ヘルダイバー製作記 その2

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 続、組み立て 2/10追加




■ 爆弾倉ドア

 翼にも飽きてきたので(←オイオイ)、また胴体に戻る。予定どおり、爆弾倉ドアは「閉」をデフォルトとするが、「開」にも出来ないかと頭を悩ます。スケール感を損なわないヒンジの工作は、私には無理。「可動式」でなく「選択式」として、閉状態のドアはハメコミ式とする。ドアの内側に、爆弾倉内部のフレームにぴったり入るプラバンを接着し、これでドアの位置を固定する。

 しかる後に外形を削り合わせる。最後に胴体とのはめ合せを微調整。目標はスジ彫り1本の精度だけど、そこまではいかないか。ま、多少の段差、隙間は塗装でごまかしちゃう。胴体への固定方法は後で考えよう。クリップ式に「ぱちん」と留められるとベストだけど、ダメならいつもの両面テープかな。



左右ドアの接着部は、もう1枚のドア+瞬間パテで裏打ち。1.2mmプラバンは、補強と位置決めを兼ねる。

閉じた状態。胴体前部とのラインのつながりに注意して整形する。



■ キャノピ中間部

 次は、放置していたキャノピ中間部。-3の相違点であるコクピット後方の窓をどう工作するか、しばし考える。当初はくり抜いて窓ををはめ込む予定だったが、適当な厚さの透明プラ材が無く、それならと機銃手前方窓のもう1つのパーツを利用する。

 それはいいのだが、本来の機銃手前方の窓、これもハセモノ版のパーツだが、やはり金型が損傷していて上部湾曲部の厚みが不均一。おかげでガラス越しの景色が歪んで見える。接着前に内側から削って厚みを調整しておけばよかった。やり直そうかと思ったが、苦労してスジ彫りした後だし、機銃手スライドキャノピをかぶせてしまえば気にならないかと、とりあえずそのまま。



裏からプラ材+瞬間パテで左右をガッチリ接着。内部構造も再現するが、完成後は見えないだろうなあ。

窓枠はスジ彫り。胴体に仮に乗っけてみたところ。このとおり右側窓は長方形。



■ リベット(その1:尾翼)

 ようやく「たまぐり」に着手。前回のP-47Nと同じく1番(0.30mm)を使用する。「たまぐり」のWEB通販についてはこちら。1年以上前だからコツも忘れたなあ。ということで、水平尾翼下面で小手調べ。リベットラインはD&SやWebの写真から読み取る。Web画像は、白く飛んでたり、黒く潰れている写真でも、画像ソフトの明度調整をいじるとディティールが現れる場合があることを発見(←知らないのは私だけですか、そうですか)。

 このテクにより、水平安定板のリベットラインは、ほぼ判明。ストリンガー(横方向)は密に入るが、リブ(前後方向)は少ない。これは構造的にP−40によく似ている。同じチームの設計なのかな? 垂直安定板も同様と考えられ、そこから不明部分も類推できる。左側の前下寄りに点検パネルがあるので、スジ彫りを追加する。



たまぐり開始。見づらい写真で恐縮だが、リベットラインはこのとおり。

こちらも写真より読み取る。9割方合ってると思う。不明なところは水平尾翼のパターンから類推。



■ リベット(その2:主翼) 2/20追加

 主翼も、Web画像、D&Sなど手持ちの写真を隅から隅まで調べて、リベットラインを決めていく。ところが良い写真がなく、部分部分をつなぎ合わせて推定するしかない。確実なのは、主翼は尾翼とは構造が異なり、桁とリブのみでストリンガーがない。外翼(折畳部より外側)についてはリブの本数も判明。これがまた手持ちの図面とは異なり、つまりは図面が間違い→他の部分でも図面の信頼性には疑問、ということ。

 問題は内翼。断片的に写真から判明しているリベットラインと、機体構造から合理的に推定されるリベットラインと、キットのパネルラインとがピタリと整合しない。原因は、キットのパネルラインが少しずつズレているため。全面的にパネルラインを彫り直す気はない、というか正しい位置が判る資料がなくて直せないので、そのまま残してテキトーに合わせるしかない。

 下面の主桁前方には四角いアクセスパネルがいくつかあるが、これも正しいリベットラインと合わない。ここだけは埋めて彫り直す。



主翼上面。わかり易いようにスミ入れしてある。内翼部のリベットは、残念ながら完全に正確というわけではない。エルロン部にも注目。

下面。脚庫内のリブ位置も実機とはズレてるから、どうしたって正確なラインとはなり得ない。エルロンのヒンジは、埋めて正しい位置に彫り直す。


 以下、なぜ整合しないかという話し。まあ重箱の隅ではある。前後2本の翼桁の間には、内側から燃料タンク、機関砲弾倉、機関砲が配置され、アクセスパネルやパネルラインはそれに従って位置が決まる。ところが、キットでは上面と下面で本来一致すべきライン、例えば燃料タンクの境界がズレている。主桁だって、上面は直線だが下面は途中で折れ曲がってて、直すとなると脚庫にも影響する。機銃とアクセスパネルの位置関係も少々疑問。

 さらに、ダイブブレーキのリベットラインを決めるため、裏側のリブ配置を調べると「何か違うぞ」。そこで、エッチングパーツの穴を数えてみると、なんと、内翼ダイブブレーキの穴の数が違う。キットの方が多い。これは単純に穴の数の問題ではなく、内翼と外翼のダイブブレーキの長さの比率が違うということ。原因は精査してないが、1つは主翼付け根のウォークウェイがキットは少し狭いこと。それだけでなく折畳位置かエルロンとの分割位置もズレている可能性がある。

 そして、エルロン。本機は上面が金属張り、下面が羽布張りである。これも念のため実機写真で確認してみると、エルロンのリブは、機軸に平行。しかし、キットは分割線に直交で間違い。D&Sの図面も間違い。タブの分割線も機軸に平行が正。下面側にあるヒンジの凸部だけは分割線に直交でキットどおり。でないとスムーズに作動しないよね。ただしその位置はまた間違いだ。


■ リベット(その3:胴体) 2/27追加

 これも写真から読み取る。キットのパネルラインには一部誤りがあるので訂正しておく。また、一部の小アクセスハッチや足掛け?がリベットラインと重なり、埋めて彫り直し。胴体のフレームは、写真から配置、本数が判明。部分によって粗密の差が大きく、リベット打っていて違和感があるが、実機がそうなのだから仕方ない。後部胴体下部はいい写真がなく、特にストリンガーの配置にはかなり推測が入っている。



キットは水平尾翼下方のパネルラインが一部異なる。写真は既に修正済み。後部胴体左舷下方にある2つのアクセスパネルは後期型にはなく、また-1でも右舷側である。-3がどうかは不明だが、モデルではなしとしている。



■ 主翼接着

 製作開始から2ヶ月以上かかって、ようやく士の字だ。このキット、主翼取り付けの強度には全く配慮がないので、工夫が必要。上反角の角度決めも兼ね、やはりここは桁を設置するのがベストか。さらに上面側における主翼と胴体との接着部には、1.2mmプラバンで「のりしろ」をつける。これらはタミヤの白フタでがっちり接着。



このように桁を接着する。上反角を慎重に擦り合せる。

ようやく士の字。上反角は翼前縁で6°とする。


 ただし、これだけでは強度的にまだ不十分。というのは、爆弾倉が大きく開いているから。そこで、写真のように爆弾倉内に三角形の補強を入れる。実はこれ、実機でもこういう構造になっており、この補強梁とコクピット後方の壁とで左右の翼の荷重を受けているのだ。ここには引っ張りの力がかかるので、これも白フタで強力に接着する。これとてまだ強度的に完全ではないが、取り付け前よりは、はるかに剛性が上がっている。実機では三角形の中がくり抜かれているが、強度と手間からそこは省略。


爆弾倉が開いているので、主翼左右の連結強度が低く、左右の翼を持って曲げると開口部がたわむ。

これを改善するため、写真のような三角形の補強梁を設ける。主翼パーツにもしっかり接着する。




■ レイテ湾沖海戦

 組み立てが一区切りついたところで、歴史の話。Crowood社刊の『Curtiss SB2C Helldiver』から、「ダッシュ・スリー」SB2C-3が歴史の中で大きな役割を演じたこの海戦の記述を紹介する。この部分だけでも長いので、以後数回に分けてアップする予定である。

 まずは序文とフィリピンへの予備攻撃の章から。いつものテキトー抄訳で、誤訳省略だらけなので、悪しからず。お気づきの点があれば指摘いただけると幸い。また、併せてオスプレイ本も読んでいただければ、米海軍航空部隊側から見たこの戦いの様相についての理解が深まると思う。

 さらに、できれば日本側に視点をおいた記録もお読みいただき、かの大戦で祖国のために戦い、亡くなられた方々に思いをはせていただければ幸いである。「レイテ沖海戦」「捷一号作戦」などのキーワードで検索すると、WEBでも多数の記述がある。撃沈された戦艦武蔵の猪口艦長の遺書は、胸を打つ。

レイテ(Leyte)湾

 それは、第二次大戦における最大の海戦で、その結果は、その後の日本帝国海軍への勝利につながるものであった。この海戦は、1944年10月22日に米軍がレイテ湾《訳注:フィリピン中東部レイテ島東岸の湾》に上陸した後の、日本側の絶望的な賭けであった。フィリピンの陥落は石油の供給を断絶し、それなしでは日本海軍は作戦できないがゆえ、ほとんどの海軍戦力が背水の陣で戦ったのだった。

 連合艦隊司令長官豊田大将は、4つに分かれた攻撃軍がレイテに集中し、防御する艦艇を攻撃し、米陸軍を乗せた輸送船を破壊、侵攻軍を掃討する計画を準備した。この作戦には、多数の陸上基地からの航空戦力の全面的な支援が組み込まれていた。また、日本艦隊の生き残り空母による、用意周到な囮が含まれていた。それはマリアナ沖海戦後に満足な補給がなく衰弱していたが、北方にいる強力な米軍機動部隊の釣り餌として使われ、別隊の戦艦と巡洋艦でレイテの橋頭堡に侵入し、米艦艇を殲滅することとなっていた。

 計画はある局面では機能したが、巨大な米軍の物量により初めから破綻していた。ヘルダイバーとアベンジャーによる先制攻撃は、陸上基地の日本航空兵力を殲滅し、このためその支援は期待を遥かに下回った。日本機の通常攻撃は、米艦隊の防御力のため効果が乏しく、日本軍は、神風特攻攻撃により活路を求めた。SB2Cは、日本艦隊への攻撃の主軸をなし、大きな損失とともに、戦艦武蔵を含む戦果を挙げて帰還したのだった。

 日本空母の囮は、空っぽの甲板であったが、追撃しているHalsey大将《ハルゼー:第3艦隊司令長官》に食いつかれた。ヘルダイバーは、残り少ない空母のいくつかを沈め、あるいは撃破した。日本軍の南方艦隊は米軍艦隊に捕捉され、凄惨な戦の末、ほとんどが掃討された。栗田中将率いる最も強力な艦隊は、レイテの海岸を奪取しようとSulu海《スル海;フィリピン中西部の西方にある》から現れたが、米護衛空母と駆逐艦の小艦隊により目的は果たせなかった。

 この戦いの最後の部分は、ヘルダイバーによる敗残軍狩りであった。我々はこの巨大で広範囲な航空戦におけるSB2Cの行動の全てを網羅できないが、かわりに4つの小局面 − フィリピンへの予備的な航空攻撃;初期の日本艦隊への攻撃;日本空母の追撃;奮闘する残存航空隊の最後の一掃 − について、それぞれに加わった1部隊に着目し記述することにする。

フィリピンへの予備的な航空攻撃

 9月12日から14日までの3日間、米空母軍は、日本軍の勢力を測るため、今まで未侵略であったフィリピンの日本軍航空基地を攻撃した。それは強力で効果的な航空迎撃により、重大な損害が出ると予想されたが、空母航空群(air group)はその前に全てを掃討した。その結果、日本軍の弱点が明らかにされ、実際の侵攻は何週間も前倒しされた。

 この期間のヘルダイバーの典型的な働きは、第18航空群に所属する空母Intrepid(CV-11)のM.Elsick中佐に率いられたVB-18によるものである。1944年9月13日、1,000ポンドGP《通常爆弾》1発と250ポンドGP弾2発を携行したVB-18《第18爆撃飛行隊》の12機のSB2C-3は、時刻06:10に離艦した。爆装した6機のTBM-1Cアベンジャーと8機のF6F-5ヘルキャットが随行した。命令は「フィリピン諸島、Negros島《訳注:ネグロス島;フィリピン中西部の島》北部の航空機と設備を破壊せよ。」であった。彼らは目標まで14,000フィート(4,260m)で進んだ。目標上空に達すると、SB2C-3は滑走路にダイブした。「・・・それはSilay基地と思われ、滑走路を一時的に使用不可能にする命中弾があった。」

 5機のヘルダイバーは適切な目標が無かったため爆弾を投下せず、帰還する途中にCadizと思われる別の基地を発見した。滑走路と擁壁の近くに2、30機の日本機があった。ヘルダイバーは、2機を急降下爆撃で破壊し、さらに2機を重大損傷とした。続いて銃撃により別の2機を破壊し、3機の不確実破壊、6機の重大損傷とした。

 隼、零戦、鍾馗、零観が迎撃に上がり、2機のヘルダイバーが7.7mm機銃で撃たれた。1機は右翼付け根に穴が開き、もう1機は左翼であったが、どちらも致命的ではなかった。護衛のヘルキャットが少なくとも8機を撃墜した。SB2C-3のそれ以外の損害は、軽対空砲に撃たれたもので、それは尾部に穴を開け、後席員が右手の指を負傷した。

 Negros島への第1波攻撃に続き、Janobates海峡でレイテへ兵員を輸送する小艦艇への対艦攻撃が行われた。このミッションは同様にBacolod、Cadiz、Alicanteの航空基地への攻撃を含んだ。SB2C-3は急降下爆撃と水平爆撃を行い、戦果は2隻の小艦艇撃沈と4隻撃破、Cadizの双発機4機であった。さらなる攻撃で、VB-18は、Mactan島のCebu港《マクタン島:ネグロス島東方の島、中心都市がセブ》の石油精製所、倉庫、1,000トンの沿岸貿易船(coaster)を爆撃した。航空機による迎撃はなく、貧弱な対空砲火しかなかった。敵の反応の無さは信じ難いほどだった。【その2へ続く】


■ 機首 3/8追加

 これまで、機首部が全く手付かず。まずエンジンを軽くディティールアップ。キットパーツは1ピースでライトサイクロンR-2600エンジンをよく再現しているが、ワンピースゆえ表現されない部分もあり、そこは余りパーツで修正する。プラグコードは0.3mm糸はんだ。作業して初めて知ったが、サイクロンとダブルワスプでは、プラグコードの生え方が全然違うんだね。



キットオリジナルのエンジン。ギヤケース下方の出っ張りが、後方エンジンと一体化してしまっている。

その裏側を削る。背後のシリンダーはもう1つのパーツから切り取る。ギヤケース上部の補機は、ハセガワp-47から。


 カウリング。実機写真と見比べると、断面形がキットのように縦長でなく、もう少し縦横比が小さいように見える写真もあって悩ましい。キットは、抜き勾配の関係で機首先端幅が1mm程細く、そのせいでそう見えるのかも。まあしかし、ここは目をつぶってキットの表現でよしとする。

 カウル上部のエアインテイクはスリット部が抜けてないので、0.4mmバイスとナイフで開口。本当は両脇にも穴があるのだが、うまく加工する自信がないので省略。裏から黒く塗ったプラバンで目隠し。出来上がりは、よーく見ないと違いが分らず、ちと残念。

 リベットは、曲面に打つので歪んだりしないよう、気合を入れてガイドを作る。カウルフラップはプラバンで置き換え、わずかに開いた状態に変更する。なお、実機では上下端部のフラップ側面は開いているので、キットをそのまま組む場合でもその三角形の部分を切り取るとよい。また、キットは排気管部の切り欠きも大きすぎ。



リベットは、塗装をはがした状態の実機写真があって、側面のパターンが概ね把握できる。

機首部できあがりの状態。


 機首と胴体の接合は、もう1つのパーツから取り付け部を切り取ってくれば簡単。キットはエンジンが若干奥まった位置にあるので、少々前進させる。上写真はまだ仮に組んだ状態。プロペラ軸受けにはタミヤP-47のパーツが使える。


■ レイテ湾沖海戦(その2)

 Crowood社刊の『Curtiss SB2C Helldiver』からの続編。第2章である。


日本艦隊の攻撃:第1ステージ

 USS Franklin(CV-13)は、1944年10月24日から28日にかけてのレイテ湾の戦闘に加わった新鋭空母のひとつであった。その間の典型的な活動は、SB2C-3を装備したVB-13を含む第13航空群によるものであった。時刻06:12《10月24日と思われる》、最初の攻撃隊が、北緯11度30分、東経126度30分から、Visayan海、Sibuyan海《ビサヤン海、シブヤン海:いずれもフィリピン中部の島に囲まれた内海》にいる日本艦隊を探して飛び立った。
 12機のヘルダイバーは、0.025テイルヒューズに設定した500ポンドSAP《半徹甲爆弾》2発を携行し、16機のF6F-5ヘルキャットが護衛についた。早暁の視界は15マイル(24km)。目標までは325マイル(523km)の長距離であったため、急降下爆撃隊は、436ガロン(1,928リットル)の燃料を積んだ。探索は250度から260度と260度から270度の2つに区分され、北方の探索は、K.R.Miller中尉の指揮で、南方はEisenhuth中尉であった。

 往路でMiller中尉は、Panay島《ネグロス島の北方の島》の東岸で、南方のSulu海に向かう3隻の軍艦を発見した。それらは日本軍の旧式な駆逐艦で、接敵情報はすぐさま空母に送られた。より大きな獲物を求めて往路の端まで探索を続けたが、他には発見できず、Millerはこれを攻撃することとした。08:15、彼らはManigun島《不明、パナイ島周囲の小島か?》の3マイル(5km)東側に位置する日本艦に戻った。

 それは「天竜」級の軽巡洋艦1隻と駆逐艦2隻であった。Kibbe中佐は、2機のヘルダイバーをそれぞれ3隻の艦に割り当てた。しかし1人のパイロットが命令を聞き逃し、実際は3機のSB2C-3が1隻の駆逐艦を攻撃した。2人のパイロット、Harding大尉とPickens中尉が命中弾、3番目のパイロットPingrey中尉が至近弾となり、駆逐艦撃沈の戦果となった。それは、攻撃後に艦橋後方から大量の煙を噴出し、航行不能となり、ヘルダイバーが目標を離れた時には沈んでなかったが、次の攻撃隊が同位置の残る2隻に到達した時には、多量の油が浮かんでおり、沈没したと見なされたのだ。事実、彼らの犠牲となったのは「若葉」であった。
 別の2機のヘルダイバーが巡洋艦に急降下し、命中弾1発、至近弾1発で、相当な損害を与えた。最後の1機が駆逐艦を攻撃したが成功しなかった。帰還後に対空砲火は「正確」と報告されたが、米機に損害はなかった。

 他方、南側区域は目標を発見できなかった。しかし、米軍のレイテ橋頭堡へ爆撃に向かうと思われる12機の九九艦爆と5機の隼《零戦の誤認か?》に遭遇した。ヘルキャットの分隊が編隊から分かれ、3機の九九艦爆を撃墜し、残りに爆弾を投棄させた。その間ヘルダイバーは別の戦闘機隊に護衛されて9,000フィート(2,700m)で旋回していた。しかし、隼は、味方の急降下爆撃機を防護するでもなく、米軍爆撃機を攻撃するでもなかった。分隊が再び合流し、攻撃隊は探索を続けたが艦艇は無かった。復路で、ヘルダイバーはNegros島のLa Carlotta基地を攻撃したが、重要な施設はなかった。

 空母Franklinからの次の攻撃は、09:51、再び500ポンドSAP弾2発を携行した11機のSB2C-3と、護衛の12機のF6F-5によるものであった。彼らの目標は「・・・敵艦艇はPanay島の東」、距離約240マイル(390km)というものであったが、しかしそれらは同じ場所、つまりManigun島の3マイル東にいた軽巡洋艦1隻と生き残った駆逐艦1隻であった。それらは近接して旋回し、沈没艦の生存者を救助しているようであった。
 ヘルダイバーは、分隊ごとに大まかに艦を分け、直ちに高度11,000フィート(3,350m)から攻撃に移った。日本艦は「・・・非常に激しく機動し、左に急旋回したため、対空砲火がなくとも命中させるのが非常に難しかった。」

 飛行隊長(flight leader)C.A.Skinner大尉の2番機であったH.D.Barnett中尉は、隊長に続いて軽巡洋艦に急降下した。順に3番機V.L.Miller中尉が続いた。Miller中尉は、Barnett中尉のSB2C-3が爆弾投下後1,000フィート(300m)で引き起こし始めるのを見た。しかしほとんど水平になったとき、Barnett機はスローロールになり、おそらく300ノット(560km/h)強で背面から海面にまっすぐ突入した。Barnett中尉と銃手Leonard Pickensの両者とも死亡した。「火炎や外部損傷は見えなかったが、機体は明らかに対空砲火に撃たれた。」

 その代償にBarnett中尉の500ポンド爆弾の1つが目標に命中した。軽巡「阿武隈」はそれまでの攻撃で既に軽度に炎上していた。Bogan中尉の戦果は同艦の至近弾であり、それは後続のパイロットに確認された。巡洋艦の火炎は増したが、彼らが退却したときにはまだ沈没する状態ではなかった。駆逐艦は、爆弾をファンテイルから5フィート以内で爆発させたWood大尉と、左舷ビームわきのKehoe中尉の両者の至近弾を受けたが、重大な損傷はなく、彼らが退却したときには航行中であった。【その3へ続く】


■ 胴体内部 3/17追加

 まずは計器盤。基本的にはキットパーツを使う。どうも最下段の部分は手前に折れ曲がっているのだが、左側の縦長パネルのみ折り曲げ、お茶を濁す。ラダーペダルはタミヤP−47。ヘルダイバーのものとは当然形が異なるが、修正せず。



前回更新の積み残し。エンジン後部はもう1つのキットから切り取ってくる。

計器盤はキット。メーターはいつものようにデカールをポンチで切り抜く。


 次に胴体燃料タンク。−3の場合、コクピット後方の窓から内部が見えるのだ。タンクは1/35のドラム缶。これまた実機とは形や大きさが異なるが、雰囲気だけ再現、つうか正確な形が分からない。ロールバーはエバーグリーンのプラ棒。正確な位置関係がこれまた不明。前側バーの直後にパイロットの防弾板がある。



胴体燃料タンク。左、加工前。右、加工後。

コクピット後方の工作。計器盤上部は0.3mmプラバン。実機は布製。



■ 動翼羽布張り

 これも毎度のサフェーサー。今回は面相筆でなくテープでマスキングして筆塗り。まあ、塗るというよりは置く感じ。3回塗り(3回置き?)でマスクをはがしてみると、ちょっとリブテープの段差がつきすぎかな。まあこれはペーパーで削れば済むことだけど。実機のリブ部のふくらみ方は、特にラダーで違っていて、中央部だけが突出しているのだけど(オスプレイ本2、3ページなど参照)、模型的には変な感じかなあと思い、あえて後端まで延ばす。



リブの位置を鉛筆で下書きしてから、マスキングテープを貼り、サフを筆塗り。

とりあえず出来上がり。ちょっと目立ち過ぎなので後で削る予定。



■ モデラーの引越し 4/9追加

 しばらく模型製作、HP更新がストップしていたのだが、それは引越ししてたから。転勤族ゆえ、2〜3年ピッチでの引越しを余儀なくさせられるのだ。毎度のことながらこれが大変。まあ私の例が、同じ悩みのモデラーの参考になれば幸い。




引越し前の状態。このライティング・デスクが私の作業場。もし地震があったら、上段の本棚が私の脳天を直撃しただろうね。

ガラス戸の本棚に完成品と資料を入れてた。次は完成品は止めてパソコンのモニターで鑑賞しようか。


 まずは完成機。前回引越しから3年弱の間に完成品が増えた。泣く泣く、大昔の作で人には見せられないようなやつ(1/72ばかり)を少し廃棄処分。大事な作品は、1つ1つ箱詰めし、まとめて大ダンボール箱に入れる。これが5箱分。本当に大事なやつは、引越し屋には任せず自分で車で運ぶけど、家族からはブーイングだ。

 次に未組み立てキット。私は「いつかそのうち作りたい」というものは極力買わず、「1年以内に必ず作る」と決意したもののみ買うことで(決意倒れは多いけど)、量を抑えている。確かに、買える時に買わないと後では買えない。けど、買ってもどうせ作らないなら結果的には同じでしょ。だから、ストックは年季の割にはかなり少ないと思う。

 さらに、容積を少なくするため、全てパーツをランナーから外してポリ袋に入れ、キットの箱1つにつき3〜4機分を入れる。これが大ダンボール箱に3箱。ランナーから外して部品番号が分かるの?と心配されるかも知れないが、私にとっては、番号がないと取り付けられないような部品は、最初から無いものと同じ。

 そして資料。本は、かさばらないのでつい買ってしまう。しかし塵も積もればナントカで結構な量。これが小ダンボール箱で12箱分。積み上げると6〜7mくらいかな。他に模型雑誌が6箱分。さすがに耐え切れず、古いモデルアート12年分ほか=4箱くらいを処分。老後に読み返すのを楽しみにしてたんだけどね。レオナルドに買い取ってもらったが、1冊30円程度。それでもまだ雑誌が残り2箱だ。




特に大切な完成品はこのように箱詰め。脚に負担がかからないよう発泡スチロールで受けを作る。

資料の詰まった小ダンボール箱。これが12箱分だ。重い。腰を悪くするから自分では決して運ばない。


 そして、引越し先に到着。完成品全部は自家用車で運べないので一部は業者任せ。恐る恐る箱を開けると、梱包が手抜きだった作品の一部で脚が折れている。幸い破損部分は軽微で修復可能だ。上写真のように丁寧に箱詰めしたものは、被害なし。


■ 製作再開 4/24追加

 家の中も片付き、ようやく製作再開。早く塗装したいのだが、機体内外の細かい作業が残っている。

 機銃フェアリングはキットパーツ。軸線に注意して接着。主翼スラットもキット。裏側を撮影した写真から、主翼リブと同じ位置にリブがあることが判明。主翼に合わせてリベットを打つ。ヘルダイバーのスラットは、開状態のときにかなり前方にせり出す。翼端側で3mm、内側で4mm強くらい。地上でも閉じた状態の写真があることから、Bf109などと同様に風圧で自動的に開閉するしくみだろうか? (注:スラットの考証については後述する。)



だからどうだ、という写真だけど、再開後最初の作業の記念ということで。

受けのプラ片を介して真鍮線で固定。


 このスラット、横から見たときのスラット自体の角度と前方へ出る角度、上から見た前後左右の位置、さらには前から見たスラット前縁ライン(主翼前縁ラインと一直線になるように)の微調整が必要で、取り付けは結構面倒くさい。しかも、接着後にスラットのパーツ自体が事後変形で曲がってるのに気づいたりして。思わず「キーッ」。


■ お買い物 

 ネットで注文したトゥルーディティールのコクピットセットが届く。コクピット内部は大部分スクラッチしたのだが、シートと無線機が使えるかも知れないと思ったのだ。しかし無線機と周辺の機器類はキットパーツをベースにしているので、レジンに置き換えるメリットがあまりない。シートも微妙なところで、シートベルトの表現がいまいちかなあ。



コクピットなどのディティールアップには使える。もうスクラッチした後だけど。

これで全部。もっと早く入手していれば楽できたのに。もちろん、これから作る人にはお奨めできる。



■ レイテ湾沖海戦(その3) 


小沢空母のハンティング 

 10月25日、空母Franklinの航空群(air group)は小沢の囮軍に対して大きな動きをした。第1波はVB-13の15機のSB2C-3、VT-13の6機のTBM-1Cアベンジャー、VF-13の12機のF6F-5ヘルキャットで、それらは皆11:55に出発した。ヘルダイバーは遭遇するであろう日本軍艦に対し、混合した爆弾を携行した。すなわち9機は.025テイルヒューズの1,000ポンドSAP(半徹甲爆弾)単発、他の6機は.08テイルヒューズの20発(12発の間違いか?)の1,000ポンドSAPであった。

 彼らは空母Enterpriseの第20航空群のヘルダイバー、軽空母Belleau WoodとSan Jacintoの戦闘機および雷撃機と共同で攻撃を行った。彼らの命令は「フィリピン海、ルソン島の東にいる日本艦隊を破壊せよ。幸運を祈る。」というものであった。攻撃隊の指揮官は、第15航空群のR.L.Kibbs(前章のkibbe中佐とは別人?)中佐であった。

 日本艦隊に到達すると、Kibbs中佐は3機のヘルキャットを護衛に付け艦隊の上空に位置し、エアーコーディネーターとして、5時間の間、やってくる艦爆機や雷撃機飛行隊を指揮し、それらに目標を指示し、さらには急降下爆撃に先立つ陽動銃撃を命じた。VB-13の全てのヘルダイバーが最も北に位置する空母を攻撃した。それは彼らが千歳クラスと考えたもので、合計で8発の命中と6発の至近弾をその不運な艦に与え、重大損傷とさせた。命中弾は以下のとおりで、少なくとも他の3機のパイロットとエアクルー及び写真によって確認された。

1:Bomberger大尉−中央後方
2:Horn中尉−右舷船尾
3:Borts大尉−右舷船尾
4:Young中尉−左舷中央
5:Luther中尉−前方右舷
6:Bisonhuth中尉−中央
7:Carlen中尉−右舷中央
8:McPhie中尉−右舷船尾

 1つのグループは非常に正確な急降下爆撃を行った。5個の爆弾は直径100フィート(30m)の円内に落ちたように見えた。それは甲板の幅の半分ほどである。その2、3個は左舷の甲板に命中し、他は非常に近い至近弾であった。命中と爆発は敵空母を右舷側に急傾斜させ、船首を東に揺らした。

 ヘルダイバーのクルーは、彼らが攻撃した時点ではこの空母が未損傷であり、「・・・高速で激しく機動した。」と報告した。彼らの目標は、爆弾が次々投下される間に速度を落とし始め、SB2C-3が離脱したときには「・・・猛烈に炎上し、船尾から沈没し始めた。その速度は非常に低下した。」

 ヘルダイバーのフライトリーダーであったJohn H. Finrow大尉はこの攻撃で「戦闘中行方不明」となった。僚機の報告によれば、大尉は14,000フィート(4,260m)でのダイブの開始時に爆弾倉ドアが開かなかった。彼は約5,000フィート(1,500m)という高い高度から引き起こしたが、それが目撃された最後で、通常の投下高度へと降下している僚機の視界から消えた。ヘルダイバーが着水したという別の報告はあったが、Finrow大尉と銃手のH.E.Borjaが救出されることはなかった。

 さらなる犠牲は最後に急降下したSB2C-3のD.A.McPhie中尉であった。攻撃中、彼は2,000フィート(600m)で爆弾を投下したが、彼の機体は左翼に弾を受け、それはフラップとエルロンを吹き飛ばし、彼は引き起こすことが出来なかった。彼の上方にいたCACと後方にいたアベンジャーのパイロットは、ヘルダイバーが真っ直ぐ海に突っ込んだのを目撃し、彼は後席のR.D.Chandlerとも死亡した。

 第2次攻撃は08:22に開始された。VB-13は6機のSB2C-3で、うち3機は1,000ポンドSAP爆弾1発、残る3機は1,000ポンドAP爆弾2発を携行し、同様に1,000ポンドSAP爆弾を装備した3機のTBM-1Cアベンジャーがガイドボマーとして随行した。彼らは08:02に発艦、09:05に出発し、VB-13のCOであるL.C.French少佐が攻撃隊の指揮官であった。VB-13は空母Enterprise、軽空母Belleau Woodと軽空母San Jacintoの航空機と合流した。目標までの距離は往路135マイル(217km)であった。

 彼らは10:05に日本艦隊に到達した。本来の目標はターゲット・コーディネーターによって割り当てられていた戦艦の1つであったが、彼は無傷で25から30ノットで航行している空母に目標を変更した。「千歳」と思われる空母は北西に向かっていた。指揮官からの視界は50%雲に覆われ、第2分隊が急降下する角度からは完全に雲に覆われていた。攻撃の初め、空母は左に旋回し、次に右に振った。

 空母が急な右回避運動を始めたため、空母と随行する艦船により正確なる対空砲の壁が形成された。ヘルダイバーのフライトリーダーK.R.Miller大尉は、南西方向に急降下し、真っ直ぐ向うに引き起こし、目標の15マイル(24km)南西で再集合した。SB2C-3は南から北へ目標に接近した。それは、10,000フィート(3,000m)からで、後続の航空機がわずか2から5秒という狭い間隔であり、「・・・正確さが妨げられた・・・」という雲に覆われたため、進入角度は45度、速度300ノット、爆弾投下は3,000フィート(900m)、引き起こしは2,500フィート(760m)であった。全てのヘルダイバーは船の横桁(ビーム)近くに急降下した。

 VB-13のパイロット達は、この空母への攻撃で3発の命中弾と3発の至近弾を挙げた。これらは少なくとも3名のパイロットや銃手、引き起こし中の後続の機体からの写真によって確認された。これらの命中弾は、その後の空母の沈没に貢献するものであった。

1:K.R.Miller大尉−右舷船尾から約150フィート
2:Riley中尉−Millerの直ぐ後方
3:Cole中尉−中央前方

 船尾の2発は「・・・すごい爆発と濃い黒煙」を引き起こした。同様に、全て船から50フィート以内の至近弾により、空母はひどく損傷した。これらは、Harding中尉、Heizer中尉、Barksdale中尉によるものであった。

 その後の再集合は迅速に行われた。SB2C-3が急降下から引き起こすとき、敵の3機の隼戦闘機による戦意の低い攻撃を受けた。それは効果的でない一連射だけで、どのヘルダイバーにも命中しなかった。グループが10:15に離脱したとき、空母は「・・・主として後部がひどく炎上し、小さい航跡が視認された。」 11:30に別のグループから目標が航行不能という報告が届き、後にそれが沈没したことが確認された。

 第3次と第4次の攻撃が続いた。その日最後となる第4次は、VB-13の6機のSB2C-3と4機のアベンジャー、8機のヘルキャットで、VF-13のC.O.であるW.N.Coleman中佐が指揮をした。彼らは13:28に発艦し、出発前にEnterpriseの航空群と合流した。途中、敵戦闘機には会わなかった。対空砲の射程外でヘルダイバーは円を描いて旋回し、コーディネーターの指示を待った。そして幾度もの攻撃で傷ついた軽空母に向かい、二手に分かれ接近した。空母はその攻撃の時点ではほとんど速力がなく、2番手がダイブしたときには航行不能となった。すでに船尾側にひどく傾き、船体から煙が出ていた。以前の攻撃から発生していた上部甲板の火災の大部分は消火されていた。「・・・しかし、船は明らかに沈没する状態で、退避していた。」

 日本艦の防御砲火は「・・・激しく、正確な・・・」と記述された。「日本戦艦は、退却していく航空機へ、主砲の一斉射撃を行い、それは5,000から6,000フィートで非常な正確さで爆裂した」と報告された。空母からは防御砲火はなく、また回避行動の能力がなかった。しかし「・・・激しい砲火を近くのBB(戦艦)とCA(重巡)から受けた。」

 Kehoe中尉に率いられたVB-13の2番手は、「・・・エア・コーディネーターの指示に従い」沈み行く空母に最初の急降下を始めた。一方、Wood大尉に率いられた1番手は、命令を待ってその15分後に急降下した。その間2番手は集合地点で旋回し、1番手と合流すると、その後は無事に空母Franklinに戻った。

 ヘルダイバーはこの攻撃で命中弾1発、至近弾3発の戦果を上げた。命中弾はV.L.Miller中尉によるもので、爆弾は中央右舷側面、飛行甲板下、喫水線の上であり、2名のパイロットと写真で確認された。至近弾は以下のとおり。

1:Kehoe大尉−左舷船首
2:Howard中尉−左舷ビーム
3:Garrett中尉−右舷クォーター

AP爆弾の1つが極至近弾であった。「・・・しかし徹甲爆弾のため効果は軽微であったと思われる。」【その4へ続く】




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まだ組み立ては続く。



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