ヘルダイバー製作記 その3

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ひと区切り。



 続々、組み立て 5/29追加




■ ちまちま作業

 製作開始から、はや半年。途中の引っ越しで1ヶ月、SHS用のシーファイアで半月のロスがあったものの、ちと長過ぎで、少々飽きてきた。通常のペースは3ヶ月で1機なのに、まだ塗装にも入っていない。とにかく早く塗装工程に入ってモチベーションを上げないと、作っていても楽しくないし、製作ペースが上がらない。とはいえ、キャノピ接着〜塗装までには、まだ細かい作業が結構残っている。以下、作るのも読むのもツライ部分がだらだらと続くのだあ。

 まずは防弾ガラス。適当な厚さの透明プラが手元になく、CDケースから切り出す(P-47レイザーバック参照)。少々厚いので、薄く削ってから磨く。磨くと表面に微細なウネリが生じて、像の歪みが出来るが仕方ない。幅は写真から割り出し6mmとする。

 その取り付け方法がまた悩ましい。モデルではウインドシールドのガラスの厚みがあるため、どうしたって実機通りとはならない。一番目立つ防弾ガラスの角度を最優先とし、後は妥協する。たとえば基部とグレアシールドとの取り合い関係も少々違うが、この際無視。フレームとガラスの境はスジ彫りせず、セロテープでマスキングしてナイフで切るのみ。

 ヒートプレスしたウインドシールドや操縦席キャノピは縁が厚い。いつものように縁を階段状に薄く削る。これは、まず縁を斜めに削ってから、斜めの面に三角刀を当てるとやりやすい。(←下手な文章で解りづらいけど。)

 タートルデッキ上部の小窓は、幅が胴体部と合わない。クリアパーツが狭いのだ。幸い頂部に縦にフレームが入るので、2つのパーツを切って左右接着、磨いてから接着線を隠すようにフレームを取り付ける。このフレームがなければヒートプレスだったところ。



防弾ガラスをCDケースから自作。ウインドシールドの縁を薄く削る。

このとおりクリアパーツの幅が狭い。2つのパーツを切ってつなぐ。


 アンテナ柱は2mm真鍮棒を削る。基部はキットパーツだが、形が変なので、削って修正。柱の取り付け強度を確保するため、胴体裏側にもプラ板を接着しておき、真鍮棒を深く差し込む。
 機首下面のオイルクーラー・エアアウトレットは別キットから切り出し接着。折角なのでキットとは開く角度を変え、閉じ気味に。中央の隙間はプラ板の小片で塞ぐ。エレベータのヒンジもプラ材で接着。



アンテナは、真鍮棒をピンバイスにくわえて金ヤスリでゴリゴリ。

アウトレットの扉はもう1つのパーツから。テープでとめているのは破損防止のための小片。



■ 主翼スラット

 以前、「主翼スラットはBF109などと同じく気流で開閉するのかも」と書いたが、その後、「スラットは主脚と連動で、一部のSB2C-5が地上で閉じているのは、スラット自体が廃止になったのではないか?」という情報をいただいた。写真をよく見ると、-4でも閉じているのがあり、詳細不明。さらなる情報求む。


■ レイテ湾沖海戦(その4) 


栗田艦隊の重量級

 米軍の圧倒的な勝利となった10月25日、この日に活動した多くのヘルダイバー部隊の中に、J.D.Blitch中佐に率いられ、空母Wasp(CV-18)から作戦しているVB-14(第14爆撃飛行隊)があった。日本空母はLuzon《ルソン島:首都マニラがあるフィリピン北部の島》の北東にいることが分っていた。09:30、2つの飛行隊のパイロットが、Waspの北西350マイル(560km)にいる敵を発見した。それらは既に他の空母航空隊の攻撃を受けていた。米空母軍は甲板に攻撃隊を準備し、全速力で北西に向かった。

 ところが、強力な日本戦艦と巡洋艦が、後方の無防備なSan Bernardino海峡《ルソン島とSamar島(サマール島;ルソン島とレイテ島の間にある)との間にある海峡》を突破し、Samarの護衛空母数隻を攻撃しているという連絡が入った。Halsey大将は栗田の騙し討ちに引っかかったのだ。逃走する敵空母を叩く計画は、即座に放棄された。

 この絶望的状況を挽回するため、急ぎ進路を南西に反転し、攻撃隊を目標に向ける命令が発せられた。それは、敵空母の木製甲板を攻撃するための爆弾を、戦艦の厚い装甲デッキを貫通するための爆弾に取り替える時間がない程であった。

 その朝、Blitch中佐に率いられたSB2C-3の4機編隊からなる2隊が、10:35から10:41の間に発艦した。4機は1,000ポンドGP弾1発と250ポンドGP弾1発、残る4機は1,000ポンドSAP弾1発と250ポンドGP弾1発であった。翼下爆弾が1発である理由は、増加燃料タンク1つを下げているからであった。目標までは発艦の時点で300マイル(480km)以上の距離があったが、フィリピン海の戦いにおいて、これは往復には長すぎることが分っていた。彼らは6機のTBMアベンジャーと護衛の15機のF6Fヘルキャットと合流した。命令は極めて簡単であった。「日本艦隊を攻撃せよ。」

 目標地点の天候は悪く、途中数回、嵐を迂回した。13:20、北緯11度20分、東経125度50分、Samar島の東海岸を15ノットで北方に航行する日本艦隊に到達した。信じ難いことだが、栗田艦隊は、勝利と判断して攻撃を終了し、退却していたのだ。13:30、目標まで12マイルほど北西で、編隊は5、6機の日本戦闘機、零戦か隼の迎撃を受けたが、ヘルキャットが追い払った。

 日本艦隊は4隻の戦艦(大和、金剛級2隻、長門)、6隻の重巡洋艦、1隻の軽巡洋艦、13隻の駆逐艦で、戦艦は大和を2列目にした互い違いの縦列で、その周囲は、内側を巡洋艦が、駆逐艦が外側を取り囲んでいた。ヘルダイバーは戦艦から10マイルの距離から爆撃コースに入った。敵の火力を分散するため、5機が大和を、残り3機が金剛級を左舷から攻撃した。一方、日本艦隊は90度旋回して090度に進路を向けた。その時点で東に向かっているヘルダイバーの編隊の最初の接近で、こんどは艦隊は右舷側へ270度旋回した。その時点ではヘルダイバーは南西から横転し、艦隊は再び北を向いた。

 VB-14は北東から接近し、艦隊の南側へ旋回し、そして11,000フィート(3,350m)から横転し、北東へ急降下するため、180度反転した。この風上への急降下は、敵艦隊の前方と左舷側の一部が広い雲の層に覆われたためであった。「ヘルダイバーが艦隊の東を通過したとき、重対空砲が正確かつ激しく撃ち始めた。その大部分は巡洋艦からであった。中、軽火器が加わり、それは退避して射程外に至るまで続いた。」 3機のSB2C-3が撃たれ、1機は撃墜され2機は重大損傷であった。

 ヘルダイバーが急降下攻撃を開始したとき、敵艦隊はまだ部分的に雲の下にあり、攻撃の最後尾の機体は、「・・・視界を失わずに望ましい急角度をとることが不可能だった。」 そのため2機は投下地点まで雲の中を通り、うまく攻撃できなかった。最後尾のSmith中尉が操縦桿を押し倒したとき、彼の目標である金剛級戦艦は雲の下にいた。そこで彼は代わりにはっきり見える重巡洋艦の左舷に急降下した。彼の銃手は、爆弾1発が中央に命中し、多量の火炎が上がったと報じた。他の2名のパイロットが彼の命中とそれに続く火炎を確認しており、重巡は重大損傷とみなされた。

 その攻撃で「大和」はただ1発の「軽度の直撃弾」(slight hit)か極至近弾だけであった。Laz中尉の爆弾は戦艦のファンテイル《船尾の張出部》左舷の至近距離で爆発したと報告された。1名のパイロットは主爆弾を投下できなかった。Blitch中佐の爆弾は同じ場所で爆発した。Lewis大尉とDoane中尉は50から75フィート(15から23m)のミスであった。

 ヘルダイバーは、「・・・激しい対空砲火の中、引き起こして艦隊の北東の集合地点へ退避した。」 彼らは、目標周囲の艦の上を避けて飛んだため、かなり広く散らばっていた。雲量8/10の雲は、爆撃の邪魔となったが、退避するヘルダイバーにとって必要以上の防御となり、「急激な回避機動や雲のため、結果の観測が妨げられた。」 Blitch中佐とDoane中尉の2機が、退却の途中で複数の駆逐艦を発見し、それらを果敢に銃撃した。Doane中尉のヘルダイバーが駆逐艦から撃たれた。Bu No.18962に搭乗したH.J.Welker大尉は、大和攻撃の第1隊(division)の第2分隊(section)を指揮していたが、攻撃後は目撃も無電もなく、銃手N.A.Iorioとともに撃墜された可能性と報告された。

 帰還の距離は、機動部隊が全速力で迎えにきたため280マイル(450km)であった。Berg中尉のヘルダイバーの損傷したエンジンは、繰り返し炎を吹き、「10分に1回くらい大きな暴発が起き、少したつとおさまった。困難な仕事であったが、彼はなんとか戻って安全に着艦し、」パイロットの技術とSB2Cの強さを実証した。

◆   ◆   ◆


 翌日、VB-14は、残る栗田艦隊へさらに激しい攻撃を加えた。艦隊は、San Bernardino海峡を通って西方へ退却していると考えられた。捜索機は既に出ており、Mindoro島の東海岸のどこかに必ずいる敵を目指し、VB-14の4機のヘルダイバーが26日06:08に離艦した。3機のSB2C-3は1,000ポンドSAP1発を腹に、250ポンドGP弾1発と燃料タンク1つを翼に下げ、もう1機のSBW-3《Canadian Car and Foundry社製ヘルダイバー》は1,000ポンドGP弾と250ポンド爆弾と燃料タンクを翼に下げ、再び往路310マイル(500km)、復路290マイル(470km)の攻撃を予定した。直後にSkaggs中尉がプロペラ故障で引き返した。

 彼らはA.L.Downing少佐に率いられ、少佐は他の部隊からの全ての航空機の攻撃指揮を執った。少佐は敵艦隊の捜索を開始した。まず始めにMindoro島の北部を通過した。ここで本隊からはぐれた2つのグループ、1つは軽巡もしくは駆逐艦1隻、もう1つは重巡を発見した。

 Downing少佐は主艦隊を発見したかったが、既に空母から300マイル離れており、航続力の限界前に発見できる確証がなかった。そこで彼は攻撃隊をそれぞれ2つの目標艦に分けた。さらに次の攻撃機会に備え、空母HornetのVB-12の編隊を分割した。不運にも、この命令は誤解され、全てのHornetのヘルダイバーが攻撃に参加してしまった。これにより、後の主艦隊の攻撃にはWaspの3機のヘルダイバーだけが残った。両艦は重大損傷となり続いて沈没した。犠牲になったのは軽巡「能代」と駆逐艦「早霜」であった。

 巡洋艦と接触した後ほどなく、ついに捜索機が栗田艦隊の本体をつきとめ、そのVHF報告が受信された。敵はTablas海峡の南端を通過し南に向かっていた。まもなく、攻撃隊が海峡を北から飛行すると、日本艦隊がPanayの西海岸に目撃された。艦隊は3隻の戦艦、4隻の重巡洋艦、1隻の軽巡洋艦、7から9隻の駆逐艦であり、発見時には180度舵をきり15ノットで航行していた。

 VB-14はこの艦隊と平行に西方へ通過し、Downing少佐は各攻撃隊に目標を指示した。そして、彼はVB-14を率いて駆逐艦の列を越え、風に向かい太陽を背に、敵の斜め左舷12,000フィート(3,650m)と推定される位置につけた。3機のヘルダイバーが駆逐艦を越えたとき、対空砲が激しく撃ち始めた。彼らが太陽の中に入ると、砲撃は止んだ。

 攻撃軍の残る力の全ては大和の攻撃に充てられた。それはVB-14の3機のヘルダイバーと、Wasp(8機)とCowpens(CVL-25)(5機)の13機のアベンジャー雷撃機、そして彼らの侵入を助けるために駆逐艦を銃撃した護衛の4機のヘルキャットであった。ヘルダイバーはおよそ060度の真方位《機首の方向を表し、北を0度として時計回りに360度までの角度で表される》から11,000フィート(3,350m)で横転し、明らかに編隊は意表をつくことに成功した。彼らが十分に急降下するまで、対空火器は再び射撃を再開せず、攻撃が始まるまで敵艦は右旋回しなかった。これは3機のヘルダイバーにとって、良い爆撃コンディションであった。そして彼らは正統な急降下爆撃を実施した。それは、ほとんど直に風下に、巨大な戦艦の長さいっぱいというものであった。急降下角度は75度という急角度で、結果は「・・・素晴らしかった」。

 射撃再開が遅れた対空砲であったが、まもなく「・・・全ての火器から激しく撃たれた。大和の8インチ副砲は2つの目的があるようで、それは明らかに雷撃機を直接狙っていた。」

 Downing少佐自身は1,800フィート(550m)で投下し、Ohm《階級不明》は2,500フィート(760m)であった。Rearden少尉は投下前1,500フィート(460m)まで降下続け、命中を期した。その引き換えに「・・・おそらく20mmAA(対空砲)により、左翼のエルロンヒンジの部分に大きな穴があいた。」 それは瞬間彼を心配させたが、引き起こしに成功し、無事に戻った。Downing少佐の搭乗員Carverは、「・・・着目すべき写真・・・」を撮影した。それは彼のパイロットの命中と、Reardon少尉の命中を示すものであった。「2番目に急降下したOhmが命中させた可能性は、かなり高い。しかし「VBの3人全てが命中させた」という2人のVT(戦闘機隊)パイロットの話以上の確証はなかった。

 彼らは、急激な回避運動により、南西方向に退避した。最後の米軍機が去ったとき、右舷へ約90度旋回していた日本艦隊はさらに180度まで旋回していた。大和は命中箇所から煙を出していたが、速度は落ちてなかった。

 再集合した後、全ての飛行機が空母に向かった。そこでさらなるボーナスがあった。彼らがBurias島の南端に接近したとき、単機の零式水上偵察機が2,000フィート(600m)でNabasagan海岸から3マイル(5km)の位置にいるのを発見した。最初に発見したとき、零式水上偵察機はDowning少佐の左舷前方やや下方にいた。少佐はヘルダイバーを旋回させ、すぐさま敵に接近し、300ヤードから最初の20mmの30弾を撃った。それは目標の翼の付け根とコクピットに命中し、零式水偵は爆発炎上、墜落し、驚いたパイロットが脱出した。Reardon少尉の後席員Landinoはこの出来事の一連の写真を撮影した。

 彼らはようやくWaspに戻った。燃料を節約していたが、Reardon少尉の機体は、翼タンクからの吸い込みがなく、着陸したときタンクには5ガロン(23リットル)の燃料しか残っていなかった。【その5へ続く】


■ キャノピ接着 6/14追加

 いよいよ、風防と中央部キャノピを接着する。風防と胴体の合わせは、実はそれほど厳密に摺り合わせしてなかったのだが、いざ接着してみるとほぼピッタリで、一安心。風防下端部は0.2mmプラ板。  製作当初の予定では、パイロット可動キャノピは開閉選択式にするつもりであったが、部品の精度が伴わず、閉めた状態では風防とキャノピが面一とならない。無理に調整すると風防&キャノピの形が崩れるので、やむなく開位置デフォルトとする。

 開位置デフォルトにはもう1つ理由がある。中央部キャノピ自体の完成度が低く、スライド部で隠す必要これありなのだ。具体的にいうと、一部の窓枠に○リベットを打った結果、クリアパーツにクラックが入ったのだ。幸い、スライドキャノピで巧く隠れる場所ではある。皆さんもクリアパーツに「たまぐり」打つときは注意しよう。というか打たない方がいいぞ。



中央部キャノピ完成の状態。筒状のパーツ(救命ボート入れ)は、見えない位置でしっかり接着。

風防接着。側面斜めの窓枠と防弾ガラスの枠が平行になるのがポイント。



■ 細部

 全体塗装前に済ませておきたい細部工作が若干残っている。まず、脚収容部にパイピング。材料はエバーグリーンのプラ棒と0.3mm糸はんだ。ジョイント部は、プラ製の綿棒の軸を伸ばしランナーのように伸ばしたもの。輪切りにすると細いプラパイプができあがる。これはいろいろな所で使えるね。綿棒買うときは軸で選ぼう。

 機首アクセスパネルとタートルデッキ部にはピアノヒンジを伸ばしランナーで再現する。断面を半円形に削ってから流し込み系で接着。十分乾燥後にエッチングノコで切れ目を入れるが、接着が不十分な箇所が取れて、一部やり直し。でも接着剤をつけすぎるとランナーが溶けてしまうので、加減が難しいところ。
 スライドキャノピのレールは0.2mmプラ板の細切り。これも完成後に取れぬよう、しっかり接着だ。



脚庫には、目立つパイピングだけでも再現する。

見づらいが、風防下端に台形の小片を0.2mmプラ板で追加。キャノピレールも0.2mmプラ板細切り。

ヒンジやらキャノピレールやらを追加。写真はマスキングまで終了した状態。

ようやく1回目のサフ吹き。ひと区切りだ。



■ レイテ湾沖海戦(その5) 

 長々とアップしてきたが、いよいよ最終章。改めてこの海戦で戦死した日米将兵のご冥福をお祈りし、Crowoodからダッシュ・スリーの戦歴の紹介を終えたい。


最後の追撃

 別の攻撃隊、VB-14のWalls大尉に率いられた8機のSB2C-3が、08:29に空母Waspを発った。6機は1,000ポンドAP爆弾1つ、残りは1,000ポンドGP爆弾1つを携行し、さらに各機は翼に250ポンドGP爆弾と燃料タンクを下げていた。6機のTBMアベンジャーと護衛の8機のF6F-5ヘルキャットが随行した。それらは早朝目撃された「・・・散開して逃走中、あるいは被弾した、多くの敵部隊・・・」という目標を発見すべく、Visayans諸島《ビサヤ諸島:フィリピン中部の群島;Leyte, Panay, Cebu, Negros島を含む》西方に派遣された。

 攻撃隊がBuriasとMindoro諸島の間の開水域を横切ると、未確認の艦艇が認められた。「・・・おそらく駆逐艦・・・」しかし「・・・ビッグゲームを求めて・・・」彼らはそれを無視した。南西に転回しSemirara諸島の近傍に到着した。ここでPanay諸島Pucio岬の数10マイル南西に、航行不能の大型戦艦を発見した。さらにその数10マイル北方を「・・・見たところ無傷の・・・」軽巡が北西に15〜20ノットで航行していた。無線封鎖が解除され、指揮官は隊の一部にこの艦への攻撃を命じた。アベンジャーは残燃料を心配しており、「・・・急いでいた。そして『何か』を攻撃して戻る必要があった。その結果として命令の誤認となり、全ての攻撃機がこの軽巡と思われる艦艇を攻撃した」。これは写真では駆逐艦、おそらく「不知火」であった。

 この敵艦には北西から接近し、風下へ急降下するため90度旋回して艦を横切った。艦は北西に進んでおり、実質上全く回避運動をしなかった。3発の至近弾が記録され、船首付近のはKane大尉(左舷)、Forsgren中尉(前方)、Wisnyi中尉(左舷)であった。Starkel中尉とHaggerty中尉は、駆逐艦がTablas海峡を南進したときに追撃したが、結果は観測できなかった。退避の際、艦は「・・・たっぷりの対空砲火を撃った・・・」しかし命中したヘルダイバーはなかった。艦の船首が吹き飛ばされたにもかかわらず、艦はほんのわずか速度を低下しただけで航行し続けた(艦は翌日沈んだ)。帰還の途中は何事もなかった。

 最後の攻撃の1つは、その日、再びDowning少佐に率いられ、同海域の同種類の目標に向かったVB-14によるものであった。12:35、1,000ポンドAP1発と250ポンドGP1発を装備した8機のSB2C-3が離艦した。5機のTBMアベンジャーと11機のF6Fヘルキャット戦闘機のトップカバーがついた。敵艦は、機動部隊から300マイル離れMindoro島の付近にいると報告された。ヘルダイバーは、往路9,000フィート(2,750m)に上昇し、いつものように「・・・雲の状態によって進路と高度の数回の迂回をしながら・・・」飛行した。彼らはMindoro島の北東まで真っすぐに探索し、効果的に探すため3,000フィート(900m)に降下して戻ることを決めた。北には何も見えなかった。しかしTablas海峡に戻ると、彼らはIlin島のMangsoagui岬の南西にいる敵駆逐艦の5艦編隊(のちに3艦と訂正された)を発見した。これらの艦船はヘルダイバーが分担し、攻撃の進路に上昇を始めた。敵戦闘機が雷撃機を攻撃したが、すぐにヘルキャットが応戦した。1機のF6Fに駆逐艦の対空砲火が命中した。

 雲が8,500(2,590m)フィートだったため、8,000フィート(2,440m)に達するとSB2C-3は水平になった。彼らは最初、西から接近し、V字編隊の敵駆逐艦は北西から西に進路を変えた。Downing少佐は、先頭の駆逐艦の北側を反対方向へ通過し、そして右にロールして風下に060の角度で急降下した。これはよいアプローチとなったのだが、彼の1,000ポンド爆弾は「引っかかって」しまった。VB-14の不運は続いた。「不運にも、大部分の機は彼の戦術に倣うのに失敗した」。そして目標を超えて飛び、引き返して風下に急降下する代わりに、彼らはDowning少佐がロールしたとき、西から風上か横風で他の駆逐艦へ急降下した。

 駆逐艦は「・・・おそらく「不知火」または「高波」級・・・」と報告された。それらは今や急旋回を開始し、「・・・従って、船の軸と急降下方向の関係がちぐはぐとなった。」 その結果、不正確な攻撃となり、Elway中尉1人が左翼の駆逐艦に命中しただけだった。彼の爆弾は左舷船首を打撃したが、他のAP弾は、20、50、75フィート(6,15,23m)以内に落ち、損傷は「疑わしい」と報告された。再び、Brown中尉の主爆弾が「引っかかった」。Berg中尉と彼の後席員は、引き起こしの際、北側の駆逐艦を銃撃し、左舷に旋回し、先頭の駆逐艦を銃撃し、目標の南西の再集合地点に退避した。攻撃が終わったとき、駆逐艦は再び北西方向へ進路を取った。そして、「・・・命中した1隻から煙が出ていたが、どの艦も速度維持が困難なようではなかった。」

 戦闘の間、全てのヘルダイバーは「艦隊の拳」となってよく働いた。ラジオレーダー装備の性能が彼らを助けた。それは以下のように記録された。
 「性能は非常によかった。この期間において、13機が探索ミッションに出されたが、これらの4機から接敵報告が成功裡に母艦に送られ、これらは距離225マイルから340マイルの範囲であった。これらの報告はATCトランスミッターでなされ、艦の通信部からの報告では、それらはベルのようにクリアに受信された。」
 ある報告では距離150マイル以上のZBXのYEホーミング信号が受信された。別の例では、ミッションから戻った飛行機が空母の位置を見失い、パイロットはとうとう200マイルの距離からVHFで艦のCAPと通信し、艦に戻るために必要な情報を得た。

【以上】


■ 続、主翼スラット 6/15追加

 この件については、去病(きょへい)氏の掲示板で、パイロットでもあるおおいし氏から情報をいただいたので、掲示板ログから関係部分の抜粋を紹介する。ヘルダイバーの飛行特性に関する考察も興味深い。







次は塗装。



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