胴体ラウンデルは、なぜか通常よりもサイズが小さいが、作品は通常サイズ。レターのサイズや位置も作品とは微妙に異なる。右舷はスペース的にL◎BFとしかなりえない。機首下面は草の陰で見えず、エアインテイクの形状や下面色の塗り分けラインは不詳。機首機銃は装備が確認できる。 |
![]() 実機は水平尾翼の下にシリアルがミディアム・シーグレイで記入されている。 |
![]() 右舷側迷彩パターンはこのとおり。上写真とあわせれば全体のパターンは把握できよう。 |
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■ デカール 実は作品のシリアルは、キット付属デカールの切り貼りで対応できる番号をわざわざ選んだのだが、このデカールはシルバリングが半端でなく、全く使えないことが判明。フィルムが厚く軟化剤も全然効かない。よってデカールの使用は諦める。インレタを作るか、他に流用できるデカールが見つかるまで、シリアルなし状態だ。■ 仕上げ ウェザリングはいつものとおり。水滴形の航法燈をクリアランナーから削り、乗降ステップを取り付け、アンテナ線を張り、最後にフラットクリアを吹いて出来上がり。 |
完成 |
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■ とりあえず完成 シリアルが未記入だが、いつになるか分らないので、とりあえずの完成とする。お気楽モデリングのつもりが、途中の塗装考証に思わず力が入ってしまった。「いつか役に立つだろう」と買っておいたクーカバラ本、高かったけど値段以上に楽しませてくれて、元は取ったかな。出来上がった可愛らしい機体を眺める。でも、ワイラウェイはサイズ的には意外と大柄。SBDドーントレスに近い。作品はプロポーションや細部の正確さにおいて甘い部分もあるが、たまには肩肘張らない模型もいいね。それでも、繊細な胴体羽布張りモールドに助けられ、軽快なワイラウェイの雰囲気は十分だ。塗装ともあわせ、RAAFらしい一品にはなったと自画自賛。 ■ ワイラウェイの戦闘記録 最後に、文献−1より2つの対照的なエピソードを紹介して、おしまいとする。どちらも「戦闘機」ワイラウェイの話しである。24sqラバウルの敗戦 日本軍が真珠湾を攻撃した1週間後の1941年12月16日、24sqの10機のワイラウェイはラバウルのヴィナカナウ基地に到着、当地域の守りに就いた。18日には早くも日本軍の水上機2機が偵察に飛来。4機のワイラウェイが迎撃するも、速度不足で接敵できず。年が明け1月4日より、日本軍による爆撃が始まり、続いて6、7、16日にも小規模な爆撃が行われた。 1月20日、この日は爆撃機、急降下爆撃機、戦闘機からなる3波100機以上の大規模な爆撃であった。ワイラウェイは果敢に迎撃に上がったが、雲中に逃れた1機を除き、撃墜、銃撃され、5機破壊、3機重大損傷、残ったのは2機のみ、6名戦死6名負傷(別に4名不明という記述もあり)という結果であった。残る24sq隊員は22日ショート・エンパイア飛行艇でラバウルから脱出、翌23日に日本軍はラバウルに上陸した。 24sqは撤退後もワイラウェイで戦い続け、43年6月にヴェンジャンス(その名も復讐)に改変した。コードレター「QE」。 4sqの勝利 1942年12月26日朝、ニューギニア、ポートモレスビーに進出していた4sqに所属するFlg Off J S ArcherとSgt J L Coulstonは、胴体横に「D」のレターを大きく記入したCA−5ワイラウェイA20−103に搭乗し、僚機2機とともにブナ地域での戦術偵察を行っていた。高度1,000ftで眼下に1機のZeroを発見、ダイブして攻撃を敢行(原文ではfront quarter attack)、撃墜した。ワイラウェイによる唯一の敵戦闘機撃墜を記録した当機の胴体左舷には、ドラゴンのパーソナルマーキングとともに1つの日章旗が描かれている。 別文献では、撃墜されたのは、損傷して戦域を離脱していた隼であるとされている。真偽はともかく、飛行高度は通常ではない。やはりワイラウェイが当時世界最高水準の日本軍新鋭戦闘機を撃墜するのは、まともには困難であろう。 ただ、このエピソードからは、搭乗員のワイラウェイに対する信頼と自信が、敵戦闘機に立ち向かうに十分であったろうことが伺える。それだけでも本機の評価に値するのではないだろうか。 |
参考資料 |
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■ 参考文献 資料−1は、この3機について、開発経緯、技術的解説、運用、戦歴などが一通り解説されている。写真も多数。紙質が悪いのがたまにきず。同シリーズでRAAFスピット、P−51、P−40やシーフュリー、ファイアフライ、シーベノムなんてのも持ってるが、こいつらも「濃い」ぞ。資料−2は、なぜかVol2しか持ってないが、RAAF塗装に関する解説ならびに使用機全般の優れた写真が多数で、これもオススメ。 資料−3にはRAAF使用機のオリジナル・カラー写真があり、色調の考察には有用。 また、私は所有してないが、Red Roo社刊「UNDERSTANDING RAAF AIRCRAFT COLOURS」(Revised Edition、'99)にも関連する記述がある。 |
| 1 | WIRRAWAY,BOOMERANG & CA-15 in Australian Service | Aerospace Publications |
| 2 | RAAF CAMOUFLAGE & MARKINGS 1939-45 Vol.2 | Kookaburra Technical Publications |
| 3 | WWII WAR EAGLES Global Air War in ORIGINAL COLOR | Widewing Publications |
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