ホークH81-A2(エアフィックス 1/48)製作記

2016.12.13初出

前ページ 次ページ




最終更新日へ





■ 製作開始 5/11追加

 静岡前の駆け込み更新。野馬が完成し、いよいよ鷹に着手する。米義勇隊機は、正しくはカーチスホークH81-A2という呼称となり、ページタイトルもそのように変更。製作方針は、機首の1mm短縮と断面形の修正、尾端の1mm延長と後方固定キャノピの自作が大きなところで、あとはキットなりに。元気があれば風防とスライドフードも自作するかも。いくつかの小物はハセP-40と交換。コクピット、排気管はレジンパーツ。リベット打ち、インレタの動翼リブはいつものとおり。塗装はAVGの鮫口だ。


■ 胴体形状

 繰り返しの部分もあるが、キットの要注意点を確認しよう。カウルが1mm長く、胴体後端(垂直安定板)が1mm短い。また、ラジエータ部の高さが過大、顎インテイクリップが1mm前(機首の長い分を入れれば2mm前となる)、排気管スリットが水平に一直線、主翼フィレット前端部付近も違う。主翼取付位置がやや(0.5mm?)低い。キャノピ取り付け高さは主翼を基準にすると1mmほど高く、その影響で、前後の胴体上端が主翼基準で0.5mmほど高い。

キット画像は遠近法を補正済み。スマホでズームなので画像が不鮮明だな。


 次に断面形。ラジエータ部はキットのような「U」でなく「V」に近いのが正。キットはギブソンのネック、実機はフェンダー、というと分かる人には分かるかな。さらに顎インテイク上端の「くびれ」が足りない。それ以外は、後部胴体の断面形は問題なし、胴体幅もOK。主尾翼の形状、翼型は良好である。




テープを貼った顎の断面形、口角部のくびれ(の無さ)に注目。断面はカマボコ形で、マーリンホークなら正解なんだけど。

断面図と比較すればこんな感じ。ただし赤ラインはあくまでイメージ。

キットのラジエータが正しい断面形になっていない。これも削って修正する必要あり。本体への接着は後で。

防火壁の断面形は良好。裾の絞りがやや不足か。画像ないけどコクピット後方の#5フレームもOK。



■ ちゃらりららら〜♪

 最初の作業は首の切断イリュージョンだ。以下画像で。



機首短縮のため、排気管後方で前後にカットし、切断面を1mm削る。上側カウルは後端部で1mm詰める。

パーツをしごいて曲げる。赤矢印は曲がりを戻す方向、青は曲げる方向。下端部の黒着色部はカットする。(画像見辛いけど)

切り刻んだカウルを接着する。顎断面縮小→外周長が減少→顎パーツ下端をカットなのだ。リップも1mm後退させる。

バルクヘッドで曲げ矯正の戻りを防ぐ。これは1mmプラバンを断面図から胴体パーツの厚さを差し引いた形に切り出したもの。

修正前の右舷。

修正後の左舷。口角のくびれに注意。リップにつながる上顎パーツの「土手」も要修正。くびれに伴い内側に寄せる。

キットの後方固定窓は接着面が外から丸見え。プラバン絞り出しに置き換えるため、このようにカット。

内側の胴体外板は窓接着後にはめ込むようにする。胴体側面ライトはクリアランナーにして透明部の直径を拡大。

尾部はこのように後端が1mm短い。

端部に1mmプラバンを接着して延長。


 ところで、スピナを外した機首がカピバラに見えるのは私だけ?


■ お絵かき

 予定マーキングのお絵かき。AVG第3飛行隊のチャールズ・オールダー機である。相変わらずミーハー路線まっしぐら。考証的には語るべき点が多々あるが、それは後ほど。描画テク的には、機首上面のエッジのハイライトが最大のポイント。カウルの円断面のRがだんだん小さくなり、風防直前ではほとんど折れ線。しかも、空冷P-36と共通胴体のため、防火壁でハイライトのラインが折れ曲がる。あとはフィレット後端のもっさり感かな。


 天使と出銭虎は、さる方よりデータを頂いたもの。毎度感謝。F高校漫画研究会の血が騒ぎ、天使の頬と前髪、バストとヒップのラインを、ちょいちょいっとアレンジして可愛さとセクシーさを2割増量。まつ毛と右手小指、胸のポチッは妄想で。虎は無修正。


 そのハイライトを正確に描くため、今回こんな図を描いてみる。断面図をベースに面の傾きが同じ位置をつないだもの。このコンター線と明暗の階調を揃えると説得力のある絵になる・・はず。ならないのは、センスの問題だな(嘆息)。



■ 右舷胴体 5/22追加

 右舷も切った貼ったする。前も書いたけど、切断・切削・再接着という作業には誤差がつきもので、無視すると思わぬ歪みが生じる。その対策は、接着の順番と、誤差をどこに逃がすか。

 今回は、機首のバルクヘッドとその位置決めガイドをまず作り、そこに3分割のカウルを接着。このときの誤差はバルクヘッドとカウルパーツの接着面に逃がす。次に右舷カウルを左舷胴体に仮止めした状態で、全体の歪みに注意して後部胴体とカウルを接着する。誤差はカウルと胴体の接着面に逃がす。個々の接着箇所の全てをピッタリと段差、隙間なくしようとすると、逆に全体に歪みが生じる。ふむ、これって仕事や人間関係など他の物事にもあてはまるような・・・



右舷胴体も修正終了。コクピット後方部分も内側のステーを左舷側に仮止めしてから切り離した上部を接着する。

バルクヘッドの位置決めガイド。



■ コクピット

 エアの側壁部パーツは、頑張りは感じられるもののモールドがヌルくて精密感に欠ける。例により昔買ったアイリスのB型用レジンでお茶を濁す。ただしこちらは上下に圧縮されていて床と隙間ができるから、リブや機器類を追加。一部の機器は隙間埋めのフィクション。アイリスも配置が全体的に不正確だし機器類のサイズは小さいしで、資料的価値はナッシング。機器類のみ切り取って使うのが正解かも。



褐色味のグレイがレジン。プラバンでリブ(白)、追加の機器はキットとハセP-40から。スロットルレバーは自作。

キットパーツの床板、隔壁をつけるとこんな感じ。アイリスの縦通材とキットを比較すると圧縮具合が分かる。

計器盤はキット。こちらはなかなかよいモールドなので、これを使う予定。航法灯の内側に凹ませたアルミ板をテープ止め。

塗装、水ウェザマスのウォッシング。色がまた悩ましい。


 補足。キットはコクピットの縁が厚く、そのままレジンパーツを接着すると縁の厚さが2mmにもなってしまう。キットの縁を薄く削り(後のリベット作業を考えある程度の厚みは残す)、レジンパーツは上の一区画を切り取ってそこはプラバンで再現。スロットルレバーは延ばしランナーの先に瞬間をつけてプラ粉に突っ込む。この方式が一番簡単。

 コクピット内部の塗装色は、AVG機がそもそもはRAF向けだったことを考えると、RAFグレイグリーンを模した塗色の可能性も大。確証が得られずとりあえず米インテリアグリーンで塗る。真相ご存知の方、ぜひ胴体左右接着前にお知らせ願う。


■ お絵かき

 P-40といえば、これを置いては語れない。RAF第112「シャーク」スコードロンのトマホークMk.IIb AK402/GA-Fは、1941年11月のエジプトにおけるネビル・ロングボトム、もといネビル・デューク(Neville Duke)少尉搭乗機。オスプレRAFホーク本に左舷後方からの写真がある。方向舵に明色の斑があるが、写真の汚れということにしておく。レターGA-Fは複数の写真があるが、同一機かどうかが怪しい。鮫口はエース本写真からは詳細が不明で、前方からの別写真を参考にするけど、そういうわけで確度は・・・ この鮫君は歯磨きが嫌いなのか、歯がボロボロだけど、カッコ悪いし描くの大変だから鋭くしちゃう。

 レターが細くて角ばってるのが112Sqnの特徴。当機はFの縦棒が長い。右舷は同隊他機から推測してGA-Fか。GAのスペースが苦しいけど、他機では書体を細くしている。シリアルの周囲は四角い暗色で、DG/DAの温帯陸上迷彩の塗り残しかも。ただ正規のシリアルのサイズでないので現地で描いたのかな。下面色は写真の印象は明るめでエイザーブルーとする。もしかすると米製RAF機独特の例の妙に白っぽいライトグレイかも。RAFトマホークはマストアンテナが特徴。アンテナ線は主翼端から張る。クランク状ピトー管とGM2光像式照準器、左舷エルロン固定タブもポイント。


 112Sqnは、1917年ソッピース・パップ装備にて開隊した伝統ある部隊。連合軍P-40で最初に鮫口を描いたことで「ザ・シャーク・スコードロン」の愛称を持つ。WW2はグラディエータ(製作記参照)、ハリケーンの後、1941年7月からトマホーク、12月からはキティーホークにて北アフリカで戦い、イタリア侵攻中の1944年6月にマスタングMk.IIIに改変するまでP-40を使い続けた。戦後はヴァンパイア、カナデア・セイバー、ハンターを使用。どれも鮫口付きだけど、機体形状ゆえか獰猛というよりカワイイ感じ(とくにセイバーはおマヌケ。sabre 112sqnで検索してね)。

 デューク少尉(イラスト時)は、27機の撃墜を記録しMTOでの連合軍トップエースとなる。ちなみに枢軸軍トップはご存知「あの人」だ(Bf109F参照。いや、だから名前を言ってはいけないのではなく・・)。戦後はテストパイロットとなり1953年にはハンターにて最高速度の世界記録保持者となった。トマホークの前は92Sqnでスピット(Mk.V?)を操縦。乗り換えた感想を聞いてみたいところだ。英国人の控え目な表現で「速度と操縦性は・・(肩をすくめ)忍耐を学んだよ。でも機体の頑丈さには何度か救われたね」なんて言ったかどうだか。←妄想しすぎ


■ 主翼 5/28追加

 キットの脚収容部は、キャンバスのカバーが再現されるが実感いまいち。カバーを外した状態をスクラッチする。AVGの実機がどうだったかは知らん。



脚収容部は0.3mmプラバン細工。溶剤系で接着して翌日切削加工する。後日、リブ本数の間違いに気付く(泣。

B型における側壁の詳細は不明でE型を参考にする。本当は側壁が一部湾曲してるのだけど、スルー。

いつものようにカーボンファイバーでがっちり補強。

下部フェアリングが滑らかな曲線になるよう彫刻刀で削って修正。上修正後、下修正前。



■ N 側面図

 F/L図面の機首とキャノピを変えてN型を描く。ポピュラーなのはE、M型だけど、FとNの組み合わせで一応の用は足りるから、作図の順番はこちらが先かと。

 型式おさらい。NはLと同様の重量軽減を主目的とする。英連邦軍ではキティーホークIV。N-1はM以前と同じキャノピで、違いは4丁機銃と機体内部の軽量化。N-5からキャノピとシートが変更され、またタイヤが30"から27"に小型化、機銃が6丁に戻る(D&Sでは-15からとされるが、記録写真で-5で6丁装備が確認できる。ただし現地改修の可能性もあり)。下面航法灯が3色灯に変更(詳細は次回平面図で)。



  • スラストラインは胴体基準線から3.078"。シリンダー列の中心は防火壁から53-3/8"、シリンダー間隔は1-3,4-6間は各6-5/16、34間が6-15/16。排気管のスリットはF/L同様に前上がり。

  • 製造図には残念ながらカウルのコンター図はない。インテイクリップの部品図からリップ形状は正確に判明。 顎のインテイクリップ(断面図でオレンジ線)の下端は基準線から27.78"。リップ下半分の正面形は真円で半径は10.625"(顎本体の断面形は真円ではない)。

  • 断面図CからEは推測が入る。顎の断面形はF/LよりB/C型に近い。防火壁以降はF/Lと同じ。#5の防弾板形状は甘い。

  • M/N型のエンジンカウルには、D/Eにはないアクセスパネルがいくつか増える。排気管前方の小穴はMより出現。これはエアフィルターで、使用時はカウル上面インテイクを閉じてこちらに切り替えるのかな?


■ 後方固定窓 6/2追加

 ちょいとあれこれ手を着け始め、鷹はあまり進まず。早く胴体左右を接着したいので、後方窓をやっつける。今回は断面図から0.5mmインセットした木型専用断面図を作り、プリントしてゲージとする。こういうのもInkscapeだと楽ちん。センターラインをけがいておくと、精度よく削る助けになる。接着面に着色して2ブロック貼り合せてもいいね。



木型ほぼ出来上がりの図。窓の形を鉛筆で描くと形のミスに気付きやすくなる。

0.4mmプラバンで絞る。今回は前後の面が必要ないから、下に引かずに巻くように被せる。出来上がり0.8mm厚くらい。


 あれ?後ろの木型は何だ?(←正面窓は上広がり。これで分かっちゃった人はビョーキを自覚するべし)


■ N 平面図

 引き続きN型上下面図。主尾翼はF/Lと基本的に同一。機首平面形も基本同じ。ただし顎の平面形やパネルラインはF/Lとは異なる。下面の細部はよく分からない部分が多い。情報熱烈歓迎。



  • コクピット後方の斜めになった胴体断面は、一応製造図のトレース。後方窓も製造図から。

  • M-10-CUより脚出表示棒が装備される。右舷脚フェアリングにはガンカメラ。小爆弾ラックはN-1になって一旦撤去され(パネルは残っている模様)、N-15から復活する。これも細部にはバリエーションがあるのだろう。

  • N型では胴体下部の3色認識灯が確認できる。(うち1つは胴体下部フェアリング後部にあり)。位置は実機写真からほぼ正確に判明。D&SによるとL-15からとされるが、L、Mの写真では有無不明。また、3色認識灯があるときに左舷フィレット下面のD字形パネルの有無は不明(たぶんなし)。右舷フィレット下の認識灯はE、Fで見られる(F/L下面図参照)。

  • 長胴型の垂直尾翼オフセットは0゚。



■ お絵かき

 お絵かきもモケイが進まない一つの要因ではあるのだが・・ まあしかし、線図が出来ると色を着けたくなるというもので。

 さておき、イラストはRAFのモホークIV BJ546/OQ-O、モデル名でいえばH75-A4だ。1942年3月、ビルマ西岸アキャブにおける第5Sqn所属機。67Sqnから派遣のニュージーランド人C.V.Gargh軍曹搭乗。P-36エース本p75に左舷全身写真あり。同本塗装図は方向舵の迷彩がイレギュラーだが、写真の汚れと判断。Aカウルに牧羊犬?の頭部のイラスト。スピナの色は不確か。規定ならスカイか?無塗装か? 当機は別パイロットの搭乗で同年5月に失われる。風防上にリアビューミラー、GM2照準器装備。

 描画テク的には空冷エンジンでぐっと広がった機首の表現がポイント。これが、なかなか難しい。防火壁での折れ曲がりを感じてもらえれば嬉しいんだけど。カウルとAカウルの広い面がのっぺりとするので、フィクションでチッピングや汚れを追加。機体全体も写真の雰囲気でくたびれ風味にするけど、写真の汚れかも。塗装は米国製ナンチャッテ温帯陸上迷彩カラーだろうから、1枚目イラストのフライングタイガース機と同じ色調にする。

 RAF第5スコードロンは1917年に開設し、1920年から1947年までの間は終始CBI戦域にて活動した。1942年、ホーカー・ハートからモホークに改変し、ビルマでブレニム爆撃機の援護を務めた。その後、ハリケーン、サンダーボルト、テンペストIIに転換。戦後はヴァンパイア、ヴェノム、ミーティア、ジャベリン、ライトニングなどを使用し、トーネードF3では湾岸戦争に加わった。


 N正面図は作成予定なし。引き続きD/E/Kくらいは描きたいな。さらに、 疾風に続く日本機図面検証シリーズ第二弾を準備中。あの陸軍機だ。乞うご期待。 しかし、ますますモケイが・・


■ 続、後方固定窓 6/20追加

 前回ヒートプレスした透明プラバンを切り出し、内側の凸凹を#800ペーパーで削り落として磨いておく。接着したら表面を削る。窓の下半分はまっ平らな面。これが湾曲すると、出来上がりがピリッとしなくなる。穴の断面が厚いのがチョイ気になるけど、これ以上薄くするとクラックが入る。我慢しよう。



左舷には給油口の穴。これがまさに意外な落とし穴。穴の周囲にクラックが入って失敗。これはテイク2。



■ 胴体接着

 胴体左右は、後からヒケないように瞬間で接着。中のアンコは位置決めが柔軟な白フタで。フィレットを浮き出し気味に接着しているため、主翼との合わせがきつく、慎重に摺り合せる。



顎の中身は、キットパーツがベース。断面形を削って合わせ、必要部分を塗装しておく。

ラジエータ後方フェアリングは取付位置を主翼と十分に調整する。胴体側も開口部の幅を調整。フレットも削って形状修正。

スピナを接着し、1.5mm真鍮棒の軸をつける。胴体先端にはキットの軸受けパーツ。ちょうど1.5mmの穴があいている。

後ろ側はバルクヘッド部に1.5mmの穴をあけたプラバンを白フタで接着。軸がズレないよう、慎重に位置決め。



■ 主翼接着

 主翼上下パーツを接着。補強として、2mmの穴をいくつか開け、同じ直径のランナーを瞬間で固定しつっかえ棒とする。翼前縁のカーブが緩く、鈍な印象。正しい曲率に削り出す。これ、プラモデル全般の傾向で、展示会などでもよく見る。個人的にはすごく気になるのだが・・←気にし過ぎ。



キットの着陸灯位置は不正確。図面を元に正しい位置に穴をあける。アルミ板の反射鏡も取り付ける。ガラスはCDケース。

翼接着。後縁がかなり厚く、定規に貼った180番ペーパーで削る。前縁は翼型図をゲージに削る。翼端を薄く削ぎ上げるのを忘れずに。

胴体と削り合せ、仮組みしてみる。合わせは、まあエアスタンダードってところ。

下面側はこんな具合。胴体下部フェアリングもカーブ状に削る。補強のランナーが見えるかな?


 機首上面インテイクの形が気になるなあ。


■ お絵かき

 またまた自作3Dの2D化。1943年6月のチュニジア、325FG "Checkertail Clan"司令 Gordon H.Austin中佐乗機 P-40L-5-CU 42-10664 "LIGHTHOUSE LOUIE"。325FGや当機の詳細はP-40L製作記その3を見ていただくことにして、イラスト解説。 前から気になってるけど、文字は黒でなく赤だ。当時のノーズアートの色彩感覚では間違いなく赤。黒は地味すぎる。記録写真をよく見ると屋根より明度が高い。製作時はインレタ作ってまで直す必要もないと考えてデカールのまま。今回そのリベンジだ。やっぱ赤が映えるよね。黒四角の中は、PILOT / Lt.Col. G.H.AUSTIN / CREW-O'NEAL&WALLANと読める。



■ 機首の修正 7/7追加

 気になるエアインテイク。削り取ってランナーで再生する。その土台となるカウル上面も、防火壁でハイライトが折れ曲がるというビミョーな曲面が表現不足。風防付近はプラバンを貼って肩のエッジをはっきりさせ、逆に防火壁付近は肩を削り込む。



カウル上面カーブを盛ったり削ったり。影の見え方で肩のエッジのラインを確認する。インテイクは削り取る。

インテイクはキットのランナーの一番太いところを使う。キットの機銃フェアリングを乗せてみる。やや薄くて寄り目。

フェアリングの外側に0.3mmプラバンを貼ると眼元キリリ。鮫口はWINDS展示会用スペシャルマーキング。

後方窓のスジボリはロボでテンプレートを切る。


 自作図面を傍らに、スジボリも同時並行で進める。今回、久しぶりにラインチゼル0.1mmを使う。直進性が悪いので、まずケガキ針かエッチングソーで軽くスジをつけておくのがミソ。パテあるいは瞬間とプラの互層にはNG。そういう箇所はエッチングソーが確実。



ラダーも取り付け全体形が見えてきたぞ。鮫口が入るとテンション上がるなあ。



■ お絵かき

 砂漠のマーリン鷹をさらに二題。まずは、コクラン中佐つながりで58FS/33FGのP-40F-5-CU 41-14491。パイロット名不詳。トーチ作戦の初期に多くのP-40が失われたため、追加戦力として、1942年11月15日、コクラン少佐(当時)に率いられた35機のP-40Fが、チュニジアを目指して英空母アーチャーの甲板を離れた。本来ソードフィッシュ向けの同艦は小型で、圧縮空気カタパルトを使っても、2機が離艦速度不足で海中に没したという。

 同機の写真は細部がはっきりせず、シリアルはオスプレMTOエース本による。他に41-14512もあるとか。胴体横の星条旗のサイズは甘い。胴体ラウンデルは35インチサイズ。尾翼シリアルは、MTOのP-40でよく見られる極太フォントにする。ただし書体、位置、サイズは甘い。同本イラストの59FS機は左翼下に星条旗があり、まあ一つの可能性として描いてみる。真偽は不明。

 58FSは1941年1月、P-39にて開設。暫く本土に留まり、P-40Fに改変して1942年11月からチュニジア方面で実戦参加し、1944年2月まで地中海戦域で活動した。その間、同隊はゲリラ戦法に由来して「ゴリラ」と呼ばれたという。コクラン司令の好んだ戦法なのだろうか。同年4月、インドに移動し、中国、ビルマ各地でP-47、P-38を使用して終戦まで戦った。戦後は、本土防空隊としてP-51、F-84、F-86、F-94、F-89、F-4E、F-15を使い、現在はF-35ライトニングIIを使用している。


 次に、ショートテイルF型。314FS/324FG P-40F-5-CU 41-14281は、1943年2月エジプトでのMacArthur Powers少尉機。右舷の写真がMTOエース本にあり、レターはY2☆0。少尉はRAF145SqnのスピットファイアVBで2.25機撃墜後にUSAAFに移籍した。機首のダイヤモンドはスコードロンマーク。同本では黄色だが、デザートピンクとの明度差から白としてみる。確証なし。別機写真で中に文字があるようにも見えるが読めない。残念。

 314FSは、1942年夏、P-40部隊として開設し、10月にエジプトへ移動、当初はショートテイルF、後ロングテイルF/Lを使用し、パトロールとエスコートを主任務とする。イタリア上陸後は戦闘爆撃が主となり、1944年7月、P-47Dに機種転換、終戦までイタリアで戦った。途中休止を経て、現在はニューメキシコ州のF-16C部隊となっている。


 前回掲載の325FG「灯台ルーイ」のイラストを訂正して差し替える。文献-9にある316FS移管後の同機と思われる写真に機番を塗り潰した跡があり、それに従い機番の位置を変える。自分の模型とだいぶ異なる姿になってきたな。模型「が」か。まあいいや。10年以上前の作品だし。


■ 経過報告 8/8追加

 かったるいスジボリとリベットの工程に入り、停滞中。いやあ、こうも暑いと、この手の作業はやる気が起きず、お気楽モデリングばかり進んで・・ 

 さて、水平尾翼。前縁はキットのよう尖っているのが正解(垂直尾翼もね)。うっかり丸めてしまわぬように。垂直安定板の後縁を延長した都合で、取付位置をそれに合わせて後退させ、フィレットの辻褄を合わせる。正しくは同様に安定板後縁を延長して、その分エレベータのコードを短縮すべきだが、そこまでしなくてもいいかなあと。(←ヲイ)



水平尾翼は画像よりもう少し後退させる。フィレットとの段差は瞬間+プラ粉で。エレベータは真鍮線で取り付ける。

#1たまぐりでリベット。一部のダブル線はシングルに省略。キットのパネルライン(瞬間で埋めた跡)は位置がズレてる。

主翼もスジボリ。アクセスパネルはロボ君カットのテンプレートで。

リベット開始。パネル&リベットラインは既に図示してるからあんまり書くことないな。

風防とスライドフードもプラバンを絞る。ケミウッドで木型を作る。シンプルな形だが、それゆえキットに合わせるのが難しい。

絞り作業はこんな台を使っている。クランプの固定側に貼った荒目のサンドペーパーがミソ。



■ E/K 三図面

 図面シリーズ最後にE/Kの三面図。側面図の左舷はK初期(後期は長胴となる)、右舷はEの初期。付図にD機首。



  • K短胴型の特徴的な垂直尾翼は図面トレース&実機写真で確認。前縁はかなり尖っている。

  • E、Kの初期はスライドフード前下端部にある三角(正確には五角形)の小板がない。K短胴のアンテナ柱はあったりなかったり。個別に写真で確認されたし。K後期でM/Nと同じカウルの穴あき板があるものあり。

  • Eの当初は左舷胴体アクセスハッチのオニギリ形小板がない。一方で胴体側面に編隊灯(青)がある。

  • アリューシャン諸島に派遣されたE型は寒冷地仕様となっており、排気管に機銃ヒーター装置が取り付けられる。この部分の詳細はバリエーションがあり、図はその一例。同隊、虎の顔も各機違うし、個別に写真を確認するが吉。

  • 一方、北アフリカのRAFキティーホークは熱帯仕様としてカウル下面にアウトレットが追加された機体がある。位置は大体こんな感じ。

  • Dはカウル上部インテイクが短い。これは極初期のEにも見られる。排気後方凹みがなく、排気管穴が3分割でないものもある。


 続いて上下面図。D型の機銃回りは製造図がなく、写真からの推測。



  • K型のドーサルフィンは左舷にオフセットされる。機軸には平行。

  • D型の機銃の位置、パネルの膨らみ、薬莢排出穴等は、E以降の内側の機銃2丁と基本的に同じものと推測される。

  • E型になって、弾倉の一部を潰して機銃を追加した。したがってD型の弾倉アクセスパネルは左右対称な形をしている。

  • 胴体下面フェアリング、フィレット下面は不明点多し。



■ お絵かき

 Nのイラストは飛ばして鮫口のKを一つ。 1943年初め、雲南省昆明(文献-29によればChanyi(沾益)とされる)における16FS/23FGのP-40K、シリアル不詳、機番24 THUNDERBIRD IIは、George R.Barnes中尉搭乗機。 写真はCBIエース本に左後方からの全身。不鮮明なので細部はよく分からず、同文献などによる。ハブキャップは暗色地(たぶん青)に白星、フチは明色で残る。鮫口は翼の陰で下が見えない。イラストのは別の23FG機を写したもので、当機のものとは若干違う。スコードロンバッジの空飛ぶ万里の長城は、ネットで拾った画像を参考にする。


 16FSは、1941年P-40飛行隊として開設。1942年3月、インドに派遣され、ハンプ(ヒマラヤ山脈)越えルートのインド側の防空を担い、掃討、爆撃、偵察、哨戒により北部ビルマの地上軍を支援した。42年6月に中国の昆明に移動し、今度はハンプの中国側を担当した。1944年にはP-51A、その後P-51Dを装備した。戦後は、P-47、F-80、F-86D、F-102、F-4を使用し、米本国と那覇、三沢、板付、築城、台湾、韓国など極東に配備された。現在はナリス空軍基地にてF-16を使用する。


■ 再開 10/13追加

 スツカとスピにかまけて放置。2ヶ月ぶりに再開する。キャノピの合わせが停滞の一因。隼のキャノピの勢いでこっちもやっつける。当機、胴体との接合部にいわゆる窓枠がなく、接着跡を隠すには工夫が必要。キットはその点無神経。下図上段がキット。左は風防正面窓の断面を表す。右は側面窓。これを下段のようにする。黄色は隙間埋めの溶きパテor瞬間。








木型を修正して0.4mm板で絞り直す。ざっと切り出したところ。エッチングソーで前後に切り離す。

合わせも調整。図面を切った型紙で、高さ、傾斜角度、前後位置も厳密にチェックする。青は胴体ツライチ。赤は外にはみ出す。


 引き続き、スジボリとリベットを粛々と進める。


■ お絵かき

 放置中もお絵かきは進んでいるのだ。E型では最も派手なアリューシャンタイガーは外せないところ。1942年後半〜43年のウムナック島フォートグレン基地における、11FS/343FG所属、機番96。シリアル、搭乗員等は不明。右舷全身の写真があり、虎のデザインなどはこれに従う。細部は同隊他機から。虎の顔は各機体により少しずつ異なる。よく見ると眼が不気味。当地のP-40は寒冷地仕様で、排気熱を利用した機銃暖房装置つき。この詳細も機体によりバリエーションがある。

 ほぼ同じ塗装で機番49もあり、こちらの虎はやや前後に短い。ホイルは黄色。迷彩は一応オリーブドラブ/ニュートラルグレイとするが、同隊には上面二色の雲形迷彩機もあり、本機はそれをリペイントした可能性もある。左右の虎は上面ではつながっていない。顎は左右つながっており、イラストでは分かりづらいが下の前歯も4本生えているぞ。翼下面のU.S.ARMYの有無は不明。とりあえずなしにしておく。


 11FSは、1942年1月(9月という資料もあり)にP-40飛行隊として開設。程なくアリューシャン列島に移動し、343FGの18FS(P-40)、54FS(P-38)、344FS(P-40)とともに、防空、掃討、爆撃機援護などを務めた。最後の戦闘作戦は1943年10月であったが、終戦まで同地に留まり、パトロール、偵察などを行った。1943年にはP-40に加えP-38も使用を始め、45年までに全機P-38となった。戦後は、F-89D、F-102、F-106などを使用し、主としてアラスカ地域の防空を担い、1968年に閉隊した。


■ 匍匐前進中 10/28追加

 再開したものの、新規機体検証プロジェクトにも手を付け始めたりして、なかなか弾みがつかない。ようやく主翼リベットが終了。次は胴体リベ→十の字だ。



翼上面ストリンガーはかなり密だが、一応図面どおりの本数で。

下面。実は脚庫天井のリブが間違い。下面の配置で製作してる。今更もう直せないけど。



■ お絵かき

 P-40N キティーホークIVは、ニューギニア、オンドンガにおけるRNZAF第18スコードロン所属機。時期は不詳。RAF猫鷹エース本に写真あり。キャプションの撮影場所が正しければ1943年末頃か。当初、RNZAFラウンデルに白袖はなく、導入時期が分かれば撮影時期が絞られるかも。ちなみにクリアビジョンキャノピ型(N-5-CU以降)は1943年5月から登場。写真をよく見ると、翼上面には斜め白帯(64戦隊の隼みたいなやつ)が入る模様。また左翼下面にラウンデルがあるかもしれない(一応、消したと推測)。水平尾翼の下には黒で8インチ程度のシリアル(NZ+数字4ケタ)が入るが、番号不詳で省略。

 18Sqnは1943年10月からニューギニアに進出。当初P-40、後にF4U-1に転換。南西太平洋を転々とし、1944年11月にはガダルカナルに移動。ブーゲンビル島の戦いにおいて豪地上軍を航空支援した。1945年末解隊。






 さてその新プロジェクト、ヒントはもうすぐ発売、あのジェット機だ。


■ 続リベット 11/1追加

 はや11月。弾みつけねば。で、連続更新。胴体リベットが大方終わる。コクピット横を打ってたら、押圧で後方窓の接着部がはがれる。瞬間で補修し、とりあえず間にスペーサ(ケミウッドのブロック)を挟んで補強して続行。



リベット打ちはこんな道具で。カッティングシート二枚重ねを細切りにしてガイドにする。

細かいスジボリなどが残ってるけど、主翼接着後に作業しよう。フィレットのファスナは#3。

胴体接着の下準備で計器盤を仕上げる。まず、キットデカールをポンチでくり抜く。

貼り付けてメーター部にフューチャーをたらす。目立ちすぎるメーターはダークグレイでトーンを落とすのがポイントか。


 新プロジェクトは、もう少しお待ちを。


■ 風防接着 11/6追加

 三連休は模型三昧のはずが、風邪で調子上がらず。ともあれ風防接着。パーツ自体は既に準備出来てて、合わせも調整してあるから、あとは接着して接合部を整形するだけ。



要諦はいつもと同じで、スライドフードに仮止めして溶剤系(白フタ)で接着。内側はコンパウンドで磨いてある。

隙間に瞬間+プラ粉を盛って削る。様子を見るため黒く塗ってある。フレーム下端は胴体からはみ出す(赤矢)。

計器盤は下から接着。プラバンで防弾ガラスの取付爪をつけておく。コクピット後方フレームは上部を切り取って接着。

水平尾翼も接着。


 ようやく主翼を接着できるかな。おっと、防弾ガラスを先につけないと、取付が難しくなるか。


■ UAMC

 来年2月に開催されるUAMC静岡に参加決定。あとは直前に用事が入らないことを祈るのみ。それまでには完成させたいけど、工程的に厳しいかも。


■ キャノピまわり 11/18追加

 ここしばらく、隼姉妹はお休みして鷹に集中なのだ。キャノピまわりをやっつける。



スジボリ。風防後端、後方窓中央は0.3mmのダブル針で。分かりづらいけど、風防下端と胴体の間にもスジボリ。

ルータ綿棒 with C(コンパウンド)で磨く。必要に応じ、適宜内側も。そのために面倒な手順を踏んでるのだ。

防弾ガラスはCDケース。セロテープでマスクして塗装。枠の表裏を一度に吹くため、両面テープで持ち手をつける。

後方窓の内側は、こんな風にして前から差し込む・・・はずが、風防が邪魔で入らない。(汗)

仕方ない、バラすか。給油キャップ等を取り付け、塗装、ラプロス磨き、汚しまで。

所定の位置に接着。防弾ガラスには、支持ロッド、取り付け金具をデッチアップ。接着は溶剤系点付け。

後ろからはこんな感じ。風防パーツの厚みのため、かなりウソをつかないと納まらない。

防弾ガラス下側は、このように計器盤上部の爪に引っ掛ける。表から見えるガラス面には接着剤を付けない(アタリマエじゃ)。


 補足。防弾ガラスは、CDケースを磨いて切り出してセロテープを貼って、フチから0.5mmの所で切る。スジボリはしない。セロテープはこういう「貼ってから切る」のには最適なのだ。今月の某誌のマスキング特集ではダメ出ししてるけど、分かってないねえ。気泡?そんなの関係ないのに。マスク境のみピッタリ貼れていれば、他は気泡もシワもOKで、だからバブルのキャノピもマスキングできるんだけど。

 実機の防弾ガラスは、照準器の像の重複を避けるため少し右下がりに傾いて取り付けられるが、そんな余裕はなく、ぴったりガラスに沿わせる。案の定、コクピットの下からも手が入らないと、位置決めできない。主翼接着前でヨカッタ〜。また、実機にある風防ガラスの合わせ目は、下手に再現すると防弾ガラスと平行にならず、逆に精密感を殺ぐ恐れ。よって省略。照準器の反射板も省略(←こんなの無理)。後方窓の小穴の縁はダークグレイを塗って断面の厚みを隠す。

 後方窓内部のため調色する。実機は、例の米製なんちゃってRAF風ペンキで塗装されている。オリジナルカラー写真のイメージでは、DGは純正より青味が強く、DEは赤味が強く暗い。そこで、DGにはシュトゥーカで使ったRLM70ブラックグリーン(ニュートラルグレイで明るく調合)に更に白を2割程度加える。DEは#22のビン生。いやこれ実にいい外し具合で(←褒めてるのか?)。


■ ジェット・プロヴォスト

 先日某店でエア初代ジェット・プロボストを発見。お値段ワンコイン以下で、思わず購入。これ、製作記に書いたとおり、翼付け根にバルジがあって、正確にはT2。胴体のプロポーションは悪くないけど、キャノピの合わせはかなり難物。2代目のトリッキーな尾翼回りの部品分割は、初代ゆずりなんだね。



グンゼ輸入版の箱絵。

中身は銀色のプラ。日本語のインストと日本製デカールが付属。



■ 士の字 12/1追加

 図面は幽霊で盛り上がってるが、こちら虎鷹も大攻勢中。ようやく主翼接着。P-40系はL型もそうだったけど、翼接着の前に後方窓を仕上げねばならず、製作のノリが悪いのが困りもの。コクピット床は胴体の補強になるのでがっちり接着。しかる後、主翼を接着。機首断面修正の影響でフィレットには大きな隙間。瞬間+プラ粉で埋める。



その前に、主脚取付部のバルジとエルロンタブを接着。

航法灯、翼下の着陸灯もスジボリして磨く。

士の字。製作開始から半年か。時間かかり過ぎ。もっとも2ヶ月放置だが。窓はタミヤテープで養生。

下面も接合部(赤〇)が凹む。翼とフィレットのパーツの接合部を外側に曲げて持ち上げる。



■ ディテール

 勢いで塗装までに済ませるべき細部に取り掛かる。キットのカウルフラップは開き過ぎで好みでない。そもそも形状修正した顎に合わないから、プラバンで自作。キットは主脚収容部フェアリングの形が違う。下面でどうでもいいところだが、折角図面を作ったことだし直してやろう。



0.5mmプラバンを2枚重ね。帯状に切って曲げて適当な棒に仮止め。その上に個々のフラップを接着。大きめに作って削って合わせる。

カウルフラップを顎に接着。脚フェアリングを修正。赤矢印は0.14mmプラバンを接着。青はスジボリのみ。

フィレット、脚付け根バルジ付近も、瞬間+プラ粉を盛って整形。カウルフラップの開き具合はこんな程度で。

フィレットと翼に段差をつけるため、カッティングシート(黒)を貼ってからフィレットに瞬間+プラ粉を盛る。

下側はノミで彫り込んで段差を表現。

整形が済んだら、スジボリしてたまぐり。フィレット等のファスナは#3、リベットは#1、カウルは#5。

動翼リブにインレタを貼る。P-51Aと同時に作ってある。だから同じ色。多少のズレはサフで修正可。

エルロンも。付け根部の小四角は0.14mmプラバンを貼ってある。



■ 上面図訂正

 ファスナの工作中に間違いを発見。カウル最上部のファスナが、上面図と側面図で違っている。上面図が間違いで、パネルラインの外にファスナが正解。騙された人(ここにも約一名)には申し訳ない。お詫びして訂正。いやあ、1年近く間違いを晒してて、全く気付かないなんて。(恥ズ)


■ お絵かき

 気分を盛り上げるため、お絵かきいってみよう。B型に続いて2回目の登場となる112スコードロン、1943年春のチュニジアMedenine基地におけるGA-L FR472だ。オリジナルカラー写真がRAFカラー本にある。当機、今までM型だと思ってたけど、カウルの小穴が無いのでKの長胴型(P-40K-10以降)かな。一連の写真には、他にGA-V FR440が写っており、鮫口、目の意匠がやや異なり、翼下ラウンデルに黄縁がある他、長胴型にも関わらず、アンテナ柱がなく翼端からワイヤを張っている。

 キャプションからすると、この2機は同隊AB各フライトのリーダー、E.Saville大尉(SAAF)とL.Usher中尉の可能性あり(どっちがどっちか不明。強引に解釈すればGA-LがSaville大尉か?)。奥に写るもう1機は112Sqn司令のG.Garton少佐機とされるが、レター、シリアルが陰で読めない。見える部分から強引に解釈(←またか)すれば、GV-E(またはD) FR470かな??

 3機とも、下面迷彩色はかなり暗い。ダーク・メダタレイニアン・ブルーなのか、例により米国製なんちゃってカラーか。ホイルキャップも下面色で縁は銀。また、レターはミディアム・シーグレイと思われるが、写真では青っぽく写っており、下面色に白を混ぜたかなんかの現地カラーの可能性もあり。スピナと口の中はダルレッド。右舷レターはこの時期の同隊の例でL-GAだろう。キティーホークの翼上面ラウンデルは、米インシグニアと比べてかなり内寄りに記入されることに注意。サイズは45インチで翼端から中心までは1/48で42mm程度。一方、下面は上面より外寄りで32インチ(黄縁なしの場合)で翼端から中心までは1/48で30mm程度。翼前縁の黄色にも注意。汚れハガレは少なく、デリバリー直後と思われる。


 この塗りの長胴アリソン鷹も作りたいなあ。


■ スライドフード 12/10追加

 塗装前に残る作業はスライドフード。当初の目論見どおり開閉可動式にする。実機のスライド機構(下画像、中)は、胴体外板(赤)に帯状のレール(緑)が取り付けられ、レール外縁とフード外板(青)とがほとんど接する 。ところが、模型ではこの機構の厚みがそっくりそのままクリアパーツの厚みになってしまうから、実機どおりの再現はアウトラインを崩さない限り「無理」。あれこれ考え、胴体のフチに溝を掘り、そこにクリアパーツ側のツメ(橙)を引っ掛ける方式で妥協する(右)。





 形が決まれば工作。ヒートプレスしたパーツは微妙にユルいので、幅を0.5mm狭めるべく、プラバンのゲージにセロテープで固定してお湯に浸ける。これで、プラの弾力で爪がかみ合うようになる。後方に延びるレールは0.2mmプラバン。イモ付けでとれると嫌なので、0.2mmラインチゼルで溝を切り流し込み系で接着。ここは胴体側面から突き出てるが、胴体自体がテーパーしてるので大丈夫。あとは窓枠をスジボリして薄く削って磨く。



頂部の湾曲部分だけを沸騰した湯に浸ける。セロテープで持ち手をつけておく。

ツメは0.3mmプラバン。パチンとはまるのが理想だけど、そこまでいかず。辛うじて引っ掛かっているという程度。

ダブル針を駆使してスジボリ。0.6mmの枠の中にもう一本はさすがにきついな。ちなみに中央縦枠は0.4mm幅。

厚さ0.5mm。クラックを入れないよう細心の注意を払ってコンパウンドで磨く。磨きが甘いけど、怖くてもうムリ。

閉じた状態。それでも後方固定部分との段差は若干オーバースケール。

最後に、下辺部に延ばしランナー2本を接着。平行水平に2本は難易度高い。







■ 参考文献

 
参考文献リストは図面のページに置いておく。






次ページへ

図面のページに戻る



HOME