零戦五二型 製作記その2
2008.7.14初出
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組み立て(続き) 9/12追加 |
主翼リベットが終わり、続いて胴体リベットへ。その前に、胴体プロポーションについてのぐだぐだを。
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マスキングテープで断面形が分かる。垂直尾翼前方付近が角張っている。 |
同じテープ位置で前から。 |
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左ハセガワ(新)、右タミヤ。あ、ちなみにテープ貼ってるのは、コクピットに誤って指を突っ込む事故を防ぐため。 |
手持ち資料をいろいろ見比べるが、折れ曲がるように見えるものも、真っ直ぐに見えるものもあり、決め手がない。POF機は折れ曲がりあり。これは特に参考文献-28のDVDでハイライトの入り方ではっきり分かる。一方、同じDVDの靖国神社機は折れ曲がりが明瞭に見られない。これは、見え方の違いだけなのか、レストアのやり方による違いなのか?(だとしたら、どっちがオリジナルに近いのか?)。当時の記録写真では、いいアングルの写真がなく、これまた不明。 ということで、この件につき情報求む。なお、製作中のモデルではタミヤに敬意を表して(?)キットのまま。ちなみに、防火壁の幅はタミヤもハセガワも同じ。ここは、何らかの一次資料があるのか?
エンジンの大きさが推論の材料になることもあるが、どうだろう。栄エンジンは直径:1,150mmで1/48だと24.0mm。エンジンとカウルの隙間(実寸)は、タミヤだと2cm強、ハセガワは1cm強ということになる。う〜む。 |
カウル幅 | カウル高さ | カウル長さ | 開口部高さ | 開口部幅 | |
タミヤ | 25.0 | 26.0 | 22.5 | 16.3 | 15.7 |
ハセガワ(新) | 24.5 | 25.8 | 22.5 | 15.7 | 15.2 |
カウル開口部も両者差異があり、タミヤが広い。手元実機写真で開口部高さを計算すると、真値はタミヤとハセガワの中間。ただしどちらも0.2mm程度の誤差なので、無視出来るレベルといえよう。
実写は機首先端真横から撮影されており、翼の見え方からかなり近くから(30m位?)撮影されていることが分かる。キットもこれとほぼ相似なアングル&距離から撮影する(前掲画像参照)。撮影カメラのレンズ違いによる誤差は如何ともし難いが、遠近法による誤差はかなり排除できるはずである。 この2つをそれぞれトレースし、カウル高さを同じにして重ねてみる。ぴったり一致しているはずだけど・・・。単純な比較ではタミヤはカウル前後長が長い。キャノピ位置も少々後ろ、かつ前後に長い。つまり胴体前半が長い。その長い印象を埋め合わせるように、主翼位置付近で僅かに胴体が高い(腹が下がっている)。ただし、キャノピ高さと後部胴体高さの比率を較べると両者は一致する。 |
米軍捕獲写真をトレースしたもの(赤)と、タミヤキット側面写真(前掲)をトレースしたもの(青)を比較。 赤の縦横比を調整しカウル高さと、全長を合わせている。 |
タミヤは若干太い、というモデラーの声を耳にすることがあるが、前述のとおり寸法を追って検証すると胴体は太くなく、ハセガワの大きめのキャノピ(相対的に胴体が細く見える)との比較で、ハセガワを見慣れたモデラーにタミヤが太く錯覚されるだけのようだ。ただ、カウル長さとキャノピ位置はどうだろう。これってタミヤデフォルメ?? まあ、いろいろな条件の相違があるから、この結果が正しい保証はなく、あくまで参考に。
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では、尾翼がどのくらいの誤差で見えるか、ABが10m、ACが30mのケースで試算しよう。尾翼は機首より遠くにあり、それだけ小さく見える。BCの距離は三平方の定理より√(10×10+30×30)≒31.6mとなり、機首より1.6m遠くになる。物体の見える大きさは距離に反比例するから、30/31.6≒0.95で5%小さく見える。これを「距離の誤差」と呼ぶことにする。模型で考えると、尾翼の高さ4cmならば2mmの誤差となり、無視できない値だ。 さらに、尾翼は角度θだけ斜めから見ることになり、それだけ前後幅が狭く見える。この「角度の誤差」を計算すると、実際の長さABに対して長さAEに見えることとなり、三角形ABCとABEは相似だから同じ計算で5%の誤差。結局、尾翼の幅は距離の誤差と角度の誤差の和で10%の誤差となる(厳密には1−(30/31.6)^2≒0.90だが、近似計算では単純和でも可)。これ、幅4cmの尾翼なら4mmの誤差で、かなり大きいぞ。 胴体全長がどれだけ違って見えるか計算してみよう。これは、実際の長さABに対して長さADに見えると考えれば、AD=(AC×sin(θ/2)×2)で、AC=30m、θ≒18.4°なのでAD≒9.6mとなり4%の誤差。胴体全長20cmなら8mmの誤差だ。 これらはエクセルで簡単に計算できる。下表を参照いただきたい。撮影距離は機体長さ(正しくは真横位置から尾端までの長さ)と距離の比率で表すと、より正確で汎用性が高いが、まあ分かりやすさ優先で。ここでは機体長(上図AB)10mとしている。もし真横位置から尾部までの距離が異なるなら、撮影距離をその比率で補正していただきたい。 |
撮影距離(m) | 30 | 40 | 50 | 70 | 100 |
角度(°) | 18 | 14 | 11 | 8 | 6 |
距離の誤差(%) | 5 | 3 | 2 | 1 | 0.5 |
角度+距離の誤差(%) | 10 | 6 | 4 | 2 | 1 |
この表を見ると、撮影距離30mだと相当誤差が大きい。50mだとかなり少なくなり、1/48なら誤差1〜2mm程度。100m離れるとほとんどヤスリがけの誤差くらいだ。実機写真に基づいて、モデルのアウトラインを修正する場合、この誤差感を頭に入れておくとよい。撮影距離は、模型を手に持って、写真の見え方と一致する距離(のスケール逆数倍)で、だいたい分かる。
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私のカメラでカッターマットを撮影したもの。ズームを使わず、画面一杯に撮影。マットは横20cm、カメラとの距離は2〜30cm。 |
左写真の画面中央と端部を合成したもの。高さ5%、幅10%程度に縮小されているね。上の表と比べると、このカメラはレンズの歪みは少ない(遠近法の誤差がそのまま画像になる)といえる。 |
その後方、四角い小アクセスパネル付近に縦パネルラインがある52以降型機体が存在する。これには鉛筆描きのように、パネル中央か後方かのバリエーションがある。一方この縦パネルラインがない52型も確認できる。メーカーの違いなのか、型式や時期の違いなのかは不明だが、中島製ノーマル52型では「なし」が確認でき、一方丙型では「あり」が見られ、初期なし、後期ありの傾向が感じられる。作品は「なし」で製作。 |
52型では×印の縦パネルラインは確認できない。これから作る人は埋めよう。作ってしまった人は、気にしないことにしよう。 |
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リベットを打った直後。まだペーパーでめくれを削っていない。胴体上部はこのようにセンターにラインなし。 |
垂直尾翼の楕円形アクセスハッチは、凸モールドを削り、自作テンプレートでけがく。 |
胴体、垂直尾翼のリベットラインは、無塗装米軍捕獲52型の鮮明な画像@頂き物で、ほぼ完璧に読み取れる。ダブルかシングルか、パネルラインのどちら側に打たれているか、フレームの間隔など、できるかぎり忠実に再現する。垂直尾翼前縁は、エ図はリブが1本足りない。 ラダーとの境は、パネル縁ぎりぎりに打たれてなく、下方にいくに従って縁から離れていくのが正。私が下手くそな訳ではないので(そう見えてしまうのは技術のせいだけど)。 |
後部胴体のリベット。#600ペーパーでめくれを落とし、べこつき周囲を馴染ませ、軽くスミ入れしたところ。尾翼の楕円形アクセスハッチの周囲を忘れており、撮影後に追加。それと上端付近にも打ち忘れいくつか(打ち直して再アップかな)。フィレット周辺は#3(0.40mm)、尾部コーンは#0(0.25mm)を使用。 |
前部胴体については、エ図はパネルライン関係が少々怪しげ。同図では主翼の陰も不明だし。それらは前述画像でばっちりで、これも出来る限り再現する。これからリベットを打つ方は、下画像を参考にしてくだされ。なお、基本的に左右対称だが、細部では艤装品の関係で違いがある。 タミヤキットはコクピット側面のプラが薄い。かなり慎重に打たないと穴を開けてしまうし、開けるとリカバリー困難。そんなわけで、神経使うし時間もかかる。その上、どうしてもリベットが浅くなってしまう。一部リベットは、ペーパーがけ後に再度上打ち。スケール重視もいいが、私としてはあと0.5mm厚くして欲しかったなあ。 |
前部胴体のリベット。ラインの配置は、実機写真を忠実に再現。ただし、小四角パネル下方はもっと密(縦に6本)に入るが、さすがに1/48では再現できず4本としている。主翼フィレット直上の横パネルライン沿いは#2で。 |
下面の胴体と主翼との接合部は、後のリベット打ちに備えて補強する。胴体側から突き出したプラ材に瞬間パテを盛り、主翼を仮接合して(セロテープを貼っておく)、パテ硬化後に主翼を取り外せば、隙間なしの「受け」が出来上がる。ここは完成後もコクピット後方から見えるので、黒く塗る。←そのために面倒臭い作業となったのだ。 ようやく、胴体と主翼を接着。主翼に対して、フィレットが少々落ち込むので、フィレット部のプラを曲げる(上写真参照。このため邪魔になる部分を切り取っているのと、フィレット部が曲げで白くなっているのがお分かりいただけよう)。 翼の前後には瞬間を使い、がっちり接着。翼上面の接合部には、リベットを消さないように流し込み系を使用。 |
主翼と胴体の接着前に仕込みを少々。 |
ようやく丁の字。 |
比較すればお分かりのように、左舷とは微妙に異なる。まあ、いろんな資料の寄せ集めなので、全ての52型がこのとおりかは不明。主翼との境界部分も写真を読み取り、こんな感じかな。一回り大きな#2球ぐりで打ったパネルのみはモノコック構造部材でなく、整流のために後付けしてあるパネル。リベットのサイズでそれを表現しようという魂胆(←誰も分らないって)。 |
胴体右舷側。白っぽいリベットは、溶きパテで埋めたもの。これ、たぶん左舷のみ。風防直下の小穴は、左舷にも同じ位置にあり。胴体と主翼の接合部分の胴体側は、一部プラが薄い所があり(前桁付近)、打ち抜きに注意。穴開けて埋め直した粗忽者約一名。 |
垂直尾翼の忘れていたリベットを追加。胴体下部は段差をサンディングしてからリベット。組み方が悪いのか、わりと大きな段差が発生。これから組む人には、十分な仮り組み&摺り合わせをおすすめ。主翼厚さの調整がポイントと私は見る。 |
垂直尾翼はこのとおり。「間違い探しゲーム」みたいな。(違いは3つ) |
胴体下部も終了。 |
左右フラップの間の部分のリベットラインを見ると、胴体と主翼とが一体構造となっていることがよく理解できる。画像で横のラインは胴体フレームの一部なので、胴体側面のリベットラインと同じ位置となる。 後桁より後方では主翼3番リブが胴体と主翼の接点となるが、これは重量軽減と強度を両立する巧妙な設計。堀越技師の苦心が感じられる。後桁より前方は、主翼の上に胴体が乗っかる構造となり、そのため前述の整流パネルが必要となる。こういった構造を理解すると、主翼と胴体の境界のパネルラインの意味が見えてくる。
下ごしらえとして、スジボリを深くさらい、表面のパーティング・ラインをペーパーで削り落とす。特に、カウル上下をつなぐ楕円形のパネルは、ケガキ針を用いて慎重にトレース。力を入れずに、何度も同じラインをなぞっていく。このとき、針先に左手親指を当て、針先をコントロールすると脱線が防げるぞ(前にも紹介したけど)。 |
0.2mmプラバンを現物合わせでくり抜き、テンプレートを作る。両面テープとセロテープでしっかり固定。 |
スジボリのできあがり。 |
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右:修正前、左:修正後。 1度開から2度閉に変更。まあ、気分の問題。 |
ところがクローズアップ写真を見ていくと、機体により違いがあり悩ましい。例えばカウルフラップの上方での凸リベットの有無、機銃口から後方に延びるパネルラインの有無など。これら差異が、オリジナルもそうなのか、レストアによるものなのか、前者だとして型式や製造時期の違い(特に53丙以降のカウル形状変更との関係?)なのか、中島、三菱による差なのか、全く不明。 また、実測図によると乙型以降の13mm機銃は7.7mmより僅かに胴体中心に近く装着されるのだが、その場合胴体先端の機銃口の位置も内側に寄っているはず。今回の製作には関係ないが、どうなっているのだろう、気になるところ。
設計変更の必要が生じたとき、自分が担当技師だったらどう考えるだろう。当時の状況からして、生産現場の変更は最小限にしたいはず。とすれば、複雑なカウルフラップは全く変更なし。機銃弾が通るチューブ関係も変更なし。カウルのパネルも既存のものをできるだけ活用したいはず。 とすれば、左右機銃に挟まれた部分のみ切り取って上に膨らんだ新たなパネルを継ぎ足す、というのは合理的な発想に思える。ただし、この推論どおりなら、カウリングの形状はかなりいびつなものになるだろう。 さて、前述の機銃口から後方に延びるパネルラインとの関連や如何に。ただし、手元資料では、型式による明示的な違いは分からず。
さて、風邪も治ってリベット再開。結局、カウル上部のリベットラインの詳細は不明。内部構造から推測してでっち上げる。というか、構造上このように打たれているハズで、そうでないとおかしいのだとの思い込み。側面は密にリベットが入り、こちらは写真で本数まで数えられる。間隔を一定にするため、ガイドのハイテク・マスキングテープに針で目盛を打つが、なかなかきれいに揃わない。へたやのう。 |
リベット終了。基本は#1番だが、ちょっとウルサイ感じで、苦労の割りに不満。数を間引くか、#0番0.25mmで打つべきだったか。 |
カウルフラップ前端のカーブを再現。カウルフラップのリベットラインは現存レストア機のものだが真偽不明。ここだけ#0番。 |
上面は、悩んだ挙げ句、こんな感じに。 |
解説は下記。 |
上画像で赤線は、中島製では凸リベットが8個並ぶ(作品ではここだけ#2番で打つ)。これはPOFの現存機、RAFコスフォード博物館のオリジナル現存カウル(中島製:IWMの前部胴体の片割れ)、当時の記録写真でも確認できる。三菱がどうなっているかは不明。一方で、現存レストア機で凸リベットがないものもある。レストア作業によるのか、元から無いのか? 青線は、過給機エアダクトを固定するためのもので、前述コスフォード部品などで確認できる。黄線も実機写真、カウルの裏側写真から、存在は間違いない。それ以外のラインは、ありに見える写真もあり、なしに見える写真もあり、位置やシングル/ダブルも不確定。撮影条件で見えないだけか、バリエーションがあるのか? |
下半分には、「コ」の字状のラインがあり、ハイテク・マスキングテープをこのように切ってガイドとする。 |
できあがり。コの字ラインのみ#0番。 |
「コ」の字状のラインは、実際にカウルの内側にこのような部品が付いている。前後のシリンダーヘッドに対応した位置にあり、文献-27には振動を吸収するキャンバス材との記述。 この部品は、カウル上半分にもついているのだが、上半分ではカウルとエンジンの間に隙間があるため、カウル内側に「台」があり、その台にコの字部品が付く。この台をカウルに固定するのが、上画像で、カウル側面の2本の黄色線なのである。
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右側排気管パーツ。溶接跡を伸ばしランナーで再現。緑フタで接着してペーパーで均す。 |
排気口は彫刻刀(切り出し)で穴を掘る。細いので、目が追いつかない。 |
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左上面。裏側も同じ。 |
これは非常に面白い。かなりボリュームがあるが、一気に読んでしまった。Fw190との空戦、乗機の変遷といったミリオタ飛行機マニア受けする部分も当然あるが、それ以上に面白いのは、組織のリーダーとしての彼が、いかに部下を掌握し、上司(空軍幕僚たち)と戦い、苦労してダメ組織を一流組織に叩き上げたかという部分。世の中年モデラー多数と同じ(?)中間管理職の自分にも大いに共感できる話である。 彼はP-47の長所と短所を冷静に見抜き、ドイツ空軍に打ち勝つシステム(組織、戦術)を作り上げたが、意外にも(?)彼自身はサンダーボルトが最良の戦闘機とは思ってなく、機会があればP-51に転換したかったそうだ。しかし、米本国帰還中で実現せず、結果として56FGは第8空軍で唯一P-47を終戦まで使用したという。 56FG隊員を記述したくだりでは、例えば後任の司令となるデイヴ・シリングは、金持ちのボンボン(ゼムケは労働者階級のドイツ移民の子)、やり手で社交的、ハンサムで女にもモテるが、部下としてはちょっと信頼できないとか、「ギャビー」ガブレスキーは、いたって気のいい男で指揮官としても一流、ロバート・ジョンソンは、隊内で最も戦闘精神旺盛だとか。 ゼムケは56FGを軌道に乗せた後に479FGに転出、P-51で悪天候により不時着し捕虜となる。列車で移送中にP-47に銃撃されるところは迫真の描写で読み応えがある。解説によると続編(同著者の「Zemke's Stalag」)があり、捕虜収容所での活躍、戦後ドイツ人科学者を西側に逃がす話などがあるそうで、これも読んでみたいが訳本はないのかな。 |