| P-47D |
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製作記(1/32ハセガワ) |
| レイザーバック |
2007.6.20 初出
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完成!!
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続、塗装 1/22追加 |
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マーキング塗装後、#1200ペーパーで軽くマーキング塗装面の凸凹を均す。その影響で銀塗装面にもペーパー傷が付くので、全体にもごく軽くペーパーを当て(銀部分は方向に注意)、石鹸水溶きパステル粉で軽くウォッシングしてから、ガイアのクリアをクレオス・レベリング・シンナーで薄めに希釈して吹く。マーキング部はある程度しっかり吹き、銀部分は軽めに。 クリア上掛けで、銀表面がシンナーで侵されたのか、わずかにスクラッチ感が減少したような気もする。ただ、スーパーファインシルバーの塗膜の強固さはかなりのもので、依然としてスクラッチ痕が残っているのはさすが。また、クリアー後に一旦#1200でサンディングしてからさらにウォッシングしており、スクラッチ傷に入り込んだパステル粉が、スクラッチ感の保持に役立っているかも(それを期待してそうしたんだけんど)。 |
![]() コードレターを塗装し、#1200ペーパーを当てたところ。 |
![]() こちらは主翼上面国籍マーク。ペーパーで段差を削る。このあとクリアを吹く。 |
![]() 排気管は自作排気管色(#131赤褐色+#33黒+#8銀+#30フラットベース多量)、自作チャコールグレイ、#45セールカラーを適当に吹く。 |
![]() 補助排気管付近にもこれらを薄く吹き、焼けた感じを演出。耐熱部分のパネルは#SM04スーパーステンレス。胴体国籍マーク下部も同色。 |
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![]() 写真が光って見づらいが、まずシャドウを先に転写。 |
![]() 次に黄色、最後に白シャドウ。nrodとandの部分のみシャドウ貼り直し。 |
![]() スコアマークは先に白を貼ってから黒。上側を合わせたら、下のほうが・・・(泣) |
![]() 貼り付け終了。ガイアのクリアで光沢状態。 |
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貼り終わって全体を眺めると、すこし光りすぎているかな?という感じ。ガイアのフラットクリアーとクリアーを2:1程度に混ぜ、レベリングシンナーで希釈して上吹き。テカリは消えるが、光を当たればギラリとするのはそのまま残り、わりと満足。オリーブドラブは対比で完全艶消しに。これは#30フラットベースをシンナーで薄く希釈して吹く。クリアは入れない。 |
![]() フラットクリアでテカリを抑える。フラップの赤塗装の幅は実機写真から割り出し14mm。機首赤と色調を変え、こちらはP-40Lのスピナに塗ったもの。 |
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細部と仕上げ |
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例により、トレッドは手彫り。プラバンを挟んだことにより、キットのダイヤモンドパターンが崩れるので、手彫りは必須となるのだ。テクはP-40Lやヘルダイバーと同じで特筆するところはない。ダイヤのピッチはキットそのまま。キットのモールドを残しておき、それを目安に彫っていく。今回、集中力がいまいちで、多少不満だが、彫り直しせず。 |
![]() 左:キット。右:0.5mmプラバンを挟んだもの。 |
![]() このようなジグでトレッドを彫る。タイヤ上方のガイドに沿ってエッチングノコを動かすわけ。 |
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塗装はモスキートのときのウェザリングが気に入り、同じパターンを踏襲。自作タイヤブラックに、トレッド面はセールカラーを混ぜて2トーンで吹く。さらに両色のドライブラシも併用。銀塗装やマーキングがオモチャっぽいので、タイヤの汚しは意識してラフにしたつもり。 |
![]() 塗装、ウェザリングも終了。 |
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クリープ現象:一定の荷重のもとで、材料の変形が時間とともに増加していく現象。詳しくはこちら参照のこと。 |
![]() キャノピ裾にピン(赤矢印)を打つ。頂部の前後長さの中間位置というのがミソ。 |
![]() 再掲。ピンにてキャノピを固定したところ。接着はしていない。 |
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![]() ガラス取り付け。ナイフの切れ味が悪かったか、エッジが汚いなあ。あと、エッチングの照準リングもつけたいが・・・。 |
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![]() ギアケース下部にパイピングし、エンジンにガッチリ接着。ギアケース上部の補機3つがトラペのパーツ。 |
![]() カウルを取り外したところ。カウル中央の孔は、プロペラ軸を通すため。 |
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プロペラ先端はラダーと同じ黄色。基部は白混SFS。スピナは#SM06クロームシルバー。カフスのデータは、使えるものがない。トラペは色がダメ。カッティングエッジの1/32バブルトップ用デカールも、値段が高いくせに肝心のペラ用デカールが入っていない。仕方なく、AMDの1/32F6F用デカールから流用。これハミルトン用なので、よく見ると字が違うが色調を優先。 デカールの貼り付けには、クレオスのセッターとスーパースケールのゾルを使用。翌日、ガイアクリアをたっぷり吹いて、さらにその翌日研ぎ出し、デカールの段差を完全に消す。カーチスマークは手元に使えるものがなく(カフス含め、ハセガワのは使いたくない)オミット。実機でもマークのないものは多い。最後にガイアのフラットクリアを吹いてツヤの調整。当然、スピナには吹かず。 |
![]() プロペラにデカールを貼って研ぎ出し。上の本文を読まずに間違いに気付いた方は、相当な通人。 |
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![]() キットオリジナル。これじゃあ、あんまりだ。また、カバーがもっと跳ね上がるように取り付けるとよい。 |
![]() プラバン、ランナーなどでテキトースクラッチ。鋳物っぽく見せようと溶きパテを厚塗りだが効果は?。スプリングはフォークギターの4弦。 |
![]() 尾脚柱は2×1mmの真鍮角棒を曲げ、上部は1.5mm真鍮パイプに半田付け。尾脚基部には2.0mm真鍮パイプをはめてある。 |
![]() 1.5mm真鍮パイプの上部をペンチでつぶして抜け落ち防止。これで360度回転。タイヤはキット。トレッド面の凸凹が再現されれば完璧だが。 |
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脚柱カバーは、上部に真鍮線を打って主翼に固定。そのカバーと脚柱をつなぐ片側2本のリンクの工作が面倒。0.6mm真鍮線の端を平らにつぶし、その上にリング状の金属線(ギターの5弦を利用)をはんだ付け。中心の孔をピンバイスであけ、脚柱に打った真鍮線にはめる。カバー側には真鍮パイプをかぶせる。 脚柱は、レイザーバック〜初期バブルトップまでは暗い緑色。この場合、トルクリンクも同色。D型バブルの途中から銀色になる。脚オレオ短縮用のロッドは、カラー写真より緑脚柱の場合でも銀色を確認。カバー内側は全形式を通じてジンクロイエロー。脚柱カバーとのリンクも同色。 |
![]() トルクリンクは、型抜きの都合で再現されない正面方向のディティールを彫り込む。オレオにはメタルックを貼る。 |
![]() 脚柱上部の帯(ブレーキパイプ止め)はマスキングテープを銀色に塗ったもの。経年変化は大丈夫か? |
![]() 脚を主翼に接着し、脚柱カバーと脚柱のリンクを工作。1/32なので、それなりに手間をかけて工作する。 |
![]() 脚裏側には、引き込み時に脚柱を短縮するためのロッドがある。これがカバーとのリンクと干渉するのが厄介。 |
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さて、P-47もそうだが、片持ち式の脚柱は変形が問題となる。下図を見ていただきたい。左図のように脚カバー(水色)に車輪、脚柱をしっかり接着すれば、荷重が分散されて変形を防止できる。ところがカバーが無い、または変形防止に寄与しない構造の場合、荷重が脚柱の細いフォーク部分に曲げ力(モーメント)として作用し(※)、経年変化(クリープ現象)によりフォークが曲がり、結果として図中のようにタイヤが傾いてしまう。 これはみっともない。そこで、右図の青で示したように小片をフォークとタイヤの間に挟むと、相当程度変形を抑止することができる。これは、フォークにかかる曲げモーメントは黒矢印で示す部分に働くため、右のようにその延長を短くすると、一種のテコの原理で短い分変形に強くなるというわけ。青い小片の位置であれば、正面から覗き込まない限り目立たないしね。 ただし、右図でも矢印区間はモーメントにさらされるわけで、たとえばヘルダイバーなどここが細すぎる機体では何らかの対策が必要となる。P-47の場合、それほどフォーク部が曲がっていないが、重量を考え、打てる対策は打っておく。上の写真で、脚フォーク部に接着した四角い小片がそれ。 (※)なぜ曲げ力として働くかというと、機体の重量(=地面からの反力)はフォーク部に偏心して働いているから。逆に言うと偏心していなければ、圧縮力しか働かないので曲がらない。 |
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![]() ピトー管。三角形の突起は、このようにしてはんだ付けしてから切り離す。 |
![]() できあがり。下は1/72のP-35用(実はこれオーバーサイズで、あとで2回りほど小さく作り直す)。 |
![]() 車輪カバーのアクチュエーター。細い部分は0.6mm真鍮線。シリンダー部は4本の真鍮パイプを重ねる。最も太い部分は1.5mm真鍮パイプで、キットのは短くて届かない。 |
![]() 機銃スリーブは、ハセガワ純正のファインモールド製真鍮パーツ。#SM06クロームシルバーで塗装。先端の孔が小さいのが不満だが、そのまま。 |
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@ デカールの色褪せ A デカールのニス部分(あるいは糊かも?)の黄変 B プラのクリープ変形(脚柱など荷重のかかるパーツ、ヒートプレスしたものなど) C レジンの収縮、クリープによる歪み D ポリパテの収縮による歪み(裏打ちなどに大量使用した場合) E 張線のテンションによる歪み(特に複葉機) F 金属部品の錆、光沢低下、塗料剥離 個々に解説する。@は、キット付属のシルク印刷でないものに顕著。特に赤が弱い。対策は、手描きかシルク印刷の別売りデカールを使うか。また、蛍光灯や直射日光にも弱いから光に当てない。Aは、私の場合、昔作ったハイビジ・ファントムで、スーパースケールデカールのコーションデータのニス部が黄変した。上にクリアコートしたのに。なお、下地が濃色なら分からない。対策は、ニスを切り取る以外に思いつかないが、コーションデータではそうもいかない。 Bは、保存時には脚に負担がかからないように主翼などで重量を受ける。脚にエナメル汚しをしない。金属で作り替えるのがベスト。Cは、レジンパーツの宿命。フルレジンだと翼がたれたり上反角が変わったりという例があるけど、諦めるしかない。だから私はフルレジンキットは作らない。ディティールアップパーツも実は怖いんだけど。Dも要注意。ポリパテって長期的には収縮するのだ。胴体内部の裏打ちに大量使用して、あとで胴体がひん曲がったという例がある。Eは、自分では経験がないけど、ありそうな気がするんだよね。Fは、メタルプライマーを塗るという手があるけど、これって金属を侵すからメッキが曇ったりするのだ。 とまあ、いろいろあるけど、その他に「新考証による陳腐化」なんてのもあって、こちらの方がリスクが高いかな? 「将来の新事実発見なんて予測できないよ」と思われるかも知れないが、対策はある。人の言ったこと、書いたこと、俗説、通説のたぐい、人の描いた図面など、二次資料は信用しない(参考にはするけど)。オリジナルの写真だけを根拠として、それをできるだけ忠実に再現する。通説と違っても、写真どおりに再現すると(特に色について)、後から考証が追いついてくる場合もあるよね。 なお、「所詮、はかないプラモデル。七面倒くさいこたぁ御免だね。」という意見は、ごもっとも。私とはスタンス違うけど。
胴体のタンク振れ止めは断面形が違うので、幅が狭くなるように削る。胴体に取り付けようと写真で位置を確認すると、取り付け高さ、振れ止め本体の長さがキットと異なる。ところが、正しい位置、長さにすると、今度は胴体下部のパネルラインとの位置関係が違ってくる(キットはパネルラインに合わせているのだ)。どうしよう。 |
![]() 主翼パイロンの爆弾/落下タンク振れ止め。左キット、右修正後。 |
![]() これは胴体下部のもの。下キット、上修正後。パーツの準備はしたのだけれど・・・。 |
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いや、実は半年前、薄々気付いていたんだけど、これを修正するとなると、胴体後部の排気管まで延びるパネル(作品で色を変えた部分)全体の位置を修正する必要があり、スリットやドレインのモールドにまで影響範囲が広がるのに躊躇して、気付かないフリしてたんだよね。 で、タンク振れ止めだけど、あちら立てればこちらが立たずのジレンマで悩んだ挙げ句、安直な解決策、つまり「付けるの止〜めた」。 |
![]() パネルラインは赤線のようになるのが正しい。ただし、後半部分とどう辻褄を合わすのかは未検証なので悪しからず。 |
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残る作業は、以下写真のとおり。そのほか、胴体右側の燃料タンク注油口を示す赤枠は、以前作ったインレタ。4辺を1本ずつ貼っていく。主翼下面着陸灯は、キットのクリアパーツが厚くてツライチにならない。仕方なく0.4mm透明プラバンで作り直し。 |
![]() ガンサイトにファインモールド製エッチングの照準リングを追加。 |
![]() 車輪ドアのアクチュエーターは脚収容部との取り合いが厄介。正面から見えない裏側なので、パイピングなどはテキトー工作。 |
![]() パイロン後方に、タンク押さえ(切り離し時にタンクがエルロンにぶつかるのを防ぐ)を追加。これも真鍮はんだ細工。このあたり、実機とかなり違うけど、そのまま。 |
![]() バックミラーはキット。黒く塗って、メタル調シールを2.5mmポンチで切り抜き貼り付け。風防への接着面積が小さいので不安。 |
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完成 |
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どうも私の場合、時間をかけすぎると結果が良くない気がする。3〜4ヶ月くらいでスパッと作る方が、作品に「切れ」があっていいみたい(例えばP-40LとかP-47N)。今回、6月上旬から8ヶ月弱の製作期間。1日1時間平均で総計240時間くらいか。いやあ、お腹一杯。しばらく1/32は作らないぞ〜。 とまあ、愚痴ばっかりだが、1/32のド迫力には満足。苦労のし甲斐があったっちゅうもんだ。胴体と主翼の修正効果で、これぞまさにサンダーボルトという姿。ハセガワからレイザーバックが発売されても、十分に勝てるな。なんせ貧弱胴体にあの翼型だからね。でも、キャノピの出来が良かったら、こっそり交換したいので、発売は歓迎。 今回初めてトライしたスクラッチ銀塗装法、結果はまずまず。いや「まずまず」というのは、私の消化不足であって、技法自体は画期的かつ今後の可能性を秘めている。皆さんにもおすすめ。私自身は、もう少し研究の余地ありで、今度はもっと艶消しの銀をやってみたいな。 なお、ハイブリッド塗りは、それはそれで良さがあって、有用なテクであることに変わりない。やり方にもよるのだろうが、スクラッチは上品で端正な仕上がり。一方ハイブリはコクとパンチが利いている。ハイブリとスクラッチの合わせ技も有効。 |
![]() ホームセンターで段ボールを買ってきて箱を作る。編集部で機首の脱着をしてほしくないので、全体がすっぽり入る大きさ。引っ越しの時は、機首を外したサイズに作り直し。 |
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最後に、これまで書き溜めたロバートジョンソンについての記述を加えて本項終えることとする。長期間のご支援に深く感謝。
56FGは6月に最新鋭のP-47Bを受領したばかりで、飛行試験や転換訓練が行われていた。このときの改良により、後に戦闘爆撃機として成功するに至るのだが、その過程で40機以上がクラッシュし、18名が殉職した。1943年1月6日、部隊はニューヨークからクィーン・エリザベス号にてスコットランドへ出航。同月13日に到着するとP-47Cを受領し4月まで訓練した。 ジョンソン少尉の最初の戦闘ミッションは1943年4月18日で、56FGにとっても2回目のものであった。これはオランダ海岸への戦闘掃討で、何事もなく終了した。このミッションの後、ジョンソンはゴックスヒルへ射撃訓練行きを命じられた。しかし訓練最終日になっても目標に命中させることが出来ず、公式には戦闘パイロットとして認定されなかった(その後の戦歴を考えると興味深いエピソードである)。 6月13日、ガブレスキ少佐に率いられたジョンソンは、最初の撃墜を記録した(相手はJG26)。6月26日には爆撃隊の護衛で出撃するが、ジョンソンはFw190の攻撃を受け、九死に一生を得る。7月に中尉に昇進。2機目の撃墜は8月19日、オランダ上空のBf109であった。10月8日には、ジェリー・ジョンソンのウイングマンとしてFw190を撃墜(JG1のハンス・フリップ中佐といわれている)。10月のうちに5機撃墜を達成しエースの称号を得ると、11月に2機、12月に3機を撃墜しダブル・エースとなる。その後も1月4機、2月2機、3月6機を撃墜。4月に3機撃墜で大尉に昇進。1944年5月1日、少佐に昇進、同じ56FGの62FSに異動した。 ジョンソン最後の撃墜は1944年5月8日の2機で、通算27機となり、エディー・リッケンバッカーがWWIで記録した26機撃墜を、西部戦線の米陸軍パイロットとして初めて越えた。その後、彼は作戦から外され、1944年6月6日、アメリカ本国に凱旋帰国した。彼は1943年4月から1944年5月まで89回(91回という資料あり)の戦闘ミッションに参加した。 戦後はリパブリック社のチーフ・テストパイロットとして18年間勤め、空軍協会(Air Force Association)の初代理事長となった。その後は保険会社の重役となった。1998年12月27日、サウスキャロライナにて78歳で没。 以上はwikipediaなどのweb上の記述を適当にまとめたものである(出典は11/22更新時に記載)。写真で見るジョンソンは、タフでケンカも強そう、考えるより手が先に出る(足も?←結婚が早い)ようなタイプに見える。空戦中も無茶をするので、他のパイロットは彼のウイングマンになるのを嫌ったそうである。彼のこういった性格が、射撃が下手でもめきめきと戦果を上げることにつながったのでは? さらに、彼は非常に目が良かったそうである。誰よりも先に敵機を見つけ、追いかけることが出来たわけだ。
ミリタリーヒストリー:JG.1司令官のハンス・フィリップ中佐はあなたの撃墜数に入っていると理解しているが。 ジョンソン:それは1943年10月8日だった。戦闘中ときどきあるように、私と僚機は離れていた。我々は共に帰投する味方機を探していた。私は4機目の撃墜となるBf-110を墜としたばかりだった【訳注:4機目の撃墜は別の日ではなかったか?本人の記憶違いか?】。その急降下から引き起こそうとした時、4機のFw-190が爆撃機(複数形)を攻撃しているのが見えた。私は背面になるまでロールし、およそ5,000フィート下方の敵をよく見ることができた。 私は背面のまま急降下していた。敵機に銃弾が当たるための必要な見越し角を与えるため、機首を前方に向けながら銃撃した。私は編隊長機を撃った。私が降下するとき、編隊の3番機と4番機が引き起こし、私を撃ってきた。私は攻撃を続けた。そして私が編隊長に命中させたとき、彼は倒れ、私は勝ったと感じた。無我夢中だったので、私は自分がどれだけひどく撃たれたか分からなかった。その後、水平飛行になった。 その50年後、私の5機目の撃墜がロシア戦線から来た206機撃墜のハンス・フィリップと知った。私は右に引き起こし、私が遭遇した4機の後方に向かうBf-110とFw-190の群れの方に向かった。私はすぐに操縦桿を左に倒し、機首を下げた。左のラダーを踏んでも何も起こらなかった。そこで、私はラダーケーブルを撃たれたことに気付いた。私はトリムタブでしかラダーを操作できなかった。 ミリタリーヒストリー:そのときはどう思ったか。 ジョンソン:ええ、敵戦闘機の集団をやり過ごすことが主眼だった。私はスロットルをいっぱいに上げて急降下で去り、味方の何機かのP-47が見え、その集団に加わった。最初の考えはベイルアウトだった。しかし、引き起こして彼らと並ぶと、35フィートの切れたラダーケーブルがコクピット内でうず巻いていたにもかかわらず、まだ飛べることが分かった。 彼らは私と同じ56FG 62FSだった。彼らは言った。『大丈夫、俺たちがついているぜ』。ラルフ・ジョンソンが編隊を率いることになった。私はまだスロットルを開いたままだった。彼は言った。『ジーザスクライスト。ジョンソン、戻せよ!』。私は編隊から飛び出そうとしていた。私はスロットルを戻し、英国へ向かい、ボクステッドに着陸した。そこは我々の最初の基地であった。皮肉にも、後に56FGはそこを基地にした。 下方の雲に小さな切れ間が1つだけあった。そこから滑走路が数本見えた。そのとき、爆撃機(単数)とパイパーカブ型飛行機(単数)が前方にいた。そこで彼らを先に着陸させた。彼らは言った。『ボブ、あんたは撃たれているから最初に降りてくれ』。私は言った。『いや、燃料がたくさん残っている。もし俺が失敗すると誰も着陸できなくなる。俺はここに留まり最後にする』。 彼ら全員が着陸し、滑走路から出た。私は少し熱くなっていたが、依然エルロンは効くので、問題はなかった。私は進入し、主車輪が最初に接地し、次に尾輪が接地した。ブレーキをかけるためには、左ラダーケーブルを手で引っ張る必要があった。着陸した時、私はケーブルを引っ張り、ブレーキをかけ、止まることができた。 私は誰かが後ろからきたときのために、滑走路から出た。私は這い出して基地の周囲を歩いた。霧のため何も見えなかった。ようやく管制塔のところで私を待ってくれた人々を見つけた。翌朝、管制塔からほんの50ヤードのところにある機体を見た。しかし私は反対方向に2.5マイルも歩いたのだった。何人かが新しいラダーケーブルを取り付けてくれた。
『私はキーワース青3【訳注:コールサインか?】として飛行していた。私はジェラルド・ジョンソン大尉が1機のFW-190【表記は報告書通り】を攻撃する際のカバーを務め、爆撃隊の7時方向で編隊に戻った。リンゲン【Lingen、ドイツ北西部の町】付近で1機の爆撃機が編隊から1マイル落伍していた。1機のP-47が煙を出しているのが見え、私はそれと落伍者の両方を注視していた。 『そのとき、FW-190が、傷ついたP-47の後方、爆撃機の前方に上昇してくるのを見た。他に2機のP-47が、傷ついたP-47の上方でFW-190の前方にいた。そのFW-190は私を発見し、高度20,000フィートにおいて彼がまっすぐ私の下方約3,000フィートに来たとき、彼は同じ方向に旋回した。私は横転し、背面で急降下してその後尾についた。彼は真っ直ぐ急降下し、私は500ヤードから発砲した。 『最初の一撃で命中した。キャノピがばらばらに飛び、炎が出て大きくなった。そして彼は横転し、11,000フィートから地面に真っ直ぐ向かっていった。私はパイロットの脱出を見なかった。私はFW-1901機の撃墜を申告する。』 なお、同報告書には他に、時刻:1545、天候:靄、機体:8461【P-47D-5-RE 42-8461 HV-P "Lucky"である。銃撃を受けその後本機がどうなったか興味深い】 、使用弾薬:269rds .50口径 A.P. & I.【A.P.:徹甲弾 、I:焼夷弾】との記述がある。
ハンス・フィリップ(Hans Philipp)は、1917年3月17日ザクセン州マイセンに生まれた。I./JG 76 の一員としてポーランド戦において最初の撃墜を記録。その後バトルオブフランス、バトルオブブリテンに参加。ユーゴスラビア侵攻の際には、Bf109Eにてユーゴ軍のBf109Eと交戦し2機を撃墜した。 その後、バルバロッサ作戦に参加。1942年3月、全軍で8人目となる剣付柏葉騎士鉄十字章。同月31日、ルフトバッフェで4人目となる100機を撃墜。1943年1月、Fw190A-4に機種改編。同年3月、グラーフに続き2番目となる200機撃墜を達成した。同年4月1日、少佐に昇進しJG 1の航空団司令に異動、西部戦線で第8空軍を相手に戦うこととなった。 1943年10月8日、第8空軍の爆撃機156機とエスコートの6個FGからなるP-47約250機がブレーメン(Bremen)とフェゲザック(Vegesack)を攻撃した。フィリップは僚機とともに迎撃に上がったが、1機の撃墜を報じた後、僚機の眼前から雲中に消え、そのまま帰らぬ人となった。享年26歳。 Military History誌のインタビュー(再掲) ハンス・フィリップ略歴 1943年10月8日戦闘報告書 |
参考資料 |
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文献-1はBodie氏著によるもので、本頁でBodie本と呼んでるのはこれ。ハードカバー417ページの大書。T-ボルトファン必携だ。また文献-12〜14はEthell氏によるオリジナルカラー写真集で、本頁ではよくEthell本と称している。米軍機ファンは必ず買うべし。(一部、合本で名称が変わってるものあり) |
| 1 | Republic'sP-47 THUNDERBOLT | Widewing Publications |
| 2 | WARBIRD HISTORY P-47 THUNDERBOLT | Motorbooks International |
| 3 | ZEMKE'S WOLFPACK The 56th Fighter Group In World War II | Motorbooks International |
| 4 | Beware The Thunderbolt! The 56th Fighter Group in World War II | Schiffer Military History |
| 5 | Royal Air Force THUNDERBOLTS | Air Research Publications |
| 6 | P-47 Thunderbolt in action Aircraft Number 67 | Squadron/Signal Publications |
| 7 | Walk Around P-47 Thunderbolt Walk Around Number 11 | Squadron/Signal Publications |
| 8 | D&S VOL.54, P-47 THUNDERBOLT | Squadron/Signal Publications |
| 9 | The Republic P-47 Thunderbolt in the Pacific Theater | Squadron/Signal Publications |
| 10 | WARPAINT SPECIAL No.1 Republic'sP-47 THUNDERBOLT | Hall Park Books |
| 11 | AIRCAM AVIATION SERIES No.2 REPUBLIC P-47 THUNDERBOLT | Osprey publications |
| 12 | FIGHTER COMMAND American Fighters in Original WWII Color | Motorbooks International |
| 13 | WWII WAR EAGLES Global Air War in ORIGINAL COLOR | Widewing Publications |
| 14 | WWII PACIFIC WAR EAGLES China/Pacific Aerial Conflict in ORIGINAL COLOR | Widewing Publications |
| 15 | The Ninth Air Force In Colour UK and The Continent - World War Two | Arms and Armour Press |
| 16 | Checkertails The 325th Fighter Group in the Second World War | Squadron/Signal Publications |
| 17 | AIR FORCE COLORS Volume2 ETO&MTO 1942-1945 | Squadron/Signal Publications |
| 18 | AIR FORCE COLORS Volume3 Pacific and Home Front,1942-1945 | Squadron/Signal Publications |
| 19 | 56TH FIGHTER GROUP | Squadron/Signal Publications |
| 20 | ACES OF THE EIGHTH | Squadron/Signal Publications |
| 22 | Monographs 17 Republic P-47 Thunderbolt vol.1 | Kagero |
| 23 | Monographs 20 Republic P-47 Thunderbolt vol.2 | Kagero |
| 24 | Monographs 24 Republic P-47 Thunderbolt vol.3 | Kagero |
| 25 | Monographs 28 Republic P-47 Thunderbolt vol.4 | Kagero |
| 26 | 世界の傑作機(新版) | 文林堂 |
| 27 | 世界の傑作機(旧版:2種の異なる版がある) | 文林堂 |
| 28 | エアロ・ディティール 14 リパブリックP−47サンダーボルト | 大日本絵画 |
| 29 |
オスプレイ軍用機シリーズ 12 第8航空軍のP−47サンダーボルトエース |
大日本絵画 |
| 30 |
オスプレイ軍用機シリーズ 25 太平洋戦線のP−51マスタングとP−47サンダーボルトエース |
大日本絵画 |
| 31 | 図解・軍用機シリ−ズ P−51ムスタング/P−47サンダ−ボルト ハンディ判 | 光人社 |
| 32 | The Republic P-47 Thunderbolt in the European Theater | Squadron/Signal Publications |
| 33 | P-47 Thunderbolt in Action No.208 | Squadron/Signal Publications |
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8月に旧丸メカとスコドロ本を購入。2008年1月、インアクション新版を購入。目新しい写真はほとんどないのだけど、買わずにいられない。本当に馬鹿。
イタリア戦線は、貴重なオリジナルカラー動画。離陸シーンは、ゼロ戦なんかと違って、三点姿勢のまま豪快に空に飛び立っていく。一説によると、尾部を上げないのは巨大なペラが地面を叩かないためだとか・・・。空母発艦シーンは世傑などにも写真のある有名なものだが、こんなに滑走距離が短いとは。6トンの巨体が一瞬で浮かび上がるのは、圧巻。組み立て動画も非常に興味深く貴重な映像。それぞれ紹介頂いた諸氏に感謝。
http://janestyle.s11.xrea.com/tube/ http://www.wimpyplayer.com/products/wimpy_standalone_flv_player.html さらに動画を1つ追加。このサイトはyoutubeと比べるとはるかに高画質。はまると模型が作れなくなるかも。再生はGOMプレーヤーが手頃。 |