スピットファイアMk.XIVe製作記 その2
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組み立て(続き) |
■ プロペラ、スピナ 4/8追加 エアのスピナは、先端がもう少し尖ると完璧だが、修正の要は感じない。中程のスジ彫りがぬるいので埋めて少し後方に彫り直す。スピナ後部パーツの穴に2.5mmメッキパイプがピッタリ。スピナ裏側の先端中心にパイプと同径の凹みをバイスでざぐって、メッキパイプを回転軸とぴったり一致させる。これに1.5mmの真鍮パイプをはめる。一方、胴体側には、慎重に位置決めして0.8mmの穴を開け、同径の真鍮線を接着。それに1.2mm真鍮パイプをはめて、スピナの受けとする。よく回るぞ。 この方式だと、バイスの穴が垂直でなくても真鍮線の曲げで対応できる。しかし、胴体の工作が甘く、スピナと段差が生じる。仕方なく胴体側を削って合わせる。特にバルジ部分はマージンが少なく、慎重に作業する。 プロペラブレードはアカデミーを使う。グリフォンのジャブロ・ロートル・プロペラは、複雑な形をしており、角度によって全く異なる形に見える。これはペラの「ねじれ」によるが、幸いアカデミーはこのねじりがうまく再現されている。エアは全体的に貧弱。逆にアカはそのままではあまりにゴツイが、削りシロだと思えばよし。 付け根は、円柱形の基部に滑らかにつながるので、瞬間+アルテコパテのプラ粉を盛る。まず、平面形を整え(付け根にはプラ板を接着しておく)、次に薄く削る。パーツの厚さは、なんと2mm。これでは「飛びそうに見えない」ので半分以下に削る。幅は、付け根から中央付近までは6mm強が正しい。ちまちま削るのはシンドイ作業で、5枚ともなるともうウンザリ。 5枚ペラのブレード形状には2種類があり、先端のブレード幅が異なる。記録写真を見ると、当時の14eでは先端が細いタイプしかない。ただし、レストア機では幅広タイプが装着されている例がある。エアロディティールの各機をよーく見比べてみよう。なお、シーファイアFR47のコントラペラでは幅広タイプとなる。 |
左:アカデミー、中:アカを修正したもの(平面形はこんなもの)、右:エア(細くて長過ぎる)。 |
ご覧のように角度によって形が全然違って見える。まだ完璧ではないが、もう嫌になった。これでよし。 |
■ その他ちまちま 水平尾翼を接着して士の字。ここらで一旦サフを吹き、塗装に向けた仕上げをする。以下、忘備録的記述。銃身スリーブはエアもアカもペケ、ハセIXも完璧とはいえないが、これを使用。基部を延長し、主翼に2.5mmの穴を開けて差し込む。この取り付け方法だと、主翼前縁の形状を納得いくまで修正できる。ハセIXをそのまま組む際にもお薦めしたい方法だ。20mmモーターカノンのバルジは、ウルトラキャストのレジンから切り取る。 カウルのファスナは、「たまぐり」の#6、機銃パネルなどのネジは#2。キャノピは窓枠をスジ彫りし、縁は内側から薄く削り、コンパウンドで磨く。前部風防の縁は脚カバーの縁と同様に、段をつけた形に削る。胴体燃料タンクの給油口まわりの形状は、マーリン型とは若干異なるが、モデルではハセIXの給油口キャップをそのまま使用。カウル上の小インテイクはプラの小片。 |
ハセIXのパーツにエアのパーツを継ぎ足す。そのまま持ち手になるので、整形がラク。 |
切り飛ばしたタブ操作ロッドなどをちまちま工作。ロッドの基部は0.1mmプラペーパー。 |
■ 主翼あれこれ モデルの進捗がぱっとしないので、実機に関する薀蓄話で場つなぎ。まずは主翼から。グリフォンのPR型Mk.XIXの主翼は、マーリンPR型の流れを受け継ぐ基本形に、ラジエータをMk.XIVと同じものに換装したもの。したがってエルロンはIXなどと同じく長スパンタイプ。ただしヒンジラインは直線。面白いのは、主翼前縁に追加された燃料タンクのポンプのため、主翼下面にバルジがあり、その後端は主脚カバーにかかっているのだが、同じように前縁タンクがあるVIIIやXIVなどではバルジが無い。なぜ? また、同じeウイングでもMk.XIVとパッカード・マーリンのXVIとでは異なる。後者はIXベースの設計なので、エルロンは長スパンである。 Mk.XVIIまでのシーファイアの主翼も、長スパンのエルロン。これも、もともとMk.Vベースのシーファイアから進化しているから。 ■ グリフォンスピットの航続距離 スピットファイアは足(航続距離)が短いため、爆撃隊の護衛はP−47やP−51に譲らざるをえず、したがって華々しい戦歴に乏しい、というのが定説だが、調べてみると後期のスピットは燃料携行量が増え、PR型では容量的にはP−51に負けない。もっともマーリンとグリフォンでは排気量も違うので燃費も異なるから単純比較はできない。(マーリン27リッター、グリフォン36.7リッターで36%増し、でも1000ccの車と2000ccの車で燃費2倍かというとそうでもないよね。)護衛から外れたスピット隊は、英国本土から欧州大陸の戦闘掃討を行ったが、スイス国境まで侵入することができたそうである。 次表は、ウォーバード・テックの記述を元にまとめた、グリフォン各型式の燃料容量である。これを見ると、初期型に比べ、飛躍的に燃料容量(=航続距離)が増加していることが分る。後期グリフォンにとって、足が短いという批判は当たらず、パイロットの手記でも「航続距離は何ら問題でなかった」との記述がみられる。 |
型 式 | 機体内部容量 (英gal/リットル) | 最大容量(増槽含) (英gal/リットル) | 備 考 |
Mk.XII | 85/ 390 | 115/ 520 | 胴体タンクのみ |
Mk.XIV | 109/ 500 | 279/1270 | 主翼前縁タンク追加 |
Mk.XVIII | 175/ 800 | 345/1570 | 胴体後部タンク追加 |
PR XIX | 254/1150 | 424/1930 | 主翼弾倉タンク追加 |
参 考 | |||
P-51D | 249/ 940 | 465/1760 | 単位は米gal/リットル |
P-47D | 370/1400 | 590/2230 | 同上 |
P-47N | 570/2160 | 970/3670 | 同上 |
マーリンMk.I〜VI、IXはグリフォンXIIと同じ、マーリンVIIとVIIIはグリフォンXIVと同じである。バブルキャノピのMk.XIVは、キャノピ内に胴体燃料タンクの給油口が見えるので、XVIIIと同じ燃料容量ではないかと考えられる。なお、上の表は、必ずしも厳密でない部分があるので、あくまで参考程度にしていただきたい。単位換算は英gal=4.546L、米gal=3.785Lとし、1Lの位を四捨五入した。 ■ バラスト グリフォンスピットは、マーリンより重たいエンジンを、重心よりさらに遠くにマウントしており、見るからに重量バランスが悪そう。で、重心位置を調整するため、垂直安定板にバラストを仕込んでいる。左舷側にある平行四辺形のパネルが、そのアクセスパネルである。零戦が重量軽減に苦労したことを考えると、なんとも勿体無い話である。飛行機にとって重量増加は性能低下に直結する。例えば旋回半径は重量に比例して大きくなる。今号の世傑(メッサーpart-2)鳥養氏の記事では、最高速度に重量はそれ程影響せず、空気抵抗が支配的と書かれているが、しかし重量が増加すると、それだけ揚力が余分に必要で、そのために迎え角を増やせば同時に抗力(空気抵抗)が増える。その他、上昇力やダッシュ力に悪影響を及ぼすが、それを補って余りあるグリフォンのパワーということだろうか。 重心より後方に重量物を置くなら、増加タンクにすれば航続距離も延びて一石二鳥では?とも思うが(実際追加されているが、さらに大きいのをという意味で)、タンクが空のときの性能や、地上滑走時のことを考えるとバラストという結論になったのだろう。スピットは、主桁の後方に主脚が位置するので、ただでさえ地上でノーズヘビー、下手をすると逆立ちしてしまいそう。Mk.Iから、主脚を改設計するたび前方傾斜角を強めているのもうなずける。 ■ 続、小物 4/16追加 Mk.XIVeはMk.IIDジャイロスコーピック・ガンサイトを装備している。「FLYING LEGENDS」のパイロット手記では、この装着により部隊の撃墜率が一挙2倍になったとある。また世傑P-51Dの記事では撃墜率3倍とも書かれており、いずれにしても特に一般的なパイロットにとって、かなり強力な武器だったことは間違いない。戦争最後期での圧倒的な勝率は、機体性能、パイロットの質とともに照準器が大きな要因だったのではなかろうか。さて、このMk.IIDは、米軍機に搭載されたK-14と基本的に同じ。というか、こちらが本家本元。ということで、手元にあるタミヤのP-47バブルのパーツを使う。不要となる後方のクッションを削り、中心に穴を彫りダイヤルのノブを追加すると、それらしく見える。細部が少々違うが、それは無視。基部はエアロディティールの写真を見ながら、適当にでっちあげる。ガラスはいつもどおり、エッチング計器板のフィルムとカラーネガフィルムの端っこ。 シートはウルトラキャストのレジン。シート本体はベークライトという樹脂製で茶色。手元のRAAFアースブラウンにダークアースでドライブラシ。コクピットが狭いので、防弾板と座席調整レバーを接着すると、コクピットへの装着は知恵の輪だ。 モスキットの排気管は、外からはめ込むために、基部を皮一枚残して切り取る。そのままでは真っ直ぐに揃わない。そこで、プラ板に両面テープを貼った上で、エアの排気管パーツをガイドに形を整え、アルテコ瞬間パテでプラ板を接着する。 |
タミヤのガンサイトは若干オーバーサイズ。狭いスピットのコクピットに装着すると前が見えない程だ。 |
モスキットの排気管を後付けするために知恵を絞る。エアのパーツは形を整えるためのガイド。 |
■ キャノピ いよいよ、塗装前の最後の工程。前方風防は、幅を広げた後部キャノピと幅が合わない。そこで、裾が広がるようにプラ板を挟んで熱湯にちゃぽん。後部キャノピは接着せず開閉選択式とするので、それとセロテープで仮止めした状態で胴体に接着する。こうすれば、後でキャノピを閉めたときにもピッタリとなるだろうというワケ。パイロット頭部後方の造作はXIVとXVIII以降では異なり、前者はシンプルに棒で支持されている。頭部防弾板にハセIXのパーツを使い、あとはプラ材などでちまちま工作。給油口も忘れずに。 |
風防下部には0.1mmプラペーパーでモールドを追加。隙間を溶きパテで埋める。 |
余分なパテを削って、マスキングすれば、いよいよ塗装だ。 |
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考証 |
■ 大戦後のSEACスピット 私にとってバブルのXIVeのイメージはSEAC(東南アジア方面軍)迷彩。ただ、XIVeがアジア戦域に到着したのは第2次大戦終了直前で、大戦に参加したかどうかは微妙である。以下Chaz Bowyer著「Supermarine Spitfire」 (Bison Books社刊)から戦後のSEACスピットファイアの戦歴を抄訳にて引用する。第2次大戦が終結しても、東南アジアのRAF部隊にとって、平和の到来はまだ先であった。従前の仏、蘭、英領植民地は、日本軍が去った後、再び植民地支配を受けることを拒否し、独立への道を選んだからである。そうした武力闘争の過程において、仏領インドシナでは仏軍のスピットLF.IXが戦闘に巻き込まれ、蘭領東インド(現インドネシア)では、RAF155sqnのスピットファイアが、シンガポールに撤退する前に、小規模な戦闘と対地攻撃を行った。 マラヤでは、英植民地支配を転覆させようと、マラヤ共産党がゲリラ戦闘を開始した。1948年5月には、非常事態宣言が発令され、ファイアードッグ作戦(Operation Firedog)と呼ばれる12年間の長い戦いが始まった。その時期には、既に28と60sqnのスピット部隊がマラヤに展開しており、ゲリラの拠点への銃撃やロケット弾による攻撃を開始した。 マラヤの攻撃航空隊を写真偵察任務で支援したのは、モスキートPR.34とスピットPR.XIX装備の81sqnであった。非駐留部隊も時々外部支援を行った。一例は1949年12月19日、HMSトライアンフのシーファイアによるゲリラの要塞への攻撃である。 一方、28sqnのスピットは、香港の英植民地を包囲せんとする中国共産党を警戒するため、1949年香港啓徳(カイタック)に移動し、スピットF.24を装備しドイツから新参した80sqnと合流した。 1950年12月、シンガポールの60sqnに、6機のヴァンパイアF5が配備され、戦闘機型スピットファイアの運用は、翌年1月で終了した。その後も残った81sqnのPR.XIXであるが、これも1954年4月でその運用を終えた。 ■ SAEC塗装の考察 4/25追加 塗装&マーキングの決定で随分悩むが、マラヤにおける28sqnのダークグリーン/ダークアース迷彩に決定する。それに至る思考過程も含め、SEACのXIVの塗装について考えを整理する。とにかく私のイメージはダークグリーン/ダークアース迷彩に白帯小ラウンデルというもの。手元のBowyer本の28sqnの写真もこんな感じで、モデルには絶対ダークアースを塗りたい!と思っていた。ところが、その後28sqnの他機の写真や17sqnを見ると、オーシャングレイ迷彩のように見え(写真キャプションには「温帯迷彩」との記述)、混乱が始まる。手元のダークアースと思ってたやつも、よく見ると迷彩パターンが変だし・・・ これらアジアで使用された機体は、オーシャングレイ/ダークグリーン/ミディアム・シーグレイに標準サイズのラウンデルとスカイ帯の欧州方面向け塗装で工場を出た、というところまでは確度が高く、その一部(または全部)がインドにあるデポに送られ(参考文献にもそういった記述がある)、ここでSEACタイプの小ラウンデルに再塗装されて現地部隊に送られた。 問題は再塗装時にオーシャングレイがそのまま残されたか、ダークアースで上塗りされたかで、結論をいうと両方のケースがあったと考えられる。17sqnや28sqnで、標準ラウンデルをダークグリーンで丸くオーバーペイントした機体、これらは白黒写真の明度差からもオーシャングレイのままと考えられる。 一方で、その痕跡がないものは2色を使って丁寧に塗り直されたことになるが、その場合SEAC迷彩色に規定されたダークアース/ダークグリーンが使われたとしてもおかしくない。白黒写真の明度コントラストはあてにならない場合が多いが、両色の明度差が近い場合、この可能性が高い。 さて、ここで28sqnのコードレター「H」の写真。両色の明度差が近く、ダークアースのように見えるが、一方キャノピ周辺のほうが明るく、どうも迷彩パターンがイレギュラーである。悩むこと数日、ある考えが頭に浮かぶ。「この写真、RAFお得意のオルソフィルムで撮影されたのでは?」。 他のオルソで撮影されたダークアース迷彩のスピットの写真を見ると、ダークアースとダークグリーンの明度差がほとんど無いか、逆転しており、また青と赤の明度差も逆転、また黄色が黒く写る。これを例の写真にあてはめれば、通常パターンのダークアース/ダークグリーンに見えてくる。ペラの黄色が写ってないことや、ダルブルーの色調などもオルソっぽい。 さらに、ここで当HPのサンダーボルトIIの塗装考証の項を参照いただきたい。インドのデポで使われた現地調達ペイントは、色調にバラツキがあり、また特に退色しやすいダークアースは「紫がかった汚れた灰色」となったそうである。 標準ラウンデルを塗りつぶした跡が周囲と異なる明度に写っているのは、この印度ペンキの成せるワザと考えられる。また、一見オーシャングレイに見える塗装も、退色したダークアースかも知れない。ダークアース迷彩のサンダーボルトの2色の明度差は結構大きいのだ。 いずれの場合も、下面は工場オリジナルのミディアム・シーグレイのままで、下面を写した写真では、ラウンデルを印度ペンキで塗りつぶした痕跡が残っている。また、胴体後部のスカイの帯も塗りつぶされているわけで、28sqnで白いシリアルと黒いシリアルの機体が混在するのは、この作業工程と関係がありそうだ。このスカイの帯がそのまま残されている部隊もある。ただし、主翼前縁の黄色は工場塗装ではないようで、「温帯迷彩」機を見ても塗りつぶした痕跡は見られない。 また、ぜは何故2種類の迷彩が存在するのか?という疑問には答えがない。28sqnなど、同一部隊で色違いがあるのだ。納入時期かルートの違いだろうか。今後のさらなる研究が待たれる。 ■ 28sqnのグリフォンたち 私は所有してないが「Eyes for the Phoenix 」Geoffrey J. Thomas著、 '99、HIKOKI Publication社刊に、28sqnのMk.XIVの写真が残されている。各機の塗装&マーキングはバラバラで興味深い(悩ましい?)。以下、製作メモ。
■ 補足、SEACスピット部隊史 4/28追加 上記に加え、RAFのHPにあるSEACスピットの記述や、各スコードロンの歴史などから、戦後のSEACスピット各部隊の足跡を補足追加する。調べ始めると結構面白く、戦後アジアでスピット達がどう配置されていたか概ね把握できる。なお、知りうる限り記載したが、洩れがあるやもしれず、念のため。しかし、私もヒマだなあ。
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塗装 |
■ 補足、細部 アカデミーの前方風防は、枠のモールドに一部ミスがあるが、作品はそのまま。サフを吹くたびアラが見つかり、いつまでたっても本塗装に入れない。脚まわりは、尾脚含め全てハセIXのパーツを使う。主脚はMk.IXと同様に1mm強長さを詰める。今回はオレオ部で短縮。キットのトルクリンクは延びきった状態なので、曲げを強める。実機の主脚カバーは、外側にふくらんだ形状をしている。主脚の線でパーツを折り曲げることで、ふくらんだように見せるが、完全には再現しきれていない。ラジエータといい、今回下側は妥協だらけ。反省。 ■ 塗装作業 いよいよ、本番塗装だ。ミディアム・シーグレイはIXで使ったもの(明度を上げ、青味を加えている)とビン生とを半々に混ぜる。ダークアースはスピットIIやサンダーボルトIIと同様(黄色2割+黒少々)、ダークグリーンはビン生。下地塗装はいつものとおり。サフでしっかりした塗膜を作り、#2000ペーパーで平滑に磨くのと、エッジなどに銀を吹き光が透けるのを防ぐのがポイント(この銀吹きのせいで後で泣きを見るのだが)。次に色を載せる。下面から吹き始め、フリーハンドで上面迷彩を吹き、下塗りとする。塗料は薄く希釈する。ここで再度ペーパーがけ。 |
下塗りまで終了。白黒写真(オルソでないやつ)の印象で上面2色の明度差を近づける。 |
■ 再び(またか)主翼 5/10追加 塗装に入ったところで、考証ミスに気付く。XIVの主翼には、タイアをクリアするバルジがない。正確にいうと、ハセIXのタイヤ上面にある大きなバルジはなく、細長いバルジがハセIXとは違う位置にある。これは「生きている」XIVeの証拠写真で確認できるる。翼付け根付近の極小バルジについては、記録写真では確証がないが、レストア機では「なし」なので、これも「なし」。また、バルジ後方のパネルラインも「なし」と考えられる。気になって他の形式についても調べる。最後期型のIXとその系列のXVIはハセガワIXのキットどおり。大戦中の大部分のIX(同時期のXVIも同じか?)は「なし」(詳細は後述する)。PR型XI、XIXは細長バルジ含め「全くなし」。VIIIも「全くなし」で、これは生きているVIIIの証拠写真(クーカバラ本やEthellカラー本)で確認できる。ハセガワVIIIを作る人は、バルジを削る作業が必要となる(あわせてエルロンも短く)。モデルアート別冊の図面でも「あり」になっているので間違えた人も多いかも。VIIはVIIIの類推で「なし」としてよいだろう。 主翼の基本構造には、Mk.IからV、IX、XVIと続く系列、VII、VIII、XIVと続く系列、さらにはPR系列とシーファイア系列の4系列があり、それらはそれぞれかなり差異があることがわかる。脚出表示棒はI〜IX、XVI系列にあり、他のスピット系列は「なし」。シーファイアの現存機ではXV「なし」XVII〜47「あり」(47の位置は異なる)。 不明なのはXVIIIで、主翼がさらに改設計されたとされているが、バルジ部が分る実機写真がなく、不明。ただ、レストア機でXIVとされているものの中に、XVIIIが混ざっているのでは?という疑念もこれあり(ラダーがXVIIIの大型になっているものが多数あるので。XVIIIは部隊配備されずにストックされた機体がかなりあるそうだから、現存機として残っている可能性も大)。そうだとすれば、バルジに関してはXVIIIもXIVと同じか。 細かいところで、ハセIXには主翼中央下面の航法燈がモールドされているが、XIVは不明。VIII後期〜XIVの両翼下面に航法灯あり。スピットの主翼は、ほんとに難しい。eウイングの7.7mm銃のアクセスパネルと銃口の有無も、いまいち決め手がないまま。 後日追加、主翼バルジ再び 車輪上部のバルジについて、メールを頂いた。それによると、大戦中のIX、XVIにはハセガワにモールドされているような水滴形のバルジはない、バルジが現れるのは最後期生産型であるとのこと。確かにレストア現存機ではバルジがあるが、大戦中の写真を見るとバルジが確認できるものが1つもない。逆にバルジなしのIXが Motorbooks International 社刊の Warbird History Spitfire の38ページにある。この機の全体像は写ってないが、他ページの同隊機は全てIXなのと、エルロンのヒンジラインに凸ありなので、まずIXと見て間違いない。なお、同じ本の92ページの銀色のXVIはバルジ「あり」に見えるが、これがその最後期生産型であろう。 その他の写真は不鮮明なものだが、大戦中のものはやはり「なし」と見るのが妥当である。まあ、数枚の写真が根拠で、本当に100%「なし」なのか、バルジが現れるのはいつからか、など不明であり、「大戦中のIXは全てバルジなし」だと断言できるほどではないが、確度は高いと思っている。併せて、IXでフィレット部の小バルジがないものも確認されたので、参考まで。バルジなしでも脚出指示棒があるものがあったり、ないように見えるのもあったりして、この辺はよく分らない。 ということで、大戦中のIXを作るならば、バルジを削るのが正解。 さらに、詳しくはスピットIa、シーファイア47等の製作記も参照されたし。 |
修正前の状態。細かいことをいうと、2つ並んだ円形パネルの位置も微妙に違う。 |
細長バルジをナイフで切り取り(再利用する)、水滴形バルジを削る。 |
修正後の状態。塗装の境界部分に段差が生じる。下地塗装後にペーパーで丁寧に整形して迷彩塗装。 |
■ マーキングの考察 そろそろ、どの機体にするか決めないといけない。いろいろ考え、コードレター「T」シリアルSM893とする。「H」は垂直尾翼の白帯内にもシリアルが入るが、胴体とは異なる書体のインレタを新たに作る必要があるのでペケ。実機写真はBowyer本に左前方から機体全体が写されたものがある。この写真では迷彩パターンが判然としないが、これまでの考察から通常パターンと推測する。少々パターンがイレギュラーに見えるのは「汚れ」だと信じこむ。本機は胴体下面にIFFアンテナを装備する。これは機体によって有無があるので確認が必要だ。実機写真から、マーキングのサイズを割り出す。主翼の白帯は28in(インチ)、垂直/水平尾翼の白帯は18in。これらはRAFサンダーボルトも同様だ。ラウンデルは16inのBタイプ。フィンフラッシュは12×18in。レターは高さ18in。シリアルは8in。 ■ 続、塗装 SAEC塗装の考察の項で、うだうだ述べた説を模型に再現しよう。標準ラウンデルは塗りつぶされている「はず」である。そこでダークグリーンに黒を混ぜラウンデルと胴体帯の上塗りを表現する。しかる後にダークアース部分を吹いたという設定。ボカシはワイラウェイでも使った「Mrペタリ」君。境界ごとにペタリ君を貼り付け、テープで部分的にマスクして吹いていく。 白帯はキャラクターホワイト。黄色を微量混ぜればよかったかと反省。ダルブルーはいつもの自作カラー、ライトブルーはインディブルーと白を混色。両色ともグレイを混ぜてトーンを落とせばよかったかと反省。 細部では、キャノピ内部の胴体上面は、上面塗装がそのまま続いている。おそらく実機ではキャノピを外して塗装されたのだろう。脚収容部、脚、カバー内側は銀。 主翼のウォークウェイの黒線は、モデルアート増刊の132sqnの写真でも、ラウンデルを塗りつぶした上にラインが記入されている。したがって「あり」とする。マスクして塗装するが、テープをはがすと、白もペロリとはがれて大ショーック。下地に銀を吹いたのと、白塗装の際にマスクの境界にナイフを当てたのが敗因。以後気を付けよう。 |
ウォークウェイを塗装。ここでまたミスが。き、切れそう・・・ |
基本塗装終了。塗装開始から、ここまでが長いこと。 |
■ インレタとデカール デポにおける実機の再塗装作業で、シリアルがどうなっていたかは謎。当機は、はっきりとシリアルが記入されている。そこで「スカイの帯を上塗りし、シリアルの消えた部分を書き直した」という想定で、自作インレタを貼る。英軍のシリアルは、これはこれで独特の書体をしているが、以前作った汎用英軍インレタが役に立つ。 |
バラバラの文字を裏返したテープ上に並べる。テープの下縁を基準に揃える。 |
上のテープでシリアルの位置を決める。下のテープはインレタ貼り付けのガイドとする。 |
できあがり。SMやくざ?! |
デカールはプロペラのみに使用。グリフォンのロートルプロペラ用データデカールなんて、見たことないので、適当なデカールを流用するしかない。文字はデタラメなので悪しからず。 |
黄色い丸は真鍮パイプの自作ポンチで切り抜く。注意書きはAMDのP−38データ。 |
クリア研ぎ出しで段差を消す。 |
■ ウェザリングと仕上げ いつもの面相筆チッピングとパステルだが、写真の印象で少々きつめに施す。一部やりすぎて、ダークグリーンやダークアースを吹いて抑えたりと、ドタバタ。静岡HSに間に合わせようと焦ったかな。 |
まず、ミディアムシーグレイでチッピング。リベットラインを鉛筆で下描き。 |
部分的に銀を使う。はがれの周囲を暗色のパステルで汚すとリアル。 |
機銃アクセスパネルの周囲にもチッピング。ファスナは#2たまぐり。 |
コクピット周囲のウェザリング。 |
前回更新で、風防、脚まわりの写真を載せてなかったので、ここで掲載。最後に真鍮細工のピトー管と0.1mm洋白線のホイップアンテナをとりつける。 |
側面上側のフレームの角度が少々異なるが未修正。正面のフレームも実際は幅が均一ではない。 |
断面を一段削って縁を薄く見せる。照準器が大きすぎるか。 |
主脚にはブレーキパイプや、ロック用リングを追加する。 |
ピトー管は真鍮はんだ付け。ミディアムシーグレイのビン生で、標準サイズのラウンデルを消した跡を表現。 |
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完成 |
■ おわび 9/16追加 いやはや、とっくに完成してたのだが、スケビ(2005年8月13日発売号)に掲載されることとなって、それまで完成写真のアップを見送っていたのだ。当ページの読者には大変申し訳ないが、お金を払って雑誌を購入される方々への配慮ということでご容赦いただきたい。最終更新が随分遅くなってしまったので、HPの読者サービスとして(?)、フライングレジェンドから17スコードロンのドン・ヒーレイ大尉(Flight Lieutenant Don Healey)の手記を抄訳で紹介したい。(実はスケビの記事にも使わせてもらったのだけど。) ■ 極東のグリフォンスピット 我々は当初、バブルキャノピFR Mk XIVが割り当てられていた。しかし、最初の1機がマドゥラ(Madura:インドネシアのJava島北東の島) に到着すると、レイシー隊長は「これはスピットファイアの血でない」と文句を言った。隊員は抵抗したが、「ジンジャー」は納得しなかった。バブルのスピットは11スコードロンに回され、幸運なことに彼らは使い古しのハリケーンIICの代わりにこれを受領し、我々はハイバックのF XIVeとなった。我々のボスは満足だった。Mk XIVは、まるで野獣を飛ばすようなものである。個人的には、飛行という観点からは古いMk Vが好みだ。幸運なことに、最初のMk XIVを受領したときは、滑走路が全面コンクリート3,000ヤードのマドゥラを基地としていた。これは1944/45年にビルマやマラヤを爆撃するRAFリベレーター部隊にとって重要な基地であったが、グリフォンエンジンの厄介なトルクに慣れるには理想的でもあった。 グリフォンは、マーリンとは逆回転で慣れを必要とした。グリフォンで駆動される5枚プロペラに対抗して、ラダーをフルに踏み込んでさえ、離陸開始時にはゆっくりとしたスロットル操作が要求された。エルロン、エレベーター、ラダーをフルに切ってもなお、この「野獣」はわずかに横滑りしながら離陸した。しかし、ひと度飛行速度に達し、ラダーとエレベーターのトリムを調整した後は、このトルクは我慢できるものとなった。 Mk XIVについて、常に留意すべきことは、その重量であった。燃料と弾薬を搭載すると8,475ポンド(3,844kg)となったが、これはMk VIIIと比べると2,000ポンド(約900kg)も過大であった。それゆえ、ロールやループではさらに高度が必要だったが、「ジンジャー」レイシーは、これがどんな重大な問題となるか身をもって示した。十分と思える高度からループを開始したのだが、その底では地上とのクリアはかろうじて4フィートで、基地に戻ってきたときレイシーは離陸前より10歳は老けて見えた。彼はすぐに我々を集め、4,000フィート以下でのループを禁じた。 マドゥラでの仕上げは、マラヤ占領作戦の一部分となる空母トランペッターからの発艦の準備であった。ダミーのフライトデッキが、長い滑走路にペンキで描かれた。しかし、舗装滑走路での離陸距離は最短100ヤード(約90m)で、それは理論的に空母の船首を越えていた。デッキ上では16ノットの風を利用できると分ったが、それでも滑走距離は270フィート(約80m)であった。 最後には、デッキを加速中にくさび状の木片をフラップと翼の間に挟むこととなった。これはフラップを2インチ開け、より大きな揚力をもたらした。離陸後、空母の上空に戻り、フラップレバーをオープンポジションに動かすと、当然木片は空母の甲板に落ちるのだが、それは面白かった。海軍の連中は面白くなかっただろうけど。 グリフォン65が2000HP以上あっても、空母からの離陸には不安がつきまとった。私は海中に落ちてもいいように、パラシュートハーネスを外し、ショルダーストラップを緩め、キャノピが閉まらないようにコクピットエントリードアを少し開けた。フライングヘルメットのバックルは締めず、インターコムマイクロホンはソケットから外し、巻き上げて胸ポケットに締まった。隊員達は皆このように、どんなアイテムもコクピットからの脱出を妨げないようにしたのだ。 マラッカ海峡からケラナン(Kelanang)に飛んだ。着陸すると、遺棄された日本陸軍の戦闘機、爆撃機、練習機が列をなしていた。それらは連合軍侵攻艦隊への神風攻撃に予定されていたもので、戦勝に感謝したのだった。 |
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■ 雑誌とWEB 続いて、いつものつまらぬ雑感を。自分でも驚いているが、ひょんなことから「天馬順平」という名でライターの端くれとなった(スケールアビエーション2005年8月13日号掲載)。一方で当ページは管理人「ペガ」によって相変わらず続いている。「私」自身は同じだが、雑誌とWEBでは違いがあると思っているので、そのあたり一言。ま、どーでもいい話しではある。 これまで当ページでは、キットやデカールその他について、間違い、問題点をハッキリと断言してきた。誰でも(私を含め)苦労して作った作品について、ここが違うのあそこが違うのと言われれば不愉快だろうが、あくまで真実を追究するという姿勢でやってきたつもり。まあ、こんなページ見たくねーよって人は見ないわけであって、そんな意味でもWEBは「私的」な媒体だと思う。(掲示板への書き込みは、またちょっと違うと思うけど) 一方で、雑誌は不特定多数の方が見るし、影響力も大きいから、「公的」な媒体といえる。そこでは、できるだけ多くの人に飛行機プラモデルの楽しさを伝えたい、というのが私の基本方針。WEBと比べて表現を抑えているのは、編集部の検閲ではなくそういう理由。 いたずらにキットの欠点を書くと、それが製作・購入意欲の低下につながり、模型界全体がシュリンクし、回りまわって新キットが開発されなくなれば、自分の首を絞める。第一、欠点だけ並べた記事なんて、読んでも面白くないでしょ。 そうはいっても、記事の面白さを出そうと思えば、「どこをどうした」も紹介したいし、私の製作スタイルはプロポーションに重きを置くので、キットと実機の違いにも触れたい。それをどうバランスするかは正直悩ましい問題。 ついでに理想を言えば、忙しくてプラモを作れないビジネスマンが読み物として面白く読め、初級中級モデラーに製作のヒントを与え、上級モデラーをう〜むと唸らせるような記事を書きたいんだけど、理想と現実が乖離しているのはご承知のとおり。 ともかく、これからも当ページは管理人「ペガ」が、今までと変わらぬスタンスでやっていくつもり。引き続きのご支援ご指導を切にお願いする次第である。 ■ おわりに 今回の製作でも多くの方のご支援、特に、やまい氏からは有形無形の厚い援護を頂いた。ここに深く感謝申し上げる。また、当ページやスケビの記事でお気づきの点があれば、ぜひメールなどでのご連絡をお願いして、この項おしまいとする。 |
参考資料 |
■ 参考文献 参考文献、WEBサイトは、シーファイアFR.47の項を参照願う。特にシーファイアについては、ウォーペイントとウォーバード・テック(グリフォン)が役に立つ。エアロディティールのグリフォンも買ったぞ(ディティール写真は大変有用だが、解説や図面などに疑問な点がある。できれば他の資料も参照されたい。)。さらにモーターブック社のEthell著「SPITFIRE Warbird History」とオスプレイ社の「SPITFIRE FLYING LEGENDS」をネットで購入。後者はグリフォンの美しい空撮写真がてんこ盛りで、資料価値はもちろん、モチベーションを高めてくれる。 ■ 参考サイト |